1.価値のない行為
セドリックは途方に暮れていた。
うっかり気になった扉を開いたら大惨事。ここに至るまでのことを考えるのも面倒で、簡潔に彼が置かれている状況を表すなら――カティと引き離された、ということに尽きる。
殺人事件の第一発見者であることも、重要参考人になったことも。
ついでにホテルが閉鎖状態になっていることさえ、彼にとってはどうでもいいことだ。
カティが、愛しい彼女が。
強引に、無理矢理に、有無を言わさず連れさらわれてしまった。
やましいところはないからすぐに開放されるだろう、セドリックもそうだった。しかし彼女の心に大きな傷を残すかもしれない。それを覗き見て暴き立て、指摘するというプレイは楽しそうではあるので悪くないが、しかしだ。疑われる、という状況だけは我慢ならない。
「このボクが! この魔人セドリック・フラーチェが!」
閉鎖空間となったホテルのロビー。
数人の、当然体格のいい捜査員が行き交い、一回のロビーに集められた全宿泊客を監視しているこの状況下。彼は、周囲から向けられる奇異の視線も物ともせず。
「意味もなく人を殺すなんて、そこまでの価値があるとも思えない俗物を殺すなんて、そんな時間と労力の無駄遣いをするわけがないじゃないか! バカも休み休みにしてほしいね!」
ひどく苛立った様子で、そんなことを叫んでいた。
彼が数時間前、うっかり開いた扉の向こうには死体があった。その部屋に宿泊していた男の刺殺体だ。めった刺しで、失血性のショックだか何だかで死んだらしいと、セドリックはこの国の司法を取り仕切る組織の捜査官とやらに聞いているが、細かいところはどうでもいい。
それより、疑われて今もチラチラ監視されているというのが気に入らなかった。
男はこの国の重要なポジションに居る家の当主。
当然ながら貴族だ。
どうやら彼も例のオークションの参加者で、冷やかし程度に見ていったらしい。
そういう客は珍しくはないが、セドリックは写真を見て見覚えがあると思い出した。場違いなほど女を数人ほど侍らせていた、世間も世界を知らないバカがいたことを。なんだアレが死んだのかと思うと、関わりもないのだが少しすっとする。ああいう輩は嫌いだからだ。
しかし世間一般的に、彼はかなり『好ましい』とされていたらしい。
――まぁ、ボクの感覚がズレているだけだろうけどね。
話を聞きながら、セドリックはそんなことを思う。
セドリックがひと目で嫌った件の被害者は、意外にも普通に慕われる人間だった。
彼はかなりの『やり手』として知られ、傾いていた家を若くして継ぎ、たった一代で立て直した実力者と有名だそうだ。まったく縁も何もないので、セドリック的にはどうでもいいが。
その立場にしては下々から慕われていて、その突然の死を惜しむ声は大きいという。
特にこの地域を管理する領主と、かなり親しい関係なのだとか。つまり、絶対に犯人を逃すな捕まえろいう命令が、それこそ嵐のように下の者へ注がれているというわけだ。
現場は、何が何でも捕まえてみせる、という状態である。
これもセドリックにとっては、心底どうでもいいことであるが。誰が死のうと生きようと殺されようと生き残ろうと、自分には一切合切関わらないのだから知ったことではない。
事件に巻き込まれたことよりも、被害者の素性よりも重要なこと。
結局はカティだ。
彼女がいないということが、あまりにも苦痛で仕方がない。
「……カティに会いたいなぁ」
現在、自分と入れ替わるように取り調べを受けている彼女。その安否が不安だ。屈強な数人の男に連れて行かれた最愛の人、何よりも愛しい自分の理想――大切なドール。
リンゴを両手で握りつぶせる程度の力しか出せない華奢な腕、ガラスを踏んでも逆に砕き返してしまう程度の柔らかい肌、そして物静かでおとなしいごく普通の少女である彼女が。
「何かあったら、あぁ、カティになにかあったら……っ」
うわあああああ、と頭を抱えるセドリック。
不安で不安で、心配で、もう今にも気が狂いそうな気分だった。
今すぐに彼女を救い出さなければ。
そう、今すぐにでもこの『武器』を使って――。
「何をしているのですか、セドリック」
思わず取り出しかけた愛用の武器、だがその前にずっと聞きたかった声がする。ばっと振り返った先には、いつも通りの無表情を浮かべた黒髪の少女。セドリックの最愛、カティだ。
その姿を見た瞬間に、セドリックは脱力する。
よかった、という安堵が全身を支配した。
そんな主の姿にカティは、さらに力を奪うようなことを告げる。
「先ほどもう一人、重要参考人が連行されてきたそうです。他所のホテルから」
「へぇ、じゃあそれが犯人?」
「……その人は同行者の肌を食い漁っていたとか。血に塗れた状態を目撃されて、ホテルは大騒ぎになったそうです。もっともその同行者はピンピンしていますし、笑顔で同意の上の行為だと主張しているそうで。二人共もうじきこちらにて、監視下に置かれるそうですよ」
「あの……ちょっとまって、まさかそれってまさか」
はい、と主の言葉にカティは小さく答え。
「偉大なる魔人にして『悪食王』――アルヴェールです」
聞き慣れた友人の名を、口にした。
■ □ ■
「キミは存外バカだったんだね、アルヴェール。少しは我慢したまえよ」
笑いをこらえて震えるセドリックの声に、アルヴェールは睨みを返すことしかできない。
悪食王、という呼び名通り、このアルヴェール・リータという名の魔人は、普通の食事意外にも趣味の悪い『好物』がある。それはマルグリット・リータという名の――彼の妻だったが魔女に至らず、永遠に死ぬことができない『不死人』となった女性である。
燃やし尽くそうとも、その灰からゆっくりと蘇る不死人は、不老不死の妙薬として取引されることが多い。ゆえに秘密裏に捕らえ、売り飛ばされるということが少なくなかった。
だがこの地にそこまでの知識がある者はいないようで、マルグリットは丁寧に手当された後にこちらへと移動している。黒い喪服のようなドレス、その袖から覗く手首や首に包帯が巻かれているのがカティには見えた。まだ何もしていないというアルヴェールのつぶやきから察するに、どうも朝っぱらからお楽しみをしようとしていた、その直前のことだったようだ。
だがホテルで流血はまずいのではないか、とカティは思う。
「ご心配ありませんわ、カティ様。外出先ではお風呂でやりますもの。それもいつもは指先にちょっと傷を付ける程度ですのに彼ったら、もっとほしい、なんて言いましたの……」
「……なるほど」
にっこり、と恥じらうように頬を染める女性がマルグリット。淡い色の茶髪を伸ばし、優しげな笑みを作って静かに夫を見ている。彼女と目があったアルヴェールは、すっと視線を外してそっぽを向いてしまった。それを見たセドリックが、身体を揺らして笑いを堪えている。
聞いた話によると、引き離されそうになった時にいろいろあったらしい。
いろいろ、の中身は聞いていないが、恋を知った乙女のように嬉しそうにしているマルグリットを見ていると何となく見える。おそらく彼女を奪われまいと抵抗したのだろう、と。
普段はそうでもないが、アルヴェールは妻をとにかく束縛するタイプだ。小さな子供が母親など親しい年上の女性を求めるような、そういう感じかもしれない。彼はマルグリットなしには生きていけないだろうとカティは思う、セドリックがカティを失えないことと同じように。
――相変わらず、彼の独占欲はセドリックと同じかそれ以上ですね。
本人に言ったらどちらも否定しそうだが。
マルグリットとカティは、お互いやたらと構ってくる束縛系の伴侶とパートナーに悩まされる仲間である。問題があるとすれば、マルグリットはあらあらまぁまぁとすべて受け入れてしまっていることだろうが。カティにはあそこまでの許容力と包容力はない、今は。
一時期は『元夫婦』という名の『主人と奴隷――食物』となっていた、この二人の関係はゆっくりと変異している。かつて、永遠に死ねなくなった彼女を守るためにその血肉を貪って永遠を得ることを決めたアルヴェールと、自分を食し永遠を得てほしいと願ったマルグリット。
それゆえに夫婦でも、元夫婦でもいられなくなった彼らは、だが本当にゆっくりとではあるけれど元通りになろうとしている。長い時間で頑なになった関係を変化させている。
相変わらず彼女のために悪食は続く、けれどアルヴェールはマルグリットを名前で呼ぶようになった……らしい。二人っきり限定のようで、今のところカティは聞いたことがないが。
だが、彼の目は優しくなった。
同時に束縛が一気に強くなったようだが、まぁ、これはいいことなのだろう。
ほんの少しおせっかいを焼いたカティからすると、すべて嬉しい変化だ。これで張り合うように自分の主がくっついてこなければ、カティはもっと喜べるのだが。難しいところだ。
「とはいえおめでとう、これでボクらと等しく監視対象だ」
くっくっく、と肩を揺らすセドリック。
アルヴェールは睨み、だがやはり何も言えないようだった。
「まぁ、しばらく動けないからね、暇つぶしでもしようか」
「暇つぶし、か……お前の『暇つぶし』はろくなことにならない予感しかしないが」
「そこまで悪趣味じゃないさ。この事件のことを、少し話してみようと思っただけだよ」
「事件のこと……そういえばこの事件、どういうものなのでしょう。わたくしとアルヴェールは特に何も教えられないまま、ここに連れて来られましたので、死人がいるとしか」
「じゃあ、そこから説明していこうかな」
「まぁ、それは楽しそう」
楽しそうに笑うセドリックと、興味を示すマルグリット。この二人はどことなく、似ているような気がしている。元々マルグリットはセドリックと同じドールのコアの専門家であったそうだから、そういう意味では夫のアルヴェールより話が合うかもしれない。
アルヴェールが何だかんだいいながらも、セドリックの無茶ぶりに答えてしまうのも、案外そこら辺に一因があるのではないかとカティはぼんやりと思った。
それは似ているからではなく、セドリックに張り合っているだけかもしれないが。




