1.稀代の人形師、二人
ドール、というある程度の自立した自我を持ち、自分で考えて命令通りに行動することができるその人形は、音と譜面と音色を、魂の代わりに詰め込んでいる。
コア、と呼ばれる手のひらに収まる大きさしかないその部位に。
その組み合わせとゆらぎでヒトは『個性』を得て、日々の些細なことにより作られる音を譜面に並べて音色にして、感情をスパイスに自然と形を整えていく。けれど、ドールの魂はその模倣品で、ヒトが自然と行っていることを彼らは独自に成すことができない。
だからこそ、ドールには『調律』が必要だった。
さながら楽器のように、音を並べて整え、濁りを取らなければいけない。
人形師とは、そんなドールに携わる技術職の総称である。
一言でそうまとめてみても、得意分野によってできることは大きく異なった。例えばドールには肉体である『ボディ』と、そこに収める精神の『コア』に分けることができ、前者と後者は当然違う分野であるので違う名称で呼ばれることが多い。
マスター・エンゲルスと呼ばれる魔人に弟子入りしている、その金髪の少年は、ドールのコアの中身、つまり音色の部分を調律する専門家、『調律師』を志していた。
手のひらに収まるほどのコアを器具につなぎ、そこに漂う音色を調律し、自分が望むものへと作り変えていくのが彼の役目。住み込んでいるため与えられた彼の自室には、ありとあらゆる調律に関する資料が散らばっている。師の蔵書、どこからともなく湧いてきた大金で手に入れた古書、禁書。そして絶句するほど整った機材と、上質なコア。
聞けば、彼には『魔人』の義父がいるという。
彼が生前贈与という形でくれた資金で、資材を集めているのだと。
そんな彼を、ナズナ・ヒオはとても羨ましいと思った。故郷を追い出されるように飛び出したナズナにとっては、そんなふうに援助してくれる家族がいることが羨ましくて。
けれど、いいな、なんて羨む言葉は言えなくて。
自分にできることをしよう、というありきたりなことを思う。安易に、あの少年を羨んではいけないことを、ナズナは彼と初めて顔を合わせたその日のうちに理解していた。
彼は確かに天才だった、けれどそれ以上に努力家でもあったから。
「ボクは、理想をこの手に抱きたいんですよ」
他の弟子との顔合わせの時。
マスター・エンゲルスの屋敷の広い応接室に、十数人の弟子が揃って、新入りであるナズナと彼をじっと見ていた。人にじっと見られる中、自己紹介をするのは気分が滅入る。
しかし彼――セドリック・フラーチェは、笑顔を浮かべて言い切った。
自分の夢、目的、目指す先を。
ほとばしる『狂気』を。
その手の中で、粗悪な――おそらく子供が長期休暇の宿題に使うような簡易な作成キットに付属していたのだろうコアを大事そうに転がして、それをじっと見つめながら。
「ボクには『理想』があるんです。それをこの腕に抱くため、ボクは人形師に、調律師にならなければいけないんです。彼女を手に入れるためなら、ボクは叡智すら利用する」
まだ十五歳位だった少年のむき出しの感情に、マスター・エンゲルスは一瞬、ナズナにもわかるくらい息を呑んだ。絶句、といっていいのかもしれない。運悪くセドリックの横にいたナズナは直後に満ちた空気に生きた心地がしなかったが、こんな重苦しい状況であっても師の様子は伝わったし、周囲の音のないざわつきも感じ取ることができた。
意味がわからない、というのはおそらく総意だったろう。
理想を抱く、それはいい。彼女、と断定するのも悪くはない。ドールはボディをすげ替えればいくらでも見た目を変えられて、その時に肉体的な性別さえ変えられるため明確な性別を持たない存在なのだが、それでも男女のどちらかに寄せることはよくあることだ。
問題は、その『彼女』がこの世にいないこと。
それでいて、既存の音色ではなく独自に構築しようとしていること。
一人の『少女』を、創ろうとしていること。
彼は、彼の中にしかいない誰かを、ドールという形で外に出そうというのだ。その言葉を聞いた誰もが、正気の沙汰ではないと思っただろう。無謀だ、愚かと嗤っただろう。
「ヒトと見紛う音色を作りたいんだ」
うわ言のような口癖、戯言と誹られる理想。
だが彼の声音は、どこまでも『本気』の響きを隠さない。
いつか、自分の世界に佇んで微笑む少女をこの世界に招きたい。その華奢な体を抱きしめて愛をささやき、羞恥と喜びで赤く染まる頬にくちづけを落としてみたい。
それがセドリック・フラーチェの、叡智を求める理由だ。
彼の理想を理解する人は少なかった。
そんな人はいない、と言い切ってもいいほどに。
けれど彼は本気だった。混じりけのない純粋な狂気と狂信で、己の理想を腕に抱くことを夢に描いた。恐ろしいことがあるとするなら、それを叶える力があったことだろう。
己の中にしかいない少女を、この世界に生み出すことが彼の理想。
そのために、彼は生きているようなものだった。
後に師マスター・エンゲルスは、彼についてこう記す。
――あれは、理想の狂信者であると。
しかし、そんなマスター・エンゲルスを更に恐れさせたのはナズナだった。他の弟子の前では猫をかぶったナズナは、師にだけひっそりと本音をこぼした。
純粋な感情で作られた、さながら愛のようなものを。
「わたしは――好きな人を手に入れるために、彼を模したドールを作ります」
それがどうしたと言わんばかりの顔に、恐怖以外の何を抱けよう。
同じ時代に、方向性こそ違えど根っこは同じ狂人が二人。
マスター・エンゲルスは、二人を手元において直々に己の技術を伝えた。純粋なその狂気に恐怖もあったが、それよりも二人が持ち合わせる天才的な才能に惚れ込んだのだ。
この二つの原石をどう磨けば、より美しくなるのだろう。
願わくば二人が叡智を手にするといい。
そんな声にならず、意識にもならない願いは、マスター・エンゲルスが死してから叶えられた。理想と願望を胸に、二人の『稀代の人形師』は、共に叡智を手にしたのである。




