1.海の上にて
セドリックの仕事は、依頼を受けるところから始まる。
その注文通りの音色を調律して、相手に提供するのが彼ら調律師のすることだ。内容は多岐にわたり、カティ程ではないがそれなりの自我や自立を持った音色を要求されることもあれば、特別な仕事に従事させるためにそれに特化したものを、という場合もある。
多くの場合が後者に属し、そこからもドールが道具以外に使われることがほとんどないことが分かる。カティのような存在は、多くの人にとっては想像の範疇を超えるだろう。
しかし、それでもヒトに近いドールを求める層は、確かにあった。
ドールは音色、つまり魂を刻む『コア』と、コアを収める肉体である『ボディ』に分けられるのだが、ボディのパーツなども多種多様なものが存在する。例えばカティのボディは飲食可能なもので、無機物で構成されているが仕組みそのものは人間と同じだ。
赤くうねる舌には味覚を感じる力があり、食べたものは『消化』する。
その先も人間と同じなのは、セドリックの趣味の産物だ。とはいえそれは悪い意味ではなく、彼はカティをヒトと見紛う存在にしたいのだから同じにするのは当たり前だった。
彼女にできないのは『母になること』だけだろう。
それすら、魔人や魔女のちからがあれば、いずれは叶うのだろうが。
ちなみに行為そのものは現状でもできなくはなく、娼館の類にはそういう仕事に従事するドールがいる店もあるという。たまに、セドリックが仕事で出向くこともあった。
そんな仕事を魔人が、という人もいるのだが、セドリックは貪欲なのだ。
カティ達ドールは日々のいろんなことで音色を蓄える。しかし、人間なら無意識の裏側で勝手に整理――調律されるそれは、自力でどうにかできないものだった。
そこで調律師が必要になる。その時、彼らは心の奥底を見るのだ。そのドールが自らその手に握った音、音符。それを時に譜面通りに、時に手癖で整えるのが調律である。
要するに、カティの糧になるのだ。
譜面とは何も一つではなく、同じ喜びの感情にも多種多様な種類がある。調律師にとってもっとも必要なのは、見知った『譜面』の種類だ。その多さが、操る音色の幅になる。
娼館などに仕事で赴くのも、送られてくるコアの調律依頼を受けるのも、彼からするとすべてカティのためだ。そこにある音色という参考文献を、カティを育てる栄養にする。
極端にいうと、彼の日々のすべてが、そう。
――わたしのための、時間。
それはありがたいことかもしれない、彼がいなければカティは動けない。けれど申し訳ないとも思う。本人が望んでいることとはいえ、彼の魔人としての時間を吸い取るのが。
調律師として引く手数多な彼の、一番その手をわずらわせているのはカティだ。
他のどれよりも念入りに、彼はカティにメンテナンスを施す。
もっとも、だからといって仕事に手を抜いているわけではない。単に、カティに使われる時間が更に長いだけだ。それは、今日というこのタイミングでも変わらない。
「はい、これでおしまい」
引き抜かれるコードの音とセドリックの声で、カティの『夢』は終わる。
調律中、ドールはしばしの眠りと夢を見るのだが、それが終わってすぐは意識がぼんやりして一瞬状況を飲み込めない。カティもまたそのせいで、ぼーっと天井を見つめる。
見慣れない天井は、自宅ではないことを伝えた。
そして、自分が調律されていたことを、そういえば、と思いだし。
「ぼーっとしてるカティかわいい……」
主の体重の重さに、ぐえ、とうめきそうになった。
調律後のぼんやりしているカティを、セドリックはとても気に入っていて、ぎゅうぎゅうと抱きついて抱きしめてのしかかってキスをして、それからたまに脱がしにかかる。
もっとも、脱がしたところで何かできるわけでもないのだが。
それに脱がす途中でだいたい夢の余韻は消えて、そのまま手刀を見舞う。
今日は抱きついて擦り寄るだけなので、そこまでする必要はなさそうだった。
「んー、名残惜しいけどそろそろ起きて」
もうすぐ港につくよ、と。
ひとしきりカティを堪能したセドリックは、傍らの旅行かばんを手にした。ちらりと赤い瞳が向いた窓越しに、眩いほどの青がきらめく。空と海だけが、そこにあった。
ゆぅら、ゆぅら、と足の下が揺れている。
それも当然のことで、二人は現在、海の上にいた。
大陸すら異なる場所に向かうための、数日かけた船旅である。その前に馬車と列車に揺られた時間も含めると、そろそろ自宅を出発して十日ほどになるだろうか。
セドリックは貴族を中心に顧客が多く、彼にしかできない細やかな調律もある。
それゆえ、遠方まで『出張』することも少なくない。
これも、そんな仕事の旅だ。
かんかんかん、と音を立てて金属製の階段を昇る。
視界に、青が満ちていた。
「風が気持ち良いね」
「はしゃぐのもいいですけど……落ちないでくださいね」
「そんな子供じゃないよ」
ふふ、と笑うセドリックの、黄金色の髪が風に踊っていた。
普段は黒一色で服をまとめがちな彼だが、金髪ということもあって青が似合う人だとカティは常々思っている。瞳が赤なので、どちらかというと赤の方が映えるのだろうが。
「港はもう少しだね」
久しぶりだな、と。
セドリックが髪を抑えながら、少し目を細める。
その視線が向かうのは、船が向かうその先。目的地である港町が、それなりにはっきりと見えていた。経験からして、あと一時間前後で港に到着するだろう。もっとも、二人の目的地は港を抱えるその街ではなく、更に馬車でしばらく移動した別の街なのだが。
夕方までにつくという話で、しばらくそちらに滞在する予定らしい。
今回の仕事の依頼主は、その街に住む貴族だ。
三代前からの付き合いがあるらしく、セドリックが時々手紙でやりとりをする『お得意様』の一人でもある。しかし、こうしてカティを伴って尋ねるのは初めてだ。
付き合いが生まれた頃にはもう彼女はいたのだが、あえて連れて行く理由がなかったというのが留守番の真相である。単純に旅費の問題もあった。しかし、だからといってカティを荷物のように貨物室へ押し込んで、というのは我慢ならなかったのである。
きっと、乗員乗客の誰もがカティを人間と信じて疑わなかっただろう。
飲食可能な彼女のボディは、その中を晒さなければ人間の少女だ。少しだけ音色が無愛想気味だとそれなりに自覚しているので、必要なら笑うくらいの愛想は振りまける。
だからこそ、真実を知ったらきっと人は嗤うだろう。
たかがドールに、何をそこまでと。
そういう反応を見るたび、セドリックは『愚かしいな』と嘲笑する。
『こんなにかわいくて、綺麗で、やさしい生き物なんて、どこにもいないのに。そんなキミを慈しまないで、どこの誰を大事にしろっていうんだろう。愚かで、哀れだよね』
移動すれば嫌でも耳に入る、世界のどこかで起こっている大小様々な争い。
それを聞くたびに、セドリックは嗤うのだ。
愚かなヒトの、有り様を。




