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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(5)二つの小隊

 中継地点に戻るまでの間、魔物の襲撃はなかった。

 あの遭遇自体確率の低いことだったのだ。

 魔物の激減を機に領域開拓軍は魔物の掃討に力を入れた。

 各国の方針もあり、人の領域を一気に広げようとしていた。あんな底の浅い場所で魔物が出ることなどまずない。

 ギルは中継地にある無線で基地への報告を済ませてから、班員たちの待つ宿舎の食堂に顔を出した。

 今回の成果の確認のためだ。



「こういうのは役得だよな」

「全くです」

 今は夕食時であり、食堂には中継地にいる軍人たちが集まっていた。

 普段はバラバラの時間に食事をとるがこの時ばかりは多くの人間が集まり賑わいをみせている。 1班が持ち帰った食料のご相伴に与るためだ。


 ナディアたち一班は近年稀にみる優秀さを示した。

 具体的に言うなら規定数以上の食料をすでに採取してしまった。日程が後二夜も残っているにも関わらず。

 本来なら移動を含め三夜は使う予定だったのに1夜で達成してしまった。

 ギルも元々は班員たちだけに採取した食材を使った料理を振る舞うつもりだったが、量があるためケチケチせず中継地にいる全員に振る舞うことにした。


「学生たちの健闘に、乾杯!」

「ありがとよ、嬢ちゃんたち!」

 食堂に集まった面々は、口々に嬉しそうにナディアたちに声が掛かる。コルキアスはやたら自慢げに鼻を高くしているが、カルフィールやライノは恐縮していた。

 ナディアは言葉がちゃんと聞こえているのか分からないほど、そわそわしながら料理を待っていた。



「へい、お待ちどうさま。若い軍人さん!」

 班員全員が座れる6人掛けのテーブルに次々と料理が並べられる。

 テーブルを埋め尽くすほどに並べられた皿の上に、山盛りに盛られた料理のる。

 食欲をそそる香りが一層漂い、6人の目は釘付けになった。

「デザートは後で持ってくるから、ちゃんと余力は残しておきなよ」


「うし、食うぞ!野郎ども」

「おおー!」

 男たちが歓声を上げて食事に取り掛かる。

 軍人たちにとって食事は生命線だ。

 同時に娯楽の一つでもあった。

 今テーブルに並んでいるものは王族だろうが滅多に口に入らないような美味珍味だ。

 なまじその味を知っている分、軍人たちは大いに興奮していた。


 1班の班員たちも思い思いに食事を始めた。ナディアは先ず白いスープに口をつける。

「んっ……」

 口に入れた瞬間思わず感嘆が漏れた。

 濃厚でコッテリとしているスープだが、舌の上でサラサラと解けていく。

 このスープはこした甘露芋が使われていて甘みが強いが、全くくどくない。

 疲れた体に染み込んできて、体が喜びを上げるように震える。

 他にも採取した香草や果実のソースが使われた肉料理があったが、どれも肉の味を最大限に引き立てていた。

 生野菜のサラダや、ただ蒸しただけの温野菜も、口に入れるたび驚きが生まれるほどのおいしさを感じた。

 

 料理人の腕というより、素材を楽しんでもらうための調理の仕方がされている。

 軍人たちも言葉少なく、黙々と口を動かして笑い顔を浮かべ、料理を楽しんでいた。

 ナディアはその様子に、任務での達成感が今頃になって感じられ、気分が浮き上がった。

 開放感と相まって食事を進める手も早まるというものだ。


 デザートは単純に魔物の領域で採取したフルーツの盛り合わせだったが、これが出されたものの中で一番の絶品だった。

 氏族のナディアやコルキアスでさえ、こんなおいしい果物は食べたことが無い。

「うんめええぇ!なんじゃこりゃあ!」

 コルキアスはライノの顔に唾を吐きかけながら叫び、口に果物を詰め込む。5人も顔を緩め次々と口に運んでいる。

 他のテーブルはこのテーブルほどお行儀は良くなく、壮絶な奪い合いが展開されていた。


「すごいだろ?俺たちだって滅多に食えるもんじゃないからな」

 普段小食のカルフィールでさえそれなりの量を食べていた。顔はゆるゆるとして満足気だ。

 ナディアも小動物のようにシャリシャリと無言で食べ続けている。

 味わって大量の食事をとっているため、まだナディアの前にはフルーツが残っていた。


「明日は午後からもう一度魔物の領域で採取をしてから基地に帰ることになる。基地に帰ってからは休息日を作ってやるから、明日一日気張っていけよ」

 ギルはそう言いながら食後のコーヒーを啜る。本当は酒が飲みたいが、流石に学生の前では飲まない。

「そうですね。そろそろ別の班も合格が貰える頃でしょう。丁度いいかもしれません」

 イリスもコーヒーを傾けながらリラックスしている。


 人の気配に敏感な魔物に対して、大人数で行動するのは好ましくない。

 今回の任務の場合、接触の機会を減らした方がいいため、他の班と同時に魔物の領域に入らない方がいいだろう。

 掃討目的ならば別だが。



 ナディア以外がデザートを食べ終わったころ、外が騒がしくなる。どうやら中継地に小隊規模の一団がやってきたようだ。

 外で埃を落としてきた軍人たちがくたびれた様子で食堂に入ってくる。

 その内の一人がギルとイリスに気付き、近付いてきた。

 良く日に焼けた四角顔の男性で、体格も横に広く四角形に見える。

「ギル班長にイリスじゃないですか。どうしたんです、今学生の訓練指導員に……あ、絶賛指導中でしたか」

 軍人はナディアたちに気付いて視線を向けた。

 イリスが演習訓練の受け持ちになるのは珍しいと思ったが、女子二名がいたためだったのかと納得した。

 しかも二人とも容姿が良いというのは反則だ。ついついギルに嫉妬を込めた視線を送ってしまう。


「お前らはどうしたんだ?残党狩りだったんだろ。えらく早くねえか」

 軍人は弱ったように頬を掻いて答える。

「それがですね、魔物が全くいなかったんですよ。今度の結界拡大範囲より深部で釣っていたんですけど、うんともすんとも。だから戦闘もなく戻ってきました」

 ギルは「そうか……」と言葉を漏らして難しそうに眉をよせ、コーヒーの残りを啜る。

「お前ら『雪風』様が一緒だったんだろ。なんか言っていたか?」

「特には……というかあの人、体力ないから真っ先にバテていたしなあ」


「イリスさん、雪風様ってもしかして法術師ですか?」

 ギルと軍人は話し込んでいるようで質問するのが憚れたため、ライノはイリスに聞いた。

「ええ、凄腕の法術師ですよ。まあ、色々とありますけどね」

 イリスは何かを誤魔化すように濁したが、ライノは守秘事項なのだろうと深くは聞かなかった。


「というかギル班長、羨ましすぎですよ!俺がこんなに疲れているのに、めっちゃかわいい子たちに囲まれて、あやからせてくださいよ!」

 話が怪しい方向に転がろうとしていたが、ギルは取り合わず手を払うように動かす。

「アホか。お前のところも可愛い子いるじゃないか。そこに行けよ。いい大人が学生に変な色目を使おうとするな」

 イリスが刺すような冷たい視線を向けるがギルはポーカーフェイスで耐えた。カルフィールは笑いを堪えるように口元を手で隠す。

「あの子、雪風様の従者じゃないですか。というより雪風様以外眼中にないから絶対無理です。下手すれば頭を吹き飛ばされます」

 体を震わせて、拒絶する軍人にギルは苦笑いを漏らす。少なくとも1度はアタックしたらしい。恐ろしい目に遭ったようだが。

「まあ、どうでもいいけどな。取り敢えず飯食って来いよ」

「……後で紹介してくださいよ?」

 ギルは特に返事を返さずに軍人を下がらせる。


 人も増えてきたため席を空けようとナディアたちは立ち上がった。

「宿舎で寝るもよし、ブラつくのもよし。ただ中継地を出るなよ。土地勘がないから危ない」

 ギルからお節介を焼く父親のような言葉をもらい、この場で解散となった。

 学生たちは今日の演習で体だけでなく、精神的にも疲れが出たため直ぐに宿舎で休むことにした。ギルとイリスはまだ用事があるのか食堂に残るようだ。

 

 

 あれから数刻の時間が経ち、中継地の夜は深まった。辺りには虫の鳴き声が響くだけで人の声は聞こえてこない。

 明かりもほとんど落ちてしまっている。


 中継地の端にある明かりの薄い空き地。

 ナディアはその中で星を見上げていた。

 どこまでも広がる星の海に、時が止まったかのように見入る。

 この光景を、あの子にも見せられたらと同時に考えてしまう。

「(見せられたらというより、一緒に見たいのかな、私は……)」

 近況すら分からないため、あの子のことを考えると不安な気持ちになる。

 何の知らせもないのだから、元気でいると信じたい。

 

「こんばんは、お嬢さん。夜更かしかい?」

 ふと誰かから声を掛けられた。柔らかで子どものように高く弾むような声。

 周囲を警戒はしていなかったが、近くで声を掛けられるまで気付かなかった。

 

 ナディアが辺りを見回すと、丁度右手側から人影が歩いて近付いてきていた。

 身長は小さく、白いローブで体を覆い、煉瓦色のカーテンのように広がった前髪とその陰で顔は見えなかった。

 髪は長いが、どうやら男の子のようだ。

 こんな僻地になぜ、そうありありと顔に描いたナディアに、可笑しそうに微笑みながら小さな人影は答える。


「初めまして。僕は雪風の法術師、名は……まあ、名乗れないけど。外に人の気配がしたからつい好奇心で覗きに来ちゃったんだ」

 ナディアは突然の展開に混乱する。正規の法術師に会うのはこれで二度目だが、一度目の法術師同様、あまりらしくなさそうな人物に面喰ってしまった。

 法術師が自分より明らかに年下と思える姿をしていることに驚きを隠せない。


「えっと、こんばんは」

「うん、こんばんは」

 取り敢えず挨拶をしたが、相手は士族という特権階級である人物であることを忘れ、気の抜けたように話しかけてしまっていた。


「君は何をしていたんだい。ここは何もないところだよ?」

 詰問ではなく純粋な疑問として法術師はナディアに話しかけた。ナディアはまだ困惑気味だが、会話を続ける。

「星を見に来ていました。魔物の領域の星空は綺麗だって聞いていたので」

 そう言ったナディアはまた星を見上げた。

 法術師も空を仰ぎ、息をつく。

「確かにこれ程の星はここじゃないと見られないね。難を上げるならまだ人口の光があることだけど……」

 ナディアはそっと法術師の顔を盗み見る。

 表情など見えはしないのだが、見詰めているとなぜか違和感が湧いてくる。

 異能を高めれば判断できそうな気もするが、そこまでする必要は感じなかった。

 少なくとも悪い人には見えない。


「折角だし、本物の星空を見せて上げようかな」

 法術師はそう呟きを漏らし、指を鳴らした。

 光の殆どなかった空間から、更に光が失われ、全ての地上のものが闇色に染まった。

 この世界で今光を放つものは、星の瞬きだけだ。

 光の点の集まりだった空は、数多の色の砂を敷き詰めたような星の海に変わった。

 目の前に広がる幻想的な光景に、意識まで吸い込まれていきそうだった。


「星空には神様いる、なんて昔の人は言っていたけど……まあこれだけ綺麗な空なら、いたくもなるのかもね」

 姿さえ見えなくなったが、確かに人の気配はする。

「これは法術ですか?」

「まあね。限定的に地上の光を遮断したんだ。さっきより綺麗だろう?」

 


 幾ばくかの沈黙が続いた後、法術師は空から顔を逸らした。

「僕はそろそろ戻ろうかな。邪魔をしても悪いからね」

 法術師は身を翻してもと来た道を戻っていく。

「いえ、そんな……」

 ナディアの声に振り返って手をヒラヒラと振り、また前を向いて歩き去っていった。

 不思議な人物ではあったが、ナディアの知る法術師も掴みどころのない人物であったため、自然と受け入れられた。というより法術師だから不思議な雰囲気を持つのだろうかという疑念が生まれていた。


 法術師の姿を見送った後、もう少ししてから戻ろうとナディアは再び顔を上げる。

 法術はもう発動していないのか、先ほどより数の少なくなった星を眺める。

 確かに星の数自体減ったかもしれないが、この星空でも十分に幻想的だ。

 四半刻ほどその光景を目に刻み付け、ナディアも宿舎に戻った。




 まだ夜が明けきらぬ時間帯から、中継地は慌ただしく朝を迎え、動き出す。人がせわしなく動き、人々の表情には余裕がない。

 廊下を走る音が絶え間なく響き、人の怒号が飛び交う。

 宿舎のホールは血の臭いが立ち込め、床には鮮血が散っていた。

 タンカーで傷だらけの人が治療室に運ばれていく。

 陽気だった軍人たちは殺気立ち、身支度を整えていた。

 昨晩戻ってきた異能者たちはすでに黒鉄の武器で武装している。


 1班の面々も宿舎のギルの部屋に集められ説明を受けていた。

 ギルの顔は厳しく、普段とは別人のような威圧を放っている。イリスからも緊迫した気配が感じられた。

 何時の態度とまるで違う二人に、班員たちは身を固くし言葉を待った。


「まず、単刀直入に事実を伝える」

 ギルの口から出た言葉は、学生たちが予想したものの中で、一番当たってほしくない答えだった。


「魔物の大規模氾濫スタンピードが起きた」

 

 


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