(5)二つの小隊2
ギルの話を要約するなら、事の発覚は今日の未明のことだった。
体や服をボロボロにした第11師団の斥候部隊の4人がこの中継地に辿り着いた。彼らは魔物の領域の調査を専門とし、索敵と移動に特化した部隊だ。
息も絶え絶えであり、荷物も持っていない。顔色は悪く、ここに辿り着くまでに体力を使い果たしたようだが、それでも彼らは倒れることなく状況を中継地の軍人たちに話した。
彼らが見たのは、おびただしい数の魔物一団が、結界方向へ疾走している光景だ。
正直在り得ない行動と言える。
人間を追うならば分かるが、魔物の軍勢の進行方向にはそれらしい影はなかった。
今のところ判断材料となる情報は彼らの証言しかないが、緊急事態であるのは確かだった。
彼らがここまで疲弊しているのは魔物の一部が斥候部隊の存在に気が付き、追い立てられたためだ。
2名が囮となることで何とか結界の内側に逃げ込むことに成功したが、囮となった者たちは今も行方が分からない。恐らくは魔物に殺されたと思われる。
生き残った4名はその足で最も近いこの中継地に辿り着いた。
更に悪いことに、彼らが見た魔物はほとんどが甲種ではなく、乙種の魔物だった。
乙種は甲種の上位互換の魔物である。
甲種から跳躍進化した個体で、身体能力はさらに上がり、個として様々な能力を宿している。
体が鎧のように固い個体や、空を飛べるようになった個体、熱線を吐く個体までいる。
乙種は異能者の軍人でも上位者しかまともに相手を出来ない。法術師でも危険な相手だ。
他の中継地や基地でも情報が錯綜しており、各地で同じように魔物の軍勢が突如として発生したという報告が上がっている。
人に群がるわけでもなく、理由もなしに群れを成すという奇怪な現象も同じだった。
魔物の領域に侵入していた部隊の被害は甚大で、深部に潜っていた部隊は殆どが連絡が取れないか、全滅していた。
「今までの魔物の大規模氾濫とは明らかに違う。本来魔物が人を襲う以外で集まることなど皆無だ。正確に何が起こっているか分からないが、お前らは俺たちが責任をもって送り届けるから安心しろ」
ギルはつい力を入れ過ぎていた拳を解き、4人を安心させる様に表情の強張りを解く。
4人の不安な表情を払い切れはしないが、悠長には出来ない。
ギルは部隊の調整を図るために一旦部屋から出た。
ギルの去った部屋の中、ナディアは苦しげに左胸の前で拳を握る。
話しを聞く間も、ナディアの胸の中の心臓は大きく跳ね続けていた。
じっとりとした、焦燥感が足下から這い上がってくるようだ。
人が大勢亡くなったこと、ホールの血の跡は確かにショックを受けたが、それが原因ではない。
早朝に目が覚めてからずっと、体が警報を鳴らすように不調を訴えていた。
息が苦しい。
何かに体を侵されている感覚がある。
ナディアにとって思い出したくもない、覚えのある気味の悪さ。
5年前に覆面の異能者と対峙した時の感覚によく似ている。血みどろの中で目覚めかけていた何かに。
あの時ほど強烈ではないし、自分を乱すようなことはないが、嫌な予感が拭えない。
「ナディアちゃん、大丈夫?顔が真っ青よ」
カルフィールがナディアの前まで来て手を握るが、握ったその手は恐ろしく冷たかった。
「色々あってるけど、気負いすぎるなよ」
「そうだな、気にし過ぎは良くない。俺たちがどうにかできることではないしな」
コルキアスたちも心配して声をかけるが表情は晴れない。
イリスは簡易キッチンを使い、人数分の温かい飲み物を用意して班員に配る。
5人は沈黙のままそれを飲み、ギルが戻ってくるのを待った。
「おい、やばいぞ!全員何かに掴まれ!」
突然の屋外からの叫びに反応できたのは一体何人いただろうか。
大地が砕けたのかと思えるほどの揺れが中継地を襲い、建物が軋みを上げて傾く。
耳がおかしくなるほどの大音響が響き渡り、人の感覚を狂わせる。
音は一度だけだったが、大きすぎる木霊が落雷のような余韻を残していた。
かなり揺れていたが、宿舎は倒壊を免れていた。
ナディアたちも怪我なく健在だ。
「何だったんだ、今の!地震か?」
「第二波の可能性があります、建物から離れましょう!」
宿舎の中は家具が倒れ、生活用品が床に投げ出されていた。部屋の窓ガラスは軒並み砕けている。
壁や天井にはひびが入り、扉も歪んでしまっていて散々たる有様だったが、歩けないほどではない。
外に出るとほとんどの建物は無事であり、壊れたのは小さな小屋や建物の屋根などだった。
ただ壊れ方が揺れで崩れたというよりは、突風でも受けたかのように広範囲に破片が散らばっていた。
5人は建物群から離れ、外に出ていた軍人たちに合流する。
軍人はみな、憎々しげに魔物の領域の方角を見ていた。
ナディアたちもそちらに視線を向け、その異様さに絶句した。
豊かな自然が拡がる風景は、見る影もなくなっていた。
大量の魔物が緑を踏みつけ、結界に取りつき、それを食い破ろうと牙や爪をぶつけている光景が目に飛び込んできた。
結界越しに見える、歪んだ像の黒い獣たち。
いったい何百体いるのか。いや見えないだけで後ろには何千もの魔物が控えているかもしれない。
そう思わせるほどの巨大な威圧と殺気を魔物たちは振り撒いていた。
一体一体が野生の生物を奇形化したような外観を持ち、体躯が5メートルを超えるものも何十体と確認できる。
殆どの魔物が、ナディアたちが昨日戦った魔物とは格が違っていた。
「お前ら無事か!」
「全員無事です。ですがギル班長、あれは一体……」
ギルがナディアたちを見つけて声を掛けてくる。イリスも焦ったようにギルを問いただした。
「あの魔物たちは、深部から全速力で駆けてきて結界の衝突しやがったんだよ!さっきの揺れはあいつらが結界と衝突した時に生じたものだ。その後もああやって結界に攻撃を加えてやがる」
再生し続ける三夜月の守護結界の性質上、完全に破壊されることはないが、削られた分だけ後退を余儀なくされる。
どれだけの範囲で同じことが起こっているのか分からないが、人間の歩みほどの速さで結界が中継地に近付くように押し込まれてきていた。
ここだけの攻撃でこの速度はおかしい。明らかに別の場所でも同様の攻撃が行われていることの証明だった。
「猶予はない。イリスは機甲車で班員を連れ帰れ。許可はもらってある」
「ギル班長はどうなさるおつもりですか」
「俺は雪風様の小隊に組み込まれて、中継地前に集まった魔物の掃討にあたる。これを放っておいたらまずい」
イリスはジッとギルの目を覗き込み、ギルはそれに応えるように静かに頷いた。
「分かりました。私も必ず駆けつけますので」
「イリスが来るころには終わってるよ。お前らも心配するな。俺たち第13師団遊撃隊はあの程度屁でもねえよ」
ギルは別れ際に、班員に笑いかけてその場を去っていった。
「行きましょう。迅速に撤収しますよ」
イリスは有無を言わさない態度で荷物をまとめさせ、班員たちを機甲車に押し込んだ。
行きよりも速度を上げて開拓村ゼドルカードの基地への帰路につく。
乱暴な運転で体が何度も跳ねるが、誰ひとり文句を言わなかった。
不安を押し殺し、軍人たちの無事を祈った。
「学生さんたちは退避できたかな?」
「はい、俺の班員に任せておけば間違いないかと」
「それは上々だ」
ナディアたちを退避させたギルは、そのまま武器を手に雪風の属する小隊へと加わった。
ギルの目の前にいる雪風に加えて、30名の異能者が黒鉄の武具を手に結界に張り付く魔物を睨み据える。
ギルとは所属する隊こそ違うが、彼らも第13師団遊撃隊であり、領域開拓軍の中でもトップクラスの精鋭たちだ。誰一人、臆病風に吹かれてはいない。
寧ろ戦意は高められ、炎のように燃え上がっていた。
「諸君、先ほど情報が入ったが、魔物は三夜月の守護結界に多方面から攻撃を加えている。ここにいる魔物を掃討できたとしても、結界の後退速度を僅かに緩めるのが精一杯だ」
雪風は小隊員たち全員の顔を順に確認しながら声を上げる。
「ならば答えは簡単だろう?」
良く通る高く澄んだ声が歌うように隊員に尋ねる。
「全部ぶっ倒せばいいんですね、雪風様!」
軍人の一人がそう答え、隊員たちも呼応するように、はやし立てる。
雪風はそれに笑いながら頷き、拳を突き上げた。
「そうだ!僕たちの部隊で魔物の撃退数レコードを塗り替えてやろうじゃないか!」
「「「オオッー!」」」
高まった士気に押され、小隊は魔物の軍勢に突撃する。
雪風は法術師の中でも強者であり、率いる異能者も精鋭だった。
各地で発生した魔物の軍勢を十分に相手取れる戦力だった。
数刻後、ナディアたちが基地に帰投した時間。
結界はさらに削られ、彼女たちのいた中継地は魔物に蹂躙され、跡形もなく破壊された。
この時点で雪風率いる小隊との連絡は完全に途絶えた。




