0.マスター・エンゲルスの手記
魔人、あるいは魔女と呼ばれる、不老長寿の存在がいる。それぞれの願いのために目的のために生きて、その先で『叡智』を賜ったことでヒトという枠組みから大きく外れたものだ。
賜った者は不老長寿の存在となり、数百年から数千年の延命を得た彼らは、世界を動かす技術を生み出す存在として、今となっては必要不可欠な存在だった。
彼らは崇拝され、同時に畏怖もされる。
世界の八割ほどは普通の人間で、魔人や魔女はとても少ない。作り物であることが明らかな機械じかけの『ドール』の方が、明らかにヒトでないだけまだ嫌悪も少ないだろう。
ヒトに似て、一見するとヒトそのもので、しかし決定的にヒトと違う。
かつてはバケモノと呼ばれ処刑、討伐対象であった程度に、彼らの存在と扱いは常に移ろっている。向けられる負の感情も、表にならないだけで今も昔も揺るぎなくあった。
もっとも魔人も魔女も、その程度は気にしない。
彼らが重視するのは己の技術、それを支える財力確保だ。
それらに影響しない評判は、気にするのも無意味。
各々が抱える感情のまま、彼らは『叡智』の微笑を求めて生きる。その生き方がヒトからどう思われようとも、どう誹られようとも。もはや、彼らにはもうそれ以外の道がないのだ。
なぜなら『叡智』を賜るには、想像を絶する物が必要だ。百年を生きてなお賜らずに死んでいく天才学者がいるその傍らで、齢十七の少年が『叡智』を抱き、ヒトを逸脱する。
法則はない、絶対的な最適解も存在しない。
叡智を授けるとされる神は気まぐれで、そして残酷なものなのである。
挙句に賜る時間は有限なのだ。不老不死ではなく長寿、寿命をのばすだけ。数百年か数千年かで魔人も魔女も息絶える、死んでしまう。病は等しく身体を侵し、事故死など少なくない。
ゆえに、彼らにはバカに付き合う暇などなかった。
おそらく世界の何よりも、生き急ぐのは彼らなのだろう。
■ □ ■
マスター・エンゲルス、と呼ばれる一人の魔人がいる。
人形師としてその名を知られた彼は、あまり弟子を取らないことで有名だった。彼とともに屋敷にて暮らすのは、彼が作った物言わぬ大勢の人形と、幼くして家族を喪った孫娘のみ。
エンゲルスは、長く一人で生きていた魔人だ。
家族はとっくの昔に死んで、親しい友人もみな死んでいった。
典型的、と言われるほどありふれた魔人である。
だが魔人といえど孤独に耐えられるというわけではなく、数十年前にエンゲルスは家族という繋がりを得た。自身が魔人であることも、それゆえに不老長寿であることも明かした上で。
妻になったその女性は、エンゲルスの手を握って微笑んだ。
震える手を取り、その指先にくちづけた。
神様に愛されるほどの知性を持つ、そんなあなたに選ばれるなんて光栄だと。
エンゲルスは泣いた。
ヒトの枠組みから外れたバケモノと蔑まれることも多い我が身、されどその先に自身の目指す場所があると信じて、当然のようにヒトであることを捨ててひたすら走り続けてきた。
良いことばかりではなかったし、悪いことの方がずっと多かっただろう。
初めてだったのだ、そう言ってくれる人と出会ったのは。
二人の間には子供が生まれた。子供は大きくなり、老いることをしない父のことを知り母のように目を輝かせ憧れた。幸せだった、人形師の代名詞ともされる男は、幸福だった。
妻となった彼女は、そして子供は、自分達が『家族』を増やすからと笑う。どんなに時間が流れても、あなたの血を引く家族が常にあなたの側にいる。だから寂しくないと笑う。
エンゲルスは泣いた。
妻と子を腕に抱いて泣いた。
しかし幸福は、想像以上に長く続かない。
ある日、流行り病で彼の妻は死んでしまった。
うつしてはいけないからと、死に目にも合わせてもらえない別れだった。
悪いことは続く。最愛の妻との間に授かった最愛の子供は、幼い子供――エンゲルスにとって孫に当たる少女を残して、事故で死んでしまった。家族は一気に減ってしまった。
エンゲルスはただ一人残った家族を、孫娘を愛した。
妻の代わりに、子供らの代わりに、何不自由ない満ちた生活を与えた。
友人がいないと嘆く時は、優しい音色を持った『ドール』を。
勉強をしたいと言う時には、賢さを持った『ドール』を。
病気がちな彼女のためにありとあらゆる最高級の医療を注いで、本人すらもきっと気づかないうちに孫娘から命、そして死をを遠ざけた。それらが最愛の彼女を奪わないように。
それは自分が味わった喪失を、無邪気な少女に与えないための無意識。
『マスター・エンゲルス、あなたはどうして生命を忌避するのですか?』
ある日、弟子入りを志願しにきたその少年に言われるまで、彼は己の行動にまったく気づかないでいた。いや、気づかないフリをしていた。気づいた時の衝撃を彼は生涯語らなかった。
そしてエンゲルスは、死するまで数人から十数人の弟子を抱え続ける。
その中にはいつしか美しく成長した孫娘がいて、彼女は気高い魔女となった。
後に孫娘の手でまとめられた『マスター・エンゲルスの手記』によると、マスター・エンゲルスはその少年と、彼と同時期に抱えた別の弟子について、こんな言葉で紹介したという。
セドリック・フラーチェ、並びに、ナズナ・ヒオ。
二人は、紛れも無い『天才』だったと。




