5.舞台上の生きた至宝
昼前、人々は新たな歌姫の登場を知った。
空に舞い上がった飛行船から、美しい歌が流れているからだ。
フィリア・シンガードールはその飛行船に乗って、昨夜、新たに歌姫フィリア・レムスウェイナーとなった少女を見ている。彼女が紡ぎだすその歌声に、満足そうな笑みを浮かべて。
新たなフィリア、そのお披露目会場。
そこに歌姫として立ったのは、しかし候補だった五人の彼女達の誰でもない。
ネルフェという、元はフィリア・シンガードールの世話係の少女だ。
「彼女を見初めたのは、いつだったんだい?」
「ふふ、秘密ですわ」
マイクに向かって歌い続ける少女を眺め、そのドールと魔人は会話を交わす。
歌姫候補を集め、歌姫のマネジメントなどをするのは財団だ。では、このフィリア・シンガードールの立ち位置はというと、重要ではあるが権限はない、という曖昧なものである。
それは当然のことで、彼女が財団にとって必要不可欠な存在でも、所詮、彼女自身はオリジナルを模して作ったドール、それ以外になることを最初から想定していないのだから。
しかし、この一体のドールが財団の存在意義に直結している。
レムスウェイナー財団において、歌姫というものは重要な存在だ。
その歌姫を唯一導くことができる。それがフィリア・シンガードール。生前の歌姫のすべてを模した一つのドール。それゆえ彼女は、歌姫選考において最高権力を有しているのだ。
彼女はドールであり、金や家柄に絡みつくようなしがらみがない。
誰より深くオリジナル・フィリアを『愛した』からこそ、彼女が下す決断には偽りも妥協も挟まないのだ。ドールであるがゆえ、思いゆえに、彼女を超える審判はないだろう。
彼女がセドリックを呼んだのは、本人も言った通り、万一に備えてのこと。
誰が最終決定権を持つか明かしてもなお、金に塗れた汚らわしい歌姫を祭り上げるというのであれば。その時はフィリアという存在を永遠に殺す、その引き金をまかせようと。
愛する歌姫の名が汚れていくのを見るのは嫌だ。
自分の存在意義が、最愛の彼女の名を汚すなんて耐えられない。
だったら壊れてしまう方がいい。
歌姫のために崩壊を望む。
それが『フィリア・シンガードール』の矜持なのである。
そんな彼女が見初めた相手は、歌姫候補ではなく職員として採用された少女。
ひと目で、気に入ったのだと彼女は言う。
レッスンの時もそれ以外でも、フィリア・シンガードールは、彼女――ネルフェを自分のそばにおいた。そうして、時々立ち振舞にアドバイスをしたり、一緒に歌をうたったりした。
まさかそれが個別レッスンだったなどと、本人も周囲も思いもしない。
わかっていたのは、それを行ったドールだけだった。
では、あの候補らは何だったかというと、そういうもの、だから。
「いつも候補は予め決められていますの。普段はそこから選ぶだけですわ」
「ある意味でヤラセに近いね。まぁ、ボクには関係ないことだけれど」
そうですわね、とフィリア・シンガードールは答え。
「これまでは、それでも有能な人材が候補になっておりました。わたくしがフィリアだと認めてもいいくらいの歌い手が、打算の上ではありましたけれど、候補となっておりましたの」
「紛いなりにもちゃんとはしていたわけか」
「けれど今回は、ほんの少しスポンサーの利益を優先しすぎでしたから。もし彼女らがちゃんとした候補であれば、ネルフェには何も言わず、そのままわたくしのそばにいてもらおうと考えておりましたの。だって彼女の歌声、わたくし好きですもの。独り占めしたいくらいに」
フィリアのように優しくて、とうっとりした様子で笑う。
そんな彼女に、セドリックは苦笑するような顔をした。
「独占欲だね。自身が心からフィリアだと認めた相手だから、誰にも気づかれないように自分だけのものにしておきたい。そう思ったんだろう、ねぇ、フィリア・シンガードール」
ところで、とセドリックはにやりと笑い。
「無垢な白き歌姫候補は、どこにいったんだろうね。それに殺された四人の内、何人かはそれなりの名門の出だろう? あの子の実家は今頃大変だろうね、賠償金とかでさ」
「そうですね……でも、見目だけは良い子ですから大丈夫です」
「言い切るね」
「えぇ。……ところでご存じですか、セドリック様。これまでも身の程を超えたあまりにも愚かな願いを抱く少女が、候補やその前段階に多数いたことを。己を磨き上げる動力となる野望はむしろ誉れでしょうが、愚かしく浅はかな策謀は資格を自ら捨て去る行為でしょう」
「正々堂々と戦わない者がいた、ということかい? 例えば今回のような物理的に他の候補を蹴落とそうとしたバカや、裏からの金を使ってのし上がろうとしたバカ、そういう類が」
セドリックの言葉に、フィリア・シンガードールはどこか哀れみを含ませつつ、悲しそうに目を伏せるような仕草をした。嘆かわしいことに、と小さくつぶやきながら頷いてみせる。
どれほど対処しても人は欲望に従順で、見えた宝石に手を伸ばす。
その宝石が誰もが寵愛するのだと知っていれば、なおさらほしいと思ってしまう。
そして、そういう時ほど『いかなる手段を使ってでも手に入れる』という安直で直球でわかりやすく愚かしい行為を選択する、腐った食べ物にも劣る俗物がいるのだ。
腐った食べ物は、土に帰れば肥料となるが。
しかし、腐り落ちた俗物は、更に周囲を汚染するだけの害悪だ。
だからこそ、フィリア・シンガードールと財団は、徹底してそれらを排除する。
どうせあまりの汚らわしさに誰からも『愛されない』候補なら、どうせ自身の周囲を腐らせるだけならば、どうせ組織から叩きだして捨ててしまう部位でしかないなら。
ならば、それを『効率よく使って』循環をよくすればいい。
これはリサイクルだ。
使えないゴミを、わざわざ使ってやっているのだ。
口元に笑みを灯し、フィリア・シンガードールは言う。
「オリジナル・フィリア。彼女は酒場で歌っていたところを、国の誰もに愛される存在へと至りました。彼女が常に真摯で、まっすぐで、清らかであったからこそ、多くの人が彼女とその歌を愛したのです。だからこそ、それに反する愚か者には相応の『罰』が必要でした」
「それは、例えば大口のスポンサーの寝所に侍らせたり、子供を産む苗床という名の後妻にしたり、スポンサーが経営する娼館に売る行為かな、フィリア・シンガードール。そうやってキミは歌姫という偶像に相応しくない『害虫』を、徹底的に『駆除』してきたのかい?」
「あらいやだ、セドリック様ったら……」
くすり、と彼女は口元に手を添えて。
「駆除ではありませんわ。わたくし達は何の役にも立てないかわいそうな子に、新しい道を示しただけなのです。厄しか産まぬ害虫を、わざわざ益虫にしてさし上げただけですのよ?」
着飾った『歌人形』は笑みを返す。
薄緋色を乗せた厚めの唇に、ゆったりとした曲線を与えるように。
■ □ ■
歌を流しながら飛び去っていくそれを、地上に降ろされた二人が見上げた。新しい歌姫のお披露目はまだまだ続く。これからしばらく、彼女は大忙しだろう。本格的なレッスン各種をしなければいけないし、平行していろいろと仕事も組んでいかなければならないからだ。
死んだ四人の候補と、消えた一人の候補個人についていたスポンサーがいなくなってしまったために、その穴も徐々にだが埋めていかなければいけない。だが新しい歌姫は今は亡きオリジナル・フィリアをも思わせる、素朴で、しかし笑顔が優しいとても魅力的な少女である。
すぐにでも新たなスポンサーが多数現れて、新しい歌姫は人々に愛されるだろう。
「なぜ、生きた歌姫でなければいけないのでしょう」
カティがつぶやく。
こんな手間暇と、時折はあるという面倒事を抱えてもなお、歌姫財団が生身の身体を持っている生きている歌姫を求めるのか。すぐそこにオリジナル・フィリアの歌声を完璧に記憶しているドールが、彼女の音色を刻んだコアがあるというのに。カティには、よくわからない。
あのフィリア・シンガードールに歌わせればいい。今は喉周辺のパーツも、かなりいいものが作られている。人間のそれのように細かい、複雑なゆらぎも充分に再現できるはずだ。
だがセドリックは、少しばかり残念そうに笑いながら。
「仕方がないさ。所詮『フィリア・シンガードール』は人形でしかない。複製品だ。彼女の役目はそれだけなんだ。彼女はヒトのような形を模した『教科書』なんだよ。だからこそ彼女は求める。自分のすべてを教えこむ逸材を。新しい歌姫を、この生きている世界から」
彼女にできることは、歌を誰かに教えることのみ。
それ以外ができない彼女だからこそ、財団は少女らをかき集めるのだ。
あの小さな身体に納められているココロに記された歌声に、生きている息吹を強弱や震えといった手癖を織り込みながら吹き込み、『歌姫』となるべき逸材を求めて。




