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蒼の誓約  作者: 毛井茂唯
第3章〈アヤメ〉
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(4)魔物の領域6

※残酷な描写があります。

ご注意を。

 基地の外縁部で、これから魔物の領域での訓練に挑む学生4人と、訓練指導員の二人が集まっていた。

 ナディアたち6人は横一列に整列しており、姿勢を正したまま微動だにしていない。

 全員、白色に揃えられた厚めの生地の戦闘服に身を包んでいる。体に張り付くようなデザインだが動きを阻害することは無い。むしろ柔軟性や可動域は普通の服より上だ。

 異能者はその気になれば肉体の強化だけで刃さえ防ぐが、そんな防御に力を割くより敏捷性に力を使った方が効率はいい。

 動きを阻害する鎧を着るより、植物や虫などの被害から体を守るクロスアーマーの方が都合良かった。

 イリスはショートカットであるため必要ないが、長い髪を持つカルフィールは邪魔にならないよう、シンプルにポニーテイルで結い上げている。

 ナディアは髪を三つ編みにし、後頭部にシニヨンを作ってまとめていた。カルフィールに朝早くから弄られた結果だ。


 この場には6人以外にも二人の男性がおり、彼らは第13師団でギルより階級の高い上官にあたる者たちだ。

 声を張り上げているのは1名のみで、もう一人は口を開かず観察するように鋭い眼を学生たちに固定させていた。

 班員たちに声を掛けているのは、日によく焼けた瓦のような硬そうな顔をした男性だ。


「第13師団演習部隊1班。諸君に任務を言い渡す!」

「「はっ!」」

 ギルたちを含む6人は最も早く試験の合格を貰い、「第13師団演習部隊1班」という栄誉の名を賜った。訓練期間中のみだが、第13師団の兵士として名乗ることを許される立場となった。

 学生の身分だがこれからは師団の部隊として活動することになる。

 演習は任務形式ではなく、れっきとした任務で行われる。


「これより魔物の領域に侵入し、低層の森林部で食糧採取を命じる!」

「「はっ!」」

 しっかりと返事をしつつも、学生たちの頭の中はクエッションマークで埋め尽くされる。

 言葉には出なかったが、コルキアスなどしっかり疑問が顔に出ており、上官の男性はその顔を見て意地悪そうに口角を吊り上げた。

「疑問に思うだろうが、これも大切な師団としての任務である。全員心してかかれ」

 厳しい口調から一転、少し柔らく諭すように上官はいい残し、その場を去っていった。

 上官の背中が建物の影に隠れるまで見送り、ギルが肩の力を抜いて伸びをする。

「お前らも休んでいいぞ。俺から細かい説明はするが、まずは装備を整えるぞ」

 イリスとギルに先導され、6人は基地を出て開拓村に向かう。


 開拓村ゼドルカードの中は、訪れたときと同様、領域開拓軍の軍服を着た兵士ばかりで一般人は殆どいなかった。

 班員たちが開拓村の様子を見て回るのと同じように、村で作業をしている兵士たちも彼らをもの珍しそうに見ていた。


 実を言うと、ナディアたちはまだまともに村に出たことが無かったのだ。

 軍が学生の村の出入りを禁止しているからである。

 村には飲食店や娯楽施設はあるが、学生が出歩くには少し覚悟がいる。基地と違い目が届かない場所もあるので安全が保障できない。

 トラブルが起きても自己責任であるため、初めから禁止してしまっている。

 

 

 基地の壁から隠れて見えなかった魔物の領域は、村の中からなら見ることが出来た。

 開拓村の外には緑の大地が続き、林が広がっている。人が作ったと思える土が剥き出しになった街道も見えた。

 魔物の領域はここからかなり距離が離れているが視認できないほどの距離ではない。

 しかし神子の結界らしきものは見えなかった。

 微妙にではあるが、魔物の領域の辺りがピントのずれているような、霞がかった風景に見える。

「班長、あの林の向こうが魔物の領域ですか?」

「ああ、あの辺りが魔物の領域だ。ちょっと距離があるからな、結界をここから視認するのは難しい。だが何となく景色に違和感がないか?」

「はい、不自然にぼんやりとしているように感じます」

 ギルはライノの質問に答えながら班員たちを振り返り、全員が頷き返したのを見て再び視線を前に戻した。

「それが分かればいい。その説明も後でしてやる。言葉で言うより実際に見て感じた方が面白いぞ」


 それから道なりに5分ほど歩いたところにある、倉庫のような建物に着くまで6人は終始無言だった。

 少なくとも学生4人は緊張から表情が硬い。いつも気の抜けたような表情を見せるカルフィールも、今日は朝から余裕がなさそうだった。

 コルキアスは小生意気な顔を見せつつも、発言がいつになく真面目であり、ライノはいつも以上に眉間にしわが寄っている。

 ナディアも握り込んだ手にギュッと力を入れ、目を険しくさせていた。

 ギルとイリスは、そんな彼らの様子に気付いてはいたが今はそっと見守るだけだった。

 

 

 分厚い金属の扉をくぐり、建物の中に入ればそこは厳重な造りをした牢獄のような場所だった。

 窓には頑丈そうな格子が張られ、屋内に入ると鼻を刺激する錆のような匂いが漂っていた。

 ギルは金網越しに座る軍人の男に話しかけ、用紙を渡す。

 男は頷き、奥の扉の鍵を外し、人を呼ぶ。すぐに軍服を着た男性が現われ、班員たちを部屋の奥へと案内した。

 通路にはそれぞれ機械仕掛けの鍵のかかった扉がいくつもある。

 案内の男性は手元のリストを見ながらある扉の前で止まり、持っていたカードで扉の鍵を開けた。

 部屋の中は天井が低く窓もない。あるのは分厚い金庫のようなロッカーと中央の台座に並べられた武具だけだった。


「では、そちらの武具がリストのものになります。間違いないですか?」

「ああ、問題ない。ご苦労様。お前らも確かめてみろ。足りないものがあれば言えよ」

 ギルは班員たちを促し武具を確認させる。班員たちは思い思いにそれらを手に取った。

 

 ギルの手にしたのは鞘に収まった大ぶりの剣。柄と刀身の長さがほとんど変わらない武骨な片刃の武具だ。固定具で背中に担ぐ形で装備する。

 イリスが持つのは槍だが、その矛先は恐ろしく長い。大身槍と呼ばれるものだ。

 今は矛先に袋が被せられているが狭い屋内では扱い難そうに見える。

 コルキアスが持つのは自分の身長より頭一つ分長い棒で、太さもしっかりと握ることが出来る大きさだ。

 ライノの武具はイリスのものとは違い短めの槍だ。矛先は自身の上腕ほどの長さがある。

 カルフィールはメイスを手に取る。柄は太く、柄頭は重量感があり刺々しいデザインをしていた。

 ナディアはこの中では一番小さい武器を手に取った。

 歪みなく真っ直ぐに鍛えられた両刃の剣だ。中央には溝が掘ってあり独特の風切り音を響かせる。

 そう長くはない刀身だが、刃は鋭く模造剣にはない妖しく引き込まれるような輝きがあった。


 剣の刀身や槍の矛先は黒色に彩られており、これらの武具が黒鉄によって造られたことが分かる。

 皆思い思いに武具を装備し、点検を終えたところでギルたちに向き直った。

「問題ないようですね。では、行きましょう」

 

 

 装備を整えたナディアたちは、大型の機甲車に乗り林の先に進む。

 機甲車はカーキー色で、ゴツゴツとした四角い箱のような見掛けだった。

 マナの動力で動いているため排気はないが、機甲車からはふいごで火を燃え上がらせているような独特な駆動音が響いてきていた。

 機甲車の配備は領域開拓軍に限って言えばかなり進んでいる。自然の悪路でも荷物を運べるし頑丈な点も評価されている。

 一番評価されている点は、馬と違い連続移動可能距離が飛躍的に長いことだろう。

 男子は初めて乗る機甲車に興奮し、あちらこちら手を触れてイリスに小言をもらっていた。

 ちなみに運転をしているのはギルだ。苦も無くハンドルを操り機甲車を転がしている。

 カルフィールはお気に召さないのか、気分悪そうにナディアに寄りかかり蒼い顔をしていた。ナディアもそのおかげで初めての機甲車どころではなかった。


 少し熱さを感じるほど太陽が昇ったところで、ようやく魔物の領域の手前にある中継地に来ることが出来た。

 中継地には簡易的な建物が数軒並んでいるだけで、基地のような大規模な壁も無ければ施設もない。自然の中にある長閑な場所のように見える。

 開拓村のように定住目的ではないので、いつでも解体しやすいように拘った造りはされていないが、頑丈さはありそうだった。


 中継地から見える、遮るものなく広がった魔物の領域は異様だった。

 自然豊かな木々が目に映り、今まで機甲車で通ってきた人の領域と大差ない地続きの風景だ。

 しかし視界に映る景色は陽炎のように揺らいでいる。いや、揺らぎの少ない水の膜越しに景色を見ているようだった。

 揺らぎは壁のように横に広がり、端はどうなっているのか分からない。

 どうやら景色が揺らいで見えるのは近い場所だけのようで、遠い場所はただ景色に違和感を覚える程度だ。

 上部も同じような違和感があり、一体どれだけの高さがあるのか判断できない。

 これが、三夜月の守護結界だというのだろうか。


 班員たちも近付くことで見えたその光景に、息を飲んでいた。

「すごいわ……。本当にこれだけの途方もないことを、人一人の力で実現するなんて……」

「神格に近いっていうよりは、本当に黒の神子様って神様そのものだよな……」

 カルフィールとコルキアスは感心したようにため息を漏らす。

 彼らはたゆたうように揺れるその光景に目を奪われていた。



 中継地には他にも数台の機甲車が止まっていて、ギルはその横に機甲車を乗り付ける。

 班員たちはギルに連れられるまま中継地の中を進んでいき、そこにいる軍人たちに挨拶を交わした。

 演習中に泊まる宿舎により、荷物を置いてからまた外に出る。

 宿舎は思いのほか人が多く、雰囲気も明るかった。


 一通り準備を終えた後、ギルは厩舎で馬を二頭借りた。

 二頭はずんぐりとした鹿毛の馬で、あまり速く走れそうな感じはしない。荷馬車を押したりするのに使われている馬だ。

 ギルは班員たちに手伝わせ、子ども一人は入れそうな大きなカゴやスコップを馬に括りつける。折りたたまれた麻袋もカゴの中に入れていた。

 ナディアもおっかなびっくりと馬に触れ、目を白黒させていた。そんなナディアの様子にイリスが笑いかける。

「ナディアさん、馬に乗るわけではありませんから、そんなに怖がらなくてもいいですよ。彼らも大人しいですし」

 イリスはそう言いながら馬の首の辺りを撫でる。

 ナディアも遠慮がちに撫でるが馬の方はもっと強く撫でてよ、とでもいうように体を揺らしてきた。

 学府で暮らすようになってから、動物に触れる機会の少なかったナディアにとっては新鮮で、少し演習の緊張が解れていた。

 他の班員たちもよろしくと挨拶をするように馬たちを撫でた。



「よし。それじゃあ、いよいよ魔物の領域に向かうわけだが、今から今回の任務についての説明をするぞ。まあ、気楽に聞いてくれ」

 ギルは馬と戯れる班員たちに向かってそう言うが、班員は表情を引き締めギルに向き直る。


「ぶっちゃけ、芋掘りと果物狩りだ」

「へ?」

「わざわざ魔物探して戦わないから。遭遇したら迎撃するだけだ」

 ギルは当然だろ?というように班員の顔を見回すが、誰もそうとは考えていなかったようだ。

「そうなんですか?」

「お前ら学生だぞ?わざわざ魔物がいるような深部まで連れて行くか。というか魔物の掃討を考えるなら、法術師を隊に加えるのが前提なんだよ」

 ライノもそう言えばそんなことを教官から聞いていた気がすると思い出す。緊張のし過ぎで思い出すことが無かった。

「ただし、今から向かう場所も浅いとはいえ、魔物の領域です。今の時期は魔物が少ないため遭遇の可能性は低いですが、絶対に気を抜かないでください」

 イリスの忠告にそれぞれ頷き返事を返す。

「あの、どうして魔物の領域で芋掘りや果物狩りをわざわざするんですか?危ない場所なのに」

 ナディアの質問にギルが自慢げに笑いながら答える。

「魔物の領域は植物の生育が良い上に、色々な珍しい植物が育つんだ。特に今から取りに行く甘露芋、ツクの実、紅林檎などは魔物の領域でしか育たない天然の品種で滅茶苦茶うまい。しかし、俺たちは国に給料もらっているから、学生の訓練の建前でもなければ取りに行けないんだよ」

「要は美味しいものが食べたいだけです」


 ギルとイリスのなんとも力の抜ける話を聞いたところで、1班の面々は馬たちを引き中継地を出た。

 若干1名、喉を鳴らした気がしたが誰もそれには突っ込まなかった。音の発生源を確かめるまでもなく、誰だか分かったからだ。

 班員たちは笑いを堪えるように温かな視線をその人物に向けた。

 当の本人は「いっぱい取らなきゃ!」と使命感に燃えていたためその視線に気付いていない。



 土のならされた道を歩き、6人は結界、人の領域と魔物の領域を分かつ境界へと辿り着いた。

 風景が風に揺れているかのように歪んで見える。目の前にあるはずのものが、どこか遠い場所を見せつけられているように感じる。

「みなさん、結界に触れてみてください」

 イリスの言葉にナディアたちは怖々と結界に触れた。コルキアスなどは物おじせずに肘まで腕を突っ込んでいる。

 触れた指先からは殆ど感触らしい感触はしない。物質があるというよりは空気の密度がより濃くなったように感じられた。

「ちょっと不思議な感覚だな。何にもないけど、何かあるような……」

「んーそうね……て、わっ!」

 結界から指先を取出したカルフィールが驚きの声を上げる。

 結界に触れていた指先が、墨に塗られたように真っ黒になっていたのだ。おまけに手を入れていた空間にも黒い穴が開いていた。

 しかしカルフィールの指先の黒い色は瞬く間に粒子に変わり、空間に開いた黒い穴に吸い込まれていく。

 黒い穴はカルフィールの指先の色が完全に消えると同時に修復された。

 他の三人が触れていた場所も同じ現象が起きていた。コルキアスは完全に面白がって弄り回している。

「一見脆く思えるかもしれませんが、結界は魔物の体はおろか、知覚すら通しません」

「そして脆いっていうのはある面、正解だ。結界は壊れやすく作られている」

 ギルの言葉にコルキアスは両腕を入れたまま固まる。もしかして不味いことをしているのだろうか。

「結界は表層を破壊された分だけ内部に後退しながら再生するんだ。瞬く間に治るから知覚は難しい。コルキアスは安心していいぞ、そんな手でかき混ぜたくらいで結界は削れないからな。ただマナが揺れているだけだ」

「俺が先に入って索敵するから合図するまで待ってろよ」

 ギルはそう言って先に結界の中に入っていく。

 ずるりと体が景色に呑み込まれ消失する。ギルの体の大きさ分黒い穴が出来たが、すぐに塞がってしまった。

 30秒ほど待っているとギルの体が揺れる景色越しに露わになる。どうやら結界の厚みはかなりあるようだ。

 ギルは20秒ほどじっと立ち止まった後、手信号でナディアたちに合図をする。周辺に脅威となるものはないようだ。


 イリスが先に入っていき、それに続くように4人は意を決して結界に体を潜らせる。

 ナディアは何となく息を止めてしまったが、当然結界内でも息は出来る。

 結界内部は闇色に塗りつぶされているが、二つの景色はしっかりと視認できていた。

 前後に額に入った絵のように切り取られた風景が見えていた。前の風景はナディアが前に歩くたびに大きくなり、逆に後ろの風景は小さく遠ざかっていく。

 やがて後ろの風景が点となり、前の風景が視界いっぱいに広がったところで、ナディアの視界は急激に色を取り戻す。

 闇色が無くなり、濃い緑と抜けるような青空が広がっている。

 霞や揺らぎのないはっきりと見える景色だった。


「ナディア君が最後だね」

 ギルの言う通りナディア以外の班員は全員この場にいる。しかし学生4人は前ではなく後ろを見て目を大きく見開いて固まっていた。

 ナディアも釣られるように後ろを見る。


 人の領域からでは見えなかった、結界の正体がそこにはあった。

 地平線の彼方まで伸び、天を超えているように見える黒色の壁がそこにはあった。

 視界そのものを支配する黒のそれは、最早壁とは言えない。

 世界を分断する空間断層がその存在を4人に見せつけていた。



「あまりここで悠長には出来ません。感動は後にしましょう」

 イリスは檄を飛ばしながら五感を強化し、意識を波紋のように広げる。全力で強化すれば数千エーデル離れた獣の足音さえ拾う自信が彼女にはある。

 しかし今回は学生が主役だ。安全のマージンは取るが、任せるところは任せる。

「俺とイリスが交代で広範囲索敵を行う。指揮は俺がとるし、安全は保障してやるから今まで叩き込まれたことを実践してみろ」

 

 今までの連携訓練の成果もあり、お互いがお互いの能力を把握している。

 普段なら臨機応変に陣形を組むことが出来るが、流石に今は緊張があり、ぎこちない。

「ナディアが前衛で広範囲索敵、カルフィール、ライノ、コルキアス、イリスは中衛、俺は後衛を務める。前衛の索敵要員は短い間隔で交代させる。お前らに連続時間の索敵はきついからな」

 ギルはいつもの敬称は付けず全員を呼び捨てにする。言葉には気遣いが見えるが、普段の抜けた雰囲気はなく真剣だ。必要な用件だけをきびきびと伝える。

 イリスもギルの言葉に反発することなく頷いている。

 ギルは全員の肯定の意思を見て移動を開始した。



 魔物の領域に入って一番初めに目に入ったのは、人の手がほとんど入っていない植物の生い茂る平地だった。

 自然豊かな場所ではあるが、人の痕跡が無いわけではない。ある程度人が歩いたのか通りやすい道もあったし、明らかに道具を用いて伐採したであろう切り株もあった。

 移動速度は馬に合わせているため決して早くはないが、探査範囲は横に大きくしているため楽というわけではない。

 魔物の領域に入って半刻も過ぎていないが、学生たちには呼吸を整える場面が増えてきている。

 まだ見ぬ魔物の脅威さらされているため、普段より体力、精神力の消耗が大きい。いくら学生の中で練度が高くとも辛いものがある。


「ん?ギル班長、もしかしてこれですか?甘露芋って……」

 中衛で自由に動き回っていたコルキアスは地面から伸びる一本の蔓を発見した。事前に見せてもらった資料の植物とよく似ていた。

「お、それらしいな……ちょっと掘って確かめてみるか。ライノ、コルキアスは芋掘り、残りの班員は移動を止めて索敵に集中しろ」

 ギルの指示の後、ライノたちはスコップで土をどんどんと掘り起こしていく。

 穴掘りも学府の訓練で受けているため、二人のスコップ捌きはちょっとしたものだ。異能の力があるため要領が悪くともあまり関係ないと言えばないが。

 大体大きな根が掘り起こせたところでそれを掴み一気に引き上げる。土に埋まっていた甘露芋は鈴なりに実っており、一房に大きな実が6個も付いてきた。

「おおすっげえ!いっぱいついてる!」

 コルキアスがはしゃいでいるが、ギルは既に別の得物に目をつけていた。

「おい、ここにもあるぞ。この芋は一つ見つけるとその周辺に群生しているから採取が楽なんだよ」

「おっしゃあ!ガンガンいきますか!」

 コルキアスはやる気満々でまた穴を掘りだし、ライノも負けじと目を皿のようにして地面を見詰める。 カルフィールは呆れるというか、羨ましいというか、苦笑しながら男子たちの方に向けていた意識を索敵に戻す。

 カルフィールは周囲に感覚を飛ばしながら、同じ女子であるナディアに感心の視線を送っていた。

 ナディアは一人、広範囲索敵を十全にこなしている。

 五感に力を集中し、異能が高まっているのが分かる。

 戦闘時のような荒々しさはなく、凪いだ湖面のように静かで広い力の発露だった。


 カルフィールの視線に反応を示してはいないが、ナディアは確かに全力で索敵を行っていた。

 拡張された五感は刻々と変わる状況を正確に感じ取っている。しかし情報量が多く余りこの集中は長続きしそうにない。

 イリスが聴覚を特化して強化しているのに対し、ナディアは五感全てを強化しているためだ。

 精緻に集まる情報から必要なものを取捨選択し、感覚を研ぎ澄ませていく。

 そして、ナディアの五感はギルやイリスより早くある反応を捕えた。



「あっ!」

 この鼻に届くかすかな匂い。遠くに映る赤い光。


「ありました、班長!リンゴを見つけました!」

 ナディアは全力で果物を探していたのだ。



 その後もナディアの食いしん坊センサーとコルキアスのライノの穴掘りマシーンぶりに予定より早く採取が終わってしまった。というより採れすぎてしまった。

 ナディアはこれで広範囲索敵もしっかりこなしていたのだから、優秀と思っていいのか、食い意地が張っていると思っていいのか、微妙なところだ。


 まだ馬には荷物が乗せる余裕がある。学生たちも目に見えた疲労はない。

 イリスがギルに採取を続けるかどうか、話し合おうとしたとき、イリスの感覚に引っ掛かりがあった。

 イリスはその違和感のある方向に向け聴覚を集中する。

 獣の足音と息遣い。

 魔物の領域でも野生の獣は当然いる。だがイリスの顔は獣の気配に対して表情を厳しく変えていた。

「高速で真っ直ぐこちらに向かってきますね。……ギル班長」

「確認した。こいつは魔物だな。まさかこの時期に遭遇するとは、運がいいのか悪いのか……おい、お前らパターン1で臨戦態勢をとれ!敵は一体、距離950エーデル、後続にも500エーデルほど離れて1体接近中、あと30秒で接触だ!」

 班員たちは顔に一気に緊張を走らせる。同時に体が明らかに硬くなっていた。ギルはそれを感じて言葉を掛ける。

「安心しろ。相手は狼型の甲種だ。ちゃんと対処すればお前らの敵じゃない。異能は遠慮せず全力で解放しておけ。戦意高揚で緊張が吹っ飛ばせる」

 班員たちは頷き、それぞれ異能の力を引き上げる。

 ライノとコルキアスには一見変化はないように見えるが威圧感が増している。

 カルフィールは体から火の粉のような粒子が漏れ出し、紫色の瞳が輝きを増す。

 三人の体から熱い熱量をもった戦意が溢れ、固さが抜けていっているのが分かる。あまりこの感覚に頼ってばかりはいられないが、初陣で動きが悪くなるよりはずっといいだろう。


「ナディア、前衛行けるか?初めは様子見で俺がいってもいいぞ」

 ギルが目を向けたとき、ナディアも異能を引き出しているところだったが、やはり他の班員とは一線を画す威圧感を放っていた。

 外見上の変化はないが、空気が軋むように張り詰め、大きな力の胎動がある。

 普段の陽性の快活さは鳴りを潜め、獲物を狙う獣のような、冷徹な覇気に満ちている。 異能者は確かに戦意高揚で普段とは違った好戦的な自分となるが、彼女はそれがより顕著だ。

 纏う空気ががらりと変わり、まるで同じ容姿の別人のようにも思える。

 血潮は熱く、心は冷徹に。

 まるで血を求める一本の妖刀のような出で立ちへと変わる。

 彼女の場合、戦意や闘志というよりは殺意に近いものを感じる気がするが、ギル自身断言はできない。戦闘に向いているというのは純然たる事実ではあった。

 

「いえ、任せてください。いけます」

 ナディアが前衛となり、魔物に向き直る。ギルもナディアの言葉を受けて陣形を組み、迎撃態勢をとった。

 

 魔物の移動は単純で読み易い。

 ナディアたち兵科では狩猟を行う授業がある。建前は肉や毛皮を採取する技能習得のためだ。

 最大の理由は生き物を殺すということに学生を慣れさせることだ。

 動物の動きや習性は頭にある。

 野生生物は今感じ取れるような猪突猛進の動きは決して見せない。

 彼らのような捕食者が走るのは本当に短い狩りの瞬間だけだ。

 その狩りにしても無茶はせず、慎重に獲物を定めて狙いをつける。


 魔物が通常の感覚でも捕えられるほど接近したところで、ナディアは剣を抜き放つ。

 

 黒い毛皮に包まれ、筋肉によって肥大した体躯。通常の狼の二倍の横幅があり、地面から肩までの体高も1エーデルを超えている。 甲種と呼ばれる魔物は、生来の姿のまま魔物に成り代わったものだ。

 個体としての能力は、人間でいうところの一般人と異能者ほどの違いがある。生半可な相手ではない。


 狼の口から剥き出しにされた牙は長く鋭い。爪も大きく鋼の刃の様だ。

 視界に人間を捕え、更にスピードを増した魔物の歩みは、最早人の動体視力では捉えるのが難しいほどのものとなっていた。

 魔物の特徴である、幽鬼のように赤い光の灯った瞳は、深い増悪をナディアたちに向けていた。


 戦意高揚状態でもこの純粋な殺意の瞳には抵抗を覚えずにはいられない。現に中衛の三人は魔物を視認した段階で体に緊張が走り、肩に力が入っていた。

 最も魔物に近い場所に立つナディアは、観察するように魔物を見詰めるだけだった。

 自然体であり、淀みなく片手に剣を構え、左手のひらは魔物へと向けられている。


 魔物との距離が10エーデルを切った段階で、ナディアは体を前に倒し、地面を蹴った。

 軽い音と共に魔物の疾走を超える速度を生み出し、間合いは瞬時に零となる。

 衝突するかに思われたが、ナディアは慣性に従いながら体を滑るように逸らし、腰を捻る。

 上体だけで力を溜め、鋭い剣閃を走らせた。

 剣は魔物の喉笛に逆袈裟で入っていく。

 手に感じる手応えは、依然に狩りで獣を切ったときとそう大差ない感触だった。

 撫でるように引いた刃は、喉や動脈を切り裂きはしたが、首を落とすには至っていない。

 ナディアはすれ違いざまに更に体勢を変え、両手で剣を握り、追撃を放つ。

 振り下ろされた一撃は魔物の延髄へと叩きつけられ、魔物の太い首を圧倒的な力で切り裂いた。

 魔物の胴体は弾丸のように宙を真っ直ぐ横切っていき、地面に跳ねる。

 胴体と別れた頭部は高々と舞い上がり、胴体に遅れて大地に落ちた。

 

 魔物の体は総じて運動能力や感覚に優れ、体が異常に頑丈だ。

 通常の武器ならばその体に刃を入れることが難しいが、黒鉄の武器は違う。

 この金属はマナの含有率が低く、マナの干渉を受けない。逆にマナの構成そのものを破壊する。

 身体を強化していようとも、それがマナによってであるのならば、黒鉄はその事象に割って入り、押し砕く。

 これは異能者も例外ではなく、強力な武器であると同時に自身を傷つける弱点でもある。


「よくやったナディア!2体目、来るぞ!陣形をパターン3に入れ替えろ!」

 ナディアは下がり、前衛をコルキアスとライノに代わる。

 もう一体の魔物も完全に視認可能であり、接触までの間がない。

 二人は後輩にばかりいいところを持って行かれてなるものかと、気合を入れ直し、魔物に対峙する。

 現れた魔物は先と同じ甲種の狼型。殺意の塊のような突進を繰り出す。

「おらあぁっ!」

 コルキアスは体と棒を旋風のように回転させ、猪突猛進に襲い掛かる魔物にタイミングをバッチリと合わせて強力な一撃を見舞った。

 棒を受けた魔物の頭部は陥没し、目は潰れ、頭蓋骨を破壊していた。

 コルキアスは仕留めたと確信し、気を緩めかけるが、魔物から滾る殺気は全く緩んでいなかった。

 隙を見せたコルキアスに魔物が咆哮し、牙を向ける。虚を突かれたコルキアスの対応は遅れ、防御する暇もない。

 しかしここにいるのはコルキアス一人ではない。

 ライノは即座に反応し、魔物の心臓に槍を突き入れる。

 隙だらけだった魔物は避ける動作さえすることが出来ず、心臓を砕かれた。

「こいつ!」

 だが焦りを覚えたのは攻撃したライノだった。

 槍からこちらを押し返すような力が伝わり、足が後退させられる。

 心臓を潰したのにまるで衰えない魔物の突進に、体から冷汗が流れ出す。

 コルキアスは立て直し、魔物に追撃を加えようとしたが、背に感じる圧力に離脱を選んだ。

 ライノもコルキアス同様に魔物に蹴りを加え、槍を引き抜いて離脱をする。

 魔物は僅かに怯んだが頭部の陥没や心臓の破壊など意に介さず、敵を追おうとした。

 そして目の前に迫った「何か」を知覚した時にはすべてが終わっていた。


 

 ライノたちが離れた瞬間、突進の準備をしていたカルフィールが力を解放する。

 彼女に武術の心得は殆どない。

 ただ武器で殴りつけるだけだ。

 彼女にはそれで十分だった。

 

 異能によって一個の砲弾となった、カルフィールのメイスの一撃は魔物の鼻頭に叩き込まれる。

 長い鼻は骨格ごとめり込んでいき、力の勢いで狼の体は津波でも起きたかのように波立つ。

 彼女がメイスを振り切ったときには頭部は原型残さず爆散し、肉体は肉塊に変わり果て、巨木に衝突して亡骸を晒していた。


「ふふ、意外とあっけないわね」

 蒼銀の波立つ髪を揺らし、肉片のこびり付いたメイスを掲げながら、カルフィールは艶めいた微笑みを浮かべていた。



「ナディア、どうだ?」

 ギルは中衛まで下がったナディアに言葉を掛ける。一応結果は分かっているが、これも訓練だ。

「私の最大索敵範囲に魔物の反応はありません」

 未だ彼女は異能を高めたままであるため、言葉に温かみはなく冷え切っていた。

「よし、全員一度強化を切れ。イリスは引き続き頼む」

 ギルの言葉に疑問を覚える班員もいるが、全員武器を持つのに不自由しないくらいに異能を引き下げた。

 戦意の波が引いていき、頭が平時のようにクリアになる。

「体験として理解できたと思うが、魔物には野生が無い。人間を殺すというただ一つの意思で動いている。攻撃する力が残っていれば頭が砕けようと心臓が潰れようと襲い掛かってくる」

 ギルは亡骸を晒した魔物に視線を向ける。

 カルフィールたちが相手にした魔物はまさに言葉の通り、致命傷を与えても向かってきた。

 異常なマナの量によって死までの猶予が他の生物と違うと言っても、ここまで人間に憎しみをぶつけて来る生物の存在は不気味すぎる。


「言っておくがお前らの戦果は学生のそれではない。いつでも俺とイリスが手を出せるようにはしていたが、まさかここまで圧勝できるとは正直思っていなかった!」

「特にナディア!単独で魔物を倒しただけではなく、魔物の弱点である延髄を狙い打ったこと、その後の陣形での役割、どれをとっても申し分ない」

「…有難うございます」

 ギルの言葉を受けて、返事を返すが決して嬉しそうではない。手を強く握りしめ、魔物を切り裂いた感触を拭い去ろうとしていた。


 ナディアは魔物の亡骸へと視線を向ける。

 亡骸は熱せられた炭のように赤い光を宿し、黒い煙と燐のような光を立ち昇らせていた。

 すでにほとんどの血や肉は煙に変わり、骨を晒している。

 思えば首を切り裂いたとき、ほとんど血が流れていなかった。


「恐らくはぐれだろうが、要らん危険を背負い込むことはない。中継地に撤収するぞ」

 ギルの言葉に反対する者はなく、それぞれ武器を収め、帰り支度をする。

 ナディアも剣を鞘に納め、馬に荷を積めるのを手伝う為に動く。

 作業をしながらも、まだ煙をはく魔物の亡骸が視界に入り、顔が暗くなってしまう。


「魔物は地上の生物としては異端です。その在り方も、性質も、不明なことが多すぎる」

 周囲を警戒するように索敵していたイリスがナディアの横で言葉を漏らす。

「ただ、人の敵であることは明らかです。あなたがやったことは間違ってはいませんよ」

「……はい」

 魔物に対して罪悪感を持つことは、これから先歩む道を考えれば早く無くした方がいい。

 それは分かってはいるが、どうしてもそうは思いきれなかった。


 多くの魔物を屠っていけば、この感情も消えてしまうのだろうか。

 それは、ひどく人間的ではないことのように思えた。



 やがて魔物の体は光と煙を出しつくし、僅かに灰だけを残して姿を消した。


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