5.シオンはあなたをおいてはいかない
黄金色の魔人と夜色のドールが去って、それなりの時間が流れた。
今日も、そのサナトリウムには青い髪のドールがいる。
いつものように、彼は主の手をそっと握っていた。意味が無いと知っている、無駄なことだとわかっている。それでも、かすかに握り返す動きが、たまに。数年に一度。
だから握る。
だから歌う。
だから語る。
こんなものでもかすかでも、届いているかもしれないと思えば。
ヒトはヒトを愛する。ドールにそんな感情はない。それでも手を握って、その傍らにいたいと願うものがいることを、一欠片でいい、目に映らないほど僅かでもいいから。
祈るような時間、その時だった。
ぎしり、と何かが砕けるようにして、肩から下が一斉に外れた。
感覚が消えた腕を見て、しかし彼のココロはとても穏やかなものだった。
あぁ、どうやらその時が来てしまったらしい。
その程度の動きだけが、満ちた。
悲しいとは、きっとこんな痛みのことを言うのだろうと思う。大事な人を、かけがえのない人を、置いていってしまう。こんなところに、優しくない死だけが満ちた場所へ。
「――」
声も出ない。身体はすでに満身創痍だった。だましだまし、本当に、自分すらだますようにして歩き続けてきた彼の身体は、ベッドの横に座り込むような動きで崩れ落ちた。
主、主、おれにとってなによりもだいじなひと。
拙い歌声を喜んでくれた、不揃いの旋律を喜んでくれた。
味覚なんて無いから料理もきっとひどかったのに、おいしいと食べてくれた。
どれだけ時間が経っても彼を、自分のそばに置いてくれた人。
あのドールの少女と彼は、何から何まで違っていた。彼は主の手で愛されるために創りだされたわけではなくて、主の助手として使い潰すために買われた汎用のドールだ。
それにしたって粗悪で使い勝手の悪い彼を、主は最後までおいてくれた。
見守る役目を任せてくれた。
ごめんなさい、という言葉が浮かんだ。
一緒にいられなくなって、あなたを独りにしてしまって。
あの日、魔人になれなかった彼の絶望に、寄り添うことを自らに命じた。この世界から消失できない彼のそばに、自分ならいつまでも一緒にいられるのだと思っていた。
けれど駄目だ。
俺でも、それでも駄目だったんだ。
ドールすら、彼の不死には追いつかない。
震える手を握った日を、最後に話をしたあの夜を。思い出して、泣くように。どうせならもっと違うところから壊れてしまえば。腕に抱いたこの人と一緒に、例えば海の底へ。
あぁ、あぁ、それはだめだ。
薬がなくなると、目が覚めてしまうから。
じゃあ、俺には何もしてあげられないんだなと、彼は目を閉じ。
けれどもけれども、彼は壊れることも廃棄されることもないままだった。しばらくして目を開けた彼の身体は直されていて、いや、最新のよいものに取り替えられていたのだ。
その作りは前と比べて、少し違うところが多い。
背丈は少し大きくなっているようだし、目の大きさも少し変化があるようだ。
だけど、自分のものとは思えないほど鮮やかな青が。
主が唯一『これがいい』とパーツを取り寄せるまでした青が、双眸に宿っている。
さらりと頬に触れる毛先、それも美しい瑠璃色だ。
どうして、と言葉がない彼に、通りかかった人間の医師がいう。
「セドリック・フラーチェという人が、そろそろ君の身体が限界だろうからと。そんな手紙と寄付金を添えて、送ってきてくださったのだよ。いずれまた尋ねるともあったね」
よかったねと、そう医師は言い残して、彼の主に投薬して去っていく。
あぁ、あぁ、と彼は真新しい手で顔を覆った。泣くようだった。それから人の肌のように柔らかい身体で、主に触れた。温かい、温かい身体をしていることを初めて知る。
この人は、生きているのだ。
まだ、ここにいてくれる人なのだ。
嬉しいということを、彼らに伝えたいと思う。
その日、シオンと呼ばれる一人のドールは、また生きることを許された。
延命はしかし、それすら有限だけど。
――俺の手はまだ、大切なあなたに触れることを許される。
シオンはそれだけで、よかった。




