0.歯車で動く幸福論
わたしが身の程をわきまえず抱えた音色は、きっと恋の音なのです。
えぇ、そうです。
理由は物語にもあるように、わたしは今、とても胸が高鳴っているのです。主、若く美しいあの人を見ると、なぜだか音色がざわざわと、どきどきと、騒がしくて苦しくて。
あの人が奥方と一緒だと、それだけで軋むようで。
雑音が、騒音が、この手を鈍らせるようで、恐ろしかったのです。
愛する主のおそばにいつづけることが、メイドドールとして存在する自分の意味。ならばそれを狂わせるもの、じゃまになるものは削ぎ落とさなければいけない。
悲しいという感情はわからない、けれど自分の思いが届けばいいと、そんなことを思わないわけではない。思うたびに軋む音色を、それでも必死に抱え続けていたのです。
捨てようと思えばできました。セドリック様の手を煩わせないよう、最低限のメンテナンスならば自力で行える機能がありますから。それで、そぎ落とせばよかったのです。
だけど――できませんでした。
自分を狂わせる病巣を、しかし愛しいと思ったのです。
軋む。崩れる。狂う。壊れる。その恐怖を認識し、見据えて、それでも高く高く鳴り響くその音色を手放せなかった。手放そうと、どうしても決めることができなかった。
思ったのです。
これを捨てるくらいなら、このまま壊れてもいいかな、なんて。
自分の存在を否定するようなことを。
それはヒトでいうところの、自ら死を選ぶ、という行為に近いのでしょう。けれどわたしはそれでいいと、そう思っているのです。わたしは初めて、自分で何かを選ぶことをしったのです。この音色を抱えて、そして壊れるならそれもよいと、思ったのです。
あぁ、だからそんな顔をしないでください。
わたしは幸せです。
わたしは、幸せなのです。
名前がなくても。
個を、求められることも認められることもなくても。
――主が『わたし』でなければいけない、と。そう言ってくれただけで。
そこにどんな理由があっても。
それだけで。
たった、それだけで。




