3.死の箱庭
セドリックとサナトリウムにやってきて、数日。
仕事に疲れたもう嫌だと駄々をこねる彼を連れて、カティは外に出ていた。美しく整えられたとても広い中庭は、しかし数人の患者と付き添うドールが見えるだけだ。
その患者に、あの少女はいない。
焦がれるように空を見上げていた、そこに行ける病の少女は。
――ここに来た次の日、つまり今から数日前の話。
シオンの案内で図書室に向かっていた時、数人の職員が慌ただしく走り去った。何か在ったのかとシオンに問えば、その顔つきがひどく悲しげなものになっている。
『誰かが、亡くなったのでしょう』
ここには、遺体を扱う専門の部署があるという。
死した患者の遺体を調べることもまた、病気を治すことに繋がるのだそうだ。そういえば医師ではない格好だったから、ここにずっといる彼にはひと目でわかったのだろう。
いつものことです、と静かに言う彼の言葉に、カティもそういうことなら、とさほど気にせずに読む本を物色する。気にならないといえば嘘だが、気にしても意味が無い。
そういうところ情緒とかないね、とセドリックは言うかも知れないが。
――通りすがったに等しいわたしが、何を言えば。
結局、そういう感じに思ってしまうのだ。
セドリックが何を思って仕事を受けたのかは知らない。たぶん、何かしらのコネがあって回ってきたのだろうと思う。こういう特殊な仕事はこなせる人材は限られる。
カティはそれに、ひっそりとついてきただけの存在だ。
医療の知識など最低限しかないし、それすらあっているか怪しいものだ。彼女にとってこの場所は主の仕事場で、ここにとって彼女は仕事をしに来た魔人所有のドール。
その程度の縁だからこそ、カティは何を言うでもなく。
起こることを、淡々と眺めて終わるしかないのだ。
そうして本を持ち帰る途中、先ほど走っていった職員とすれ違う。壁際に寄って、彼らが丁寧に押しているストレッチャーを見送った。正しくは、見送ろうとした。
白いシーツには赤が滲み、その膨らみはとても小さい。
子供か、と通りすがった医師がつぶやく。
淡々としたドールのような声に、少しだけ痛ましさが潜んでいた。
死が当然のようにあるこの場所でもなお、子供の死というのはつらいものらしい。
それを静かに見送っていたカティは、気づく。
だらん、とはみ出した手首に、黒い手枷がついていることに。
それは子供の細い腕にはあまりにも重いものに見えた。子供という存在には、不釣り合いにもほどがあった。けれど同時に、カティには見覚えがあるものでもあったのだ。
『――あれは』
カティは言いかけ、だが言えなかった。あっという間に彼らは行き去り、シオンは何も言わずに帰路に向かう。だからカティも何も言わないまま、今も口をつぐんでいる。
少女は、あの日から一度も見ない。
シオンは、彼女の話をしない。
だからきっとそういうことなんだろう、そう思った。
■ □ ■
中庭で、しかし何をするでもなくセドリックは歩く。
それなりに花なども植えてあるので、見て歩くのはそれなりに楽しい。休憩中の医師らしき人影もちらほらと見えるし、このサナトリウムでも少ない休憩スポットなのだろう。
中庭を突っ切って、反対側の渡り廊下へと出る。
その向こうにも、どうやら公園のように整えられた場所があるようだった。どうしますかと尋ねるよりも先に、セドリックはそちらの方へと歩いて行く。
おいでよ、と言うかのように、彼は一度カティを見た。
にっと笑った顔に、カティは止めるだけ無駄だということを思う。
細い道を歩いた先には、やはり広場があった。だが、広場というよりもそこは。
「墓地だね、まるで」
サナトリウムにあるにしては不釣り合いだ、とセドリックが笑う。
丸く丸く、中庭のように丸く囲われた、白い壁のすべてが墓標だった。白い石に無数の名前がびっしりと刻まれている。光の加減で浮かぶそれは、一瞬模様のように見えた。
背の低い墓石らしきものが中央に見え、その傍らにベンチがいくつかある。
そこに、シオンがいた。
ベンチに腰掛け、彼は目を閉じたままじっとしている。まるでひなたぼっこでもしているかのように、彼は動こうとしない。だが二人が近寄ると、青い目をぱちりと見せて。
「……お散歩ですか?」
ふ、と笑った。
まぁね、とセドリックは答え。
「キミは休憩中かい? 主を見舞ったりしなくてもいいのかな」
「……いいんです。俺は外を見て、それをあの人に届けるメッセンジャーですから」
それにここにいるのも仕事なのでと、シオンはゆっくり立ち上がる。
主、という言葉に、カティは少しだけ驚いた。すべてのドールには所有権を持つ主がいるのが当たり前だ。それは個人ではなく、何らかの団体である場合も含まれる。
だからカティはここの責任者がシオンの主だと思っていた。
しかしセドリックの言葉と、シオンの反応からしてそれは違うらしい。
彼にもまた、個人の主がいるようだ。
不思議そうに見ているカティに気づいたのだろう。
「俺は、ここで最古参の『患者』が主で、普段は世話をしています」
「最古参?」
「えぇ。ですから俺はここを、誰より深く知っています。それに主の世話以外にすることもないので、いつしか俺はここの管理を任されるようになりました。案内人も手伝いの一つなんですよ。……もっぱら患者などには、墓守さん、と呼ばれることが多いですね」
墓守、という言葉の重さに、カティは深く息を吐き出した。
この膨大な人々の名前を刻んだ場所を、彼は一人で管理しているらしい。余っていたからと押し付けられたようにカティには聞こえたが、彼は特に気にしていないようだ。
シオンは言う。
自分は、多くの死を眺めてきました、と。
あまりにもあまりにも、シオンが見た死は多かった。医師は数年から十数年で入れ替わっていくが、彼はずっとここにいる。一日に一人、二人、いや三人、人が死んでいく。
それをいつも見ている、今も覚えている。
誰よりも何よりも、多くの死を、ここの墓石のように音色に刻みこんできた。
忘れることは許されない、とシオンは言って。
「ここは、希望なんです」
サナトリウムで死んでいった、サナトリウムに殺された。
そんな彼らの、きっとどこにも残されていない名前を唯一抱いた。
立ち上がった彼は、まだ半分ほどしか名前が刻まれていない石を撫でる。真新しい、おそらく一番新しいのだろう文字は、少女と思われる誰かの名前を描く形をしている。
カティには、その名前に覚えがない。
一般的にいうと、見知らぬ少女の名前だ。
だけど、シオンの様子からなんとなくわかってしまった。
空を見上げていた、彼女のものだと。
「あんなに焦がれていた、その空にいくこともできなかった」
「シオン」
「あの子はあんなに、青を好きだといっていたのに」
シオンは、つぶやいて歩き出す。セドリックは無言で彼を追いかけた。背を向けたままの彼ら二人がどんな顔をしているか、後方を歩くだけのカティはわからなかった。
「セドリック様はご存知でしょうね、ここの存在意義を」
石が並ぶ中心の手前で、足を止めたシオンがゆっくりと振り返る。
彼の問いかけに、セドリックは腕を組んで答えた。
「……まぁ、有名ではあるから、ここ」
「世間で、ここを知る人がどう言っているのかは知っています。俺も、何度か同じようなことを連呼されていますし。だけど、セドリック様。それでもここに価値はあるんです」
一皮むけばサナトリウムとは名ばかりの、そんな場所だけど。
「それでもここは、救いなんです」
たった一つの、救い。
ここにしか居場所が与えられていない人もいる。ここで救われた人もいる。死という救いを得た人もいる。誰かの救いの、その礎になった人はたくさんいる。
今更やめる、なんてことはここでは許されない。
重ね続けた犠牲は、彼らが患った『病』を倒すためのものだ。
墓標には、未来を願った誰かの名前が無数にある。それは、強制されたものかもしれないし、本音としては違ったのかもしれない。誰かが狭めた選択肢だったかもしれない。
だけど願っていたのだ。
各々の、それぞれに違う症状を持ったその病に。
勝ちたい。負けたくない。乗り越えたい。そんな当たり前の願いを。
「ここはそんな、彼らの希望です」
どんな扱いでも可能性を、探り続けてくれる場所。
見捨てられないというだけで、彼らは確かに『救われた』のだ。
彼の背後にある、他と比べるとずっと小さな墓石。シオンは振り返らず、胸元に手を当てて祈るようにささやく。これは、この墓石は、これがあることが、すべての支えだと。
カティはシオンの横に並ぶ。彼女の腰の高さ程しかない墓石の一つを見て、そこに白く刻み込まれている文字を、一つ一つ、子供の頭を撫でるようゆっくり丁寧に読んだ。
それは、病の名前が書かれた墓石だった。
それを倒すために殉じた、すべての患者の名前だった。




