2.恋するメイドさん
港について馬車に乗り換える。
街を繋ぐものではなく、仕事先から派遣された上等な馬車だ。
船員におろしてもらった荷物を詰め込み、揺れの少ない馬車に揺られて数時間。少しばかり空に赤みが増した頃、セドリックとカティは目的地である、とある屋敷に到着する。
年代を感じさせる佇まいは、一族が古い時代からそこに在ることを示す。
丁寧に磨かれた門扉を通り過ぎ、庭師がせっせと整えた庭を横切り。
数十年ぶりに、セドリックはその屋敷の前に立った。
カティは、初めて見た場所だ。当然だが。
「ようこそお越しくださいました」
いかにも執事、といった装いの男が、二人に向かって深く一礼する。白髪交じりの髪を丁寧に整えた、温和そうな顔をした初老の男だ。彼の背後には、おそらく人間なのだろう数人のメイドが控えている。当然、こちらも深く頭を下げたままの体勢だ。
ふと、思う。
これだけ人間の使用人がいるのに、ドールを抱えている理由について。ドールは所詮人間の模造品なので、よほどうまく調律しなければ人間を相手するより面倒なものだ。
よく言えば正直でまっすぐ、しかし悪く言うならそれこそ罵詈雑言が並ぶ。
例えば、そう。ドールには人間が言うところの無意識がない。あってもヒトのそれよりもさらに希薄だし、使われることがないものだ。あえて仕込まない限り、存在しない。
しかしヒトはその無意識で、様々なものを処理する。
その『様々』がない、というズレは、人間が多ければ多いほど大きくなる。ドールばかりならまだやりやすいのだと、カティは前に聞いたことがあった。それはヒトじゃないという思いを持てば、命ずるだけでいいので楽なのだと。所詮、ドールは道具なのである。
「夕食は主夫婦がお戻りになってからでよろしいでしょうか」
「構わないよ。船の中で軽く食べておいたし。あぁ、でも彼女のために軽くお茶がほしいところかな。ありあわせでいいから菓子も欲しい。人手はいつも通り、必要ないよ」
「かしこまりました」
恭しく一礼し、男は扉を開く。
カティは静かに歩き出したセドリックの、少し後ろをついていく。
屋敷の中はどこも綺麗に磨かれていて、品のいい飾りが目に心地よい。仕事の関係で貴族や金持ちの屋敷に出向くことが多いセドリックについていくと、それだけ多種多様な整え方をされた『屋敷』を見るのだが、その中でもここは特に素晴らしい場所だと思う。
誰かがコーディネイトしているのかもしれないが、センスがいい。
――ごてごてと高そうなものを並べてるだけの屋敷と、比べるのは失礼ですね。
以前出向いた、成金貴族、などとセドリックが呼ぶ相手の屋敷を思う。とにかく金をかけまくったのだろうなという内装、並びにそれが普通だろうという傲慢そうな主の態度を思い出して気分が滅入った。そういえば、あの屋敷のメイドはやけに露出が激しかったきがするし、中には娼婦かと思う蠱惑的な美女もいたが……まぁ、そういうことだろう。
それに比べると、先ほど出迎えたメイドはなんとメイドなことか。
足首より下しか見えていないに等しいエプロンドレス。清潔そうに整えられた髪。客人をじろりと眺めるようなことをしない様子は、とても好感を持てる。
教育が行き届いている、ということなのだろう。
「それでは、後ほどお茶などをお届けに上がります」
目的地の前で、男は一礼すると去っていく。少し古めいた扉、ここがどうやらセドリックの仕事場となるらしい。さて、とセドリックは扉のノブに指を絡めていく。
そして、彼は屋敷の隅っこにあるその部屋へと、足を踏み入れた。
■ □ ■
起動停止したドールが押し込められた、ドールの保管庫。
その部屋には、一人の少女がいた。
メイドの衣装を身につけた、栗色の淡い色をした髪の。
「……やぁ、久し振りだね」
可憐な見目をした、ドール。
立派な椅子に座った、それはとても美しい形をしていた。
いくらでも美を作り出せるドール、ということを差し引いても美しい。言葉が出なくなるほどに綺麗だった。寝顔、死に顔とも言える、目を閉じたその姿が。
部屋の中には機材が幾つか置いてあり、セドリックは着込んでいた上着を脱ぐ。
カティは、自然とそれを受け取った。
壁に止めてあるコート掛けに引っ掛ける。
その間にセドリックは袖をまくり、機材のチェックを始める。掃除はされているらしいのだが、おそらくこれを操作しているのはセドリックだけだ。どこに何があるのかも把握しきっているのだろう。……そもそも、この部屋に入る人間などいないのではないか。
そして、カティは機能を止めたままのドールを見た。
おそらく、この部屋を整えているのは彼女なのだろう。
ドールは規則正しい。命じられたまま、定規で線を引くようにまっすぐ動く。これはここに置いておくようにといえば、掃除で動かしてもぴったりと元通りにしてみせる。
それもあって、使用人として使うドールの自我は削がれることが多い。自我があるほどドール個人、いや個体の『個性』が生まれ、機械的に振る舞うことがなくなるからだ。
個性を与えたドールにそれを強いることはできる、だが調律の時に取り除かなければいけないノイズも増える。人間と同じだ、命令されたらストレスを感じるのだ。
そんな、無駄な人間らしさを思い出しつつ、カティは命じられる前に調律に必要な道具を棚から引っ張りだす。まず機材とドールを繋ぐコード。色で分けられているそれをドールの腕の人工皮膚に爪をめり込ませてめくり上げ、顕になった穴に刺していく。
反対側を機材に繋ぐ間に、セドリックが機材を起動させる。
ぶぶ、と低く虫の羽音のようなものが一瞬聞こえたかと思えば、淡く光る半透明の板がぶわりと宙に現れた。そして、コアに刻まれた音色が、その板に映し出される。
譜面、と呼ばれる音の並びは、しかし五線紙ではないものの上に踊った。
――自鳴琴の板を、細長くした感じに見えますね。
ドールとして存在するカティだが、譜面を見ることはあまりない。
セドリックは基本的に一人での作業を好み、カティはもっぱら食事などのサポートにまわるからだ。当然、調律師の中にはドールを助手としている人も、少なくはない。
背後のカティなど気にならない様子で、セドリックは早速作業を始めた。
ここまでくると、彼女にできることは少ない。
知識があれば補助もできるが、あいにくカティにそれはない。
カティは、適当な椅子にすわって、作業が終わるのを待つことにした。しばらくすると扉がノックされて、お茶をお持ちしましたと、メイドがワゴンを押して部屋に入る。
ほんの少し手が止まるセドリック。
カティは、彼女にあとは自分がすると告げて、退室させた。
「……やっぱ、カティ以外がいると気が散るね?」
ぎしり、と椅子の背もたれに身を預け、セドリックが言う。カティは一緒にいすぎることもあって、気配がまったく苦痛ではないのだという。いるのが当たり前、らしい。
告白のような言葉に、カティは何も言わない。
反応するだけ無駄だった。いつものことだ。代わりにお茶を入れて、休憩を促す。移動から移動を重ねて、セドリックだって疲れている。数日の滞在予定だというし、今日で全部片付ける必要があるわけでもない。今日はチェック程度にし、無理は控えるべきだ。
わかってる、と言って、セドリックが立ち上がる。
カティが座っている部屋の隅のテーブルセット、そこに移動して菓子をつまむ。
この部屋に必要ないこのテーブルと椅子は、セドリックが置いておくようにいったのかもしれないと思った。彼は、基本的に機材の側で飲食の類はしないから。
「ところでセドリック、一つよろしいでしょうか」
「ん? なぁに?」
「ドールは彼女だけなのでしょうか、それとも『今は』一人なのですか?」
部屋を見回しながら問いかける。そう狭くはない部屋は、ドール一人に与えるには少しばかり広すぎる。機材などに場所を取られるとはいえ、テーブルを入れられるのだ。
うまくやればベッドさえ入りそうな余裕もある。
最初、他にもドールが調律待ちなのかと思っていたが、どう見ても無い。
ボディはもちろん、コアさえも。
あぁ、と彼は紅茶を飲みつつ答えて。
「彼女しかいないよ。少なくとも、常に屋敷にいるのはね。この部屋がやたら広いのは単純にここしかあいてる部屋がなかったから。前はそこにベッドがあったけど、さすがに捨ててしまったらしいね。まぁ、寝心地よくなかったから、客間ばんざいって感じだけど」
さく、と菓子をかじる。
「夜会とか、まぁ、ああいう席にドールを用意することはあるそうだけど、常に屋敷に置かれているのはこの子だけさ。数百年前のアンティーク。マスター・エンゲルスの傑作」
「……マスター・エンゲルス?」
「だいぶ前に亡くなった人形師、魔人だ」
そして。
「ボクの師でもある」
だからだよ、と答える声に、カティは一つの納得を得る。
そう、だからセドリックが呼ばれたのかと、腑に落ちた感じだ。
マスター・エンゲルス、そう呼ばれる魔人のことを、カティは知っている。すでにこの世にいない人で、とても優れた人形師であったと。弟子が多い人であるとも聞いていたのだが、まさか彼が、セドリックがその一人であったというのは驚きだった。
――彼は、あまり昔の話をしませんし。
そもそも師は亡くなっていて、話すきっかけもなかったけれど。
足を組みながら、どこから話そうかな、とセドリックはつぶやいている。
赤い瞳が、くるりくるりと迷うように動いた。
「彼女は、ボクの師の作品の一つで、特に大事にしていたものらしい。最初、彼女の調律をした時に驚いたよ。あぁ、あの人はボクよりずっと高みにいた人なんだなって」
勝てないね、と素直に負けを認めるセドリックは珍しい。
音の並べ方につなげ方、譜面を手癖で整えるその感覚とセンス。当時のセドリックはもちろんのこと、今もそれと同じ水準のものを持っているか、自信はないという。
「あの人はボクを『稀代の人形師』だ、天才だなんて言ったけど、ボクからするとあの人のほうがよっぽど天才だったよ。ボクがしたのはノイズを取ることと……汚したこと」
「……汚し、ですか?」
彼の言葉に、カティは少し首をかしげる。
別の調律師が整えた音色をいじることをそう呼ぶのかと、そう思ったのだ。しかし調律師の大半が人間であるからには、人が作ったものに触れない調律師などいないだろう。
それをいちいち汚し、だなんて言っていたらキリがないのではないか。
「違う、違うよカティ」
セドリックは苦笑する。
そして手元を操作し、ドールのコアに刻んだ譜面の一部を見せた。
一見すると、素人目にも綺麗に整った音色だ。セドリックの癖ががないから、これが彼の師であるマスター・エンゲルスのものなのだろう。敵わない、と彼が言うだけあってすごくよく出来ていると思う。このドールは、かなり綺麗な音色を与えられているようだ。
「ボクはこれを汚した」
「……なぜ、そんなことを?」
「それを望んだから、彼女がボクに」
ここだよ、と見せられた箇所、指で示された場所を見る。そこには、確かに他と違う流れの旋律が刻まれていた。これもこれで綺麗ではある、だけど他から浮いてもいる。
「これは、どういう意味があるものなのですか」
「忘却かな」
ここで旋律は乱され、消される。記憶を破り捨てる。リセットする。毎日、ここで起動停止した瞬間に行われるデフラグメント。言われ、カティはさすがに戸惑った。
それをする、具体的な理由は意味が思いつかなかったのだ。
けれどセドリックは苦笑するように言う。
彼女の主は、家を継ぐ予定の若い青年。もうじき相思相愛の婚約者と結婚する主。彼女を病気がちの妹の話し相手と世話係として買い求めた、数百年前に生きて死んだ人に。
「彼女は、恋をしてしまっていた」
セドリックの言葉に、カティは目を見開いた。




