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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
青の墓守は主を愛す
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4.蒼の旋律

 墓標が並んだその中庭の中央に、艶やかに磨かれたピアノがあった。

 シオンはそこに近寄ると、少しだけためらうように自分の手のひらを見る。いや、見ていたのは指先だったのかもしれない。直後、彼はピアノの蓋を開け、鍵盤にふれたから。

 ぽーん、と高く音が響く。

 どうやらピアノがおいてある場所は特別なものらしい。数段高くなり、丸い天井が造られているくらいだから、まるで演奏会のために用意された舞台のようにも見える。

 周囲に観客席の類がないから、ピアノが置いてあるだけなのが残念だ。


「これは、音を食い荒らす奇病の患者に与えられたものでした。彼女はもう死んでしまっているのですが、ドールが交代して彼女のために音を提供し続けた名残です。音を反響させてより大きく――そして、音の情報量を増やすための、特別な『舞台』なんですよ」


 そうしないと周囲の音を食い漁ってしまうので、とシオンは言う。

 そのために用意されたこの舞台は、普通にするより高らかに音が響き渡る。

 この中庭のすべてへ、届けるように。

 何度か適当に白い鍵盤を押していた指先が、ぴたりと止まる。ピアノの下に押し込まれた柔らかそうな椅子を引っ張りだして、シオンはそこにゆっくりと腰掛けた。

 椅子は綺麗だったから、今も使われているのかもしれない。

 息を吸うように――一拍。

 細い指先が、一つの音を奏でる。それをきっかけに、音は連なっていく。上へ下へと高さを変えて、短く長くと音の幅を変化させ、一つの流れを緩急をつけるように紡ぎだす。

 違う動きを見せる左右の手は、踊るように白と黒の上にある。

 重なった音が、全身を震わせるようだと、カティは思う。

 音の情報量を増やす舞台、とシオンは言っていたが、確かに閉鎖されたわけでもない場所だというのに、何度か出向いたコンサート用のホールで聴いているかのようだ。


 ――目を閉じたら屋外にいることを、忘れてしまいそう。


 いや、いっそ忘れるのも悪くないと思い、カティはそっと目を閉じる。

 音色は次第に音を減らし、だが繊細な繋がりがゆったりと流れた。爪の先で竪琴を弾き鳴らすような音を最後に添えるようにして、そしてシオンの演奏は終わる。

 小さく、優しい拍手が一つ。

 カティが見上げた先、セドリックがいつになく穏やかな顔をしている。こんなに優しい顔で笑っている彼は、彼女の記憶を探ってもそう多くはない。人に向けるのは稀だ。

「上手だね」

「……いえ、だいぶヘタになってしまいました」

 指が、とシオンは続けて。

「最近いうことを聞かなくて、日常生活に問題はないのですが、ピアノは」

 そういうが、カティに彼の演奏は見事なものに聞こえた。そもそもドールは音を並べて作られたココロを持っているから、音楽への親しみはおそらく人間よりも深い。

 彼の、シオンの紡いだ音色はとても優しいものだ。

 優しくて、だが少しの悲しみがこもっていた。

 俺は、とシオンが立ち上がって笑う。苦笑交じりの優しい笑顔だ。ここの患者に向けていたものに似ているが、淋しげで。何かを惜しむような、悔いるような色をしている。

 指先をぎこちなく動かす。

 さっき、あれだけ見事な演奏をした彼の手は、こうして近くに立ってよく見るとかなり劣化が進んだものだった。耳を澄ませば軋む音すらしそうな、その手を強く握って。


「俺は、こうして外に出ていろんなものを見聞きしています」


 実際は案内人でもないのに、その役目を背負い。長い時間を歩いてきた中で見聞きした話を語り聞かせ、そうして外との接点を、拙いながらも必死に手繰り寄せ続けて。

 それは、たった一人の誰かのためであると、シオンは言う。

 カティには分かった。

 セドリックにも、きっとわかっただろう。

 その誰かこそがシオンの、目の前の青いドールの『主』なのだ。きっと、さっき言っていた最古参の患者とうのが主で、そうなるとかなり高齢な人なのだろうとカティは思う。

 彼が外を歩くのは、主に話を聞かせるためなのかもしれない。

 カティはそれほど頭がいいわけではないので、外を歩き回っていろんなものを見聞きすることと、おそらく病床にある主のためという理由を、それ以外で結べなかった。

「あの人は俺を大事にしてくれました。シンガードールでも何でもない汎用のドールであるこの俺にピアノを教えて、いろんな歌を教えて、何かや誰かを慈しむことを教えて」

 そんな、悲しくなるほど優しい人を。

 この手はずっと、支えていかなければいけないのに。


「あの人がまだ生きているのに、俺はもうじき壊れてしまう」


 優しい人を、こんな世界に置いていってしまう。

 そう、吐き出すように言った。



   ■  □  ■



 ドールは有限だ。無限に見える幻想をかけられた、しかしいつかは壊れるものだ。死とも呼べないそれはヒトよりもあっけなく、例えば胸に収めたパーツを踏むだけでいい。

 俺は壊れたくないんです。

 それではあの人が残されてしまう。

 シオンは泣くように言った。鍵盤に涙を落とすように、指先を添えて。

 彼があの人、と呼ぶのは一人の男。

 男、だったもの。


「来ていただけますか」


 彼はセドリックとカティを、人気のない静かな病室に案内する。静かな廊下に、三つの足音が響いた。人の声は、なかった。それなりに聞こえていたざわめきも、何もかも。

 どの病室からも離れた場所に、彼の目的地はあった。

 病室は、適度な広さのある日当たりの良い場所。大きめの窓からは、ほっこりと暖かい日差しが注がれている。その眩しさと、規則的な機械音が、カティを出迎える。

 窓辺に、ベッドがあった。

 白い、いかにも病人用といった作りの清潔そうなベッド。

 そこにヒトがいた。

 黒く染まって汚れた肌をした、枯れ枝のような見目をしたヒトのようなものが。細い四肢にいろんなコードを、それこそ調律などをされているドールのように繋げられて。

 あぁ、とセドリックがため息を付くように。

「不死人、か」

 それから、シオンを見て。

「キミもまた、ここにしか居場所がない、わけか」

 そんなことを、言った。

 この世界にはヒトと、二つのヒトならざるものがある。

 片方は『叡智』を手にした、魔人もしくは魔女と呼ばれる存在だ。それは、つまり今ここにいるセドリック・フラーチェのことであり、不老長寿の選ばれた存在である。

 もう一つは不死人だ。

 何をしても、決して死なない――死ぬことができない存在。高嶺の叡智に手を届かせることが叶わないどころか、まるでその無力さと無様さを笑うような呪いを受けた。

 彼らは死なない、絶対に死を得ることがない。すりつぶそうとも、火口に身を投げ捨てようとも得られるのは痛みだけだ。そのくせ老いは存在する、そんな存在である。

 それは、正真正銘のバケモノのようだ。

 実際、そう扱われることも、決して少なくはないという。

 セドリックの知人に、そんな不死人が一人いる。カティもよく知っている彼女は、夫である魔人の手で若さを与えられ、数百年たった今も二十代半ばの見目をしていた。

 そういう処置をしなければこうだった、という状態が、彼だ。

 微かに上下する胸部がなければ、死体だと思うかもしれないと思った。


「……どれくらい、かな」

「千年は、まだ超えていないはずです」


 だけど数百は余裕、なら彼はセドリックよりずっと古い時代の人間だ。正確には、古い時代に生まれた人間だった存在になるだろうか。もはや見た目からは性別もわからない。

 際限のない老いは、こうもヒトを変えるのかとカティは思う。

 そんな彼女の目の前に、彼に寄り添うドールがいた。

 俺は、とシオンは口を開いた。

 この人の名前も、知らないままです、と。

 この世界に存在し始めてから、彼はずっと『主』のままで。それ以上ではなく、それ以外にもならず、主様と、あなたと、それだけの言葉で呼び続けていて。

 だから、彼が魔人になり損なっても。

 死ねない身体になってしまっても、やっぱり名前を教えてもらえずに。ただ、お前の名前はシオンだとだけ告げて、いつしか動けなくなって、声も出ないようになって。

「今は、薬で眠り続けています。ずっと」

「……なぜだい?」

「動けない、食べられない、食べる必要がない、しゃべることもできない。きっと目も見えないし音も聞こえない。そんな世界で意識を持つことに、意味がありますか?」

 泣くような声で、シオンは続けた。

「だったら眠ったままがいい。夢を見ている方がいい。そういったのは数百年前に、お世話になった先生でした。俺はそれがいいと、思ったんです。何もない世界より、意識が全てを支配する夢のほうがずっといい。何もなくても、何もないなら、同じことだ」

 そんな状態のシオンの主が、それでもここにいられるのは。


「モルモット、なんですよ」


 死なないから。

 どうやっても何をしても、死ぬことがないから。

 だから。

「この人はここにおいてもらえるんです。こんなになっても」

 肌を指先がなぞる。触れる。大事なものを慈しむように。価値が有るのは不死なる彼の主だけだ。引っかかるような動きをする、必要ない世話を続けるドールは要らない。

 それでもわずかに見出された、それは『墓守』としての価値だ。

 あの場所を手入れし、管理していくのが彼の仕事。時々やってくる人を、他の職員の代わりにもてなすこと。その合間に主を見舞い、手を握って、軽く世話をすること。

 けれど、シオンには限界が迫っていた。

 所詮、ドールは使い捨ての『道具』でしかないのだ。


「俺はもうじき、捨てられるのでしょう」


 人をもてなすドールは、それこそいくらでも手に入るのだから。

 シオンは、それを受け止めるように語りだす。

 いらなくなれば捨てる、それがドールの扱われ方だ。だましだまし、古い身体を引きずるようにして今日という時間まで辿り着いた。それをまた明日も続けていくけれど。

 それでも、有限の存在はいつかは壊れてしまう。

 慰撫となる演奏もできず、きっと声も失う日も近いだろう。そもそもあまりにも古い身体は、ぬくもりを感じることすらできない粗悪なもの。触れた感触すら、最近は希薄だ。

 そうやってシオンは、じんわりと己の死期を悟りながら。

 死にたくない、いや壊れたくないと笑うのだ。


「俺は、この人を置き去りにしたくない」


 世界で唯一と言っていいだろう、不死人と共に同じ時間を生きられるドール。それすらも置き去りにしてしまうその、死ねない、という呪いに、今度こそ主は独りにされる。

 きっと、もうこの人がそれを感じることはない。

 感覚のすべてを失って、その向こう側に閉じ込められた意識には届かない。

 こんなに寄り添っても歌っても、手を握っても抱きしめても。

 外の話を語り聞かせて、歌を音色を奏でても。

 それでも俺は。


「この人の手をずっと、握っていたかった」


 いつか来ることを知り、見えている別れなど考えたくないと、笑う。

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