2.優美で不機嫌で尊大で儚げで無垢な少女達
フィリア・レムスウェイナーの名を継ぐ候補となる少女は、八歳前後の年齢に絞って毎年国内から集められる。財団の中でそういうものをスカウトする専門の部署があり、そこの職員が国中を飛び回って探し求めるのだ。時に、国内にとどまらず国外に赴くことだってあった。
候補の身分は関係ない。
歌姫の候補としてふさわしいか否か――それだけが判断基準だ。
親からすると娘が『新しいフィリア・レムスウェイナー』になったと自慢できるし、仮にそうなれなかったとしても、立派な教育を受けた娘はどこに出しても恥ずかしくない。
幼いうちに親元から引き剥がしてしまうとはいえ、定期的な里帰りは許されているし手紙のやり取りは可能だ。手続きさえ取ったら、面会することができる。
そんな厚遇の上に、さらに親から『奪う』のだから、と渡される大金があった。
このため、田舎の貧しい土地だと自ら志願してくる場合も少なくない。
こうして毎年広い国内の違う土地から五十人前後の候補を探し、中央に位置する王都の専用施設で共同生活をさせる。彼女らは十八歳になるまで教育を受けて、それまでに何もなければ候補を外れるという決まりだ。毎年スカウトするのは、その年齢制限ゆえのことである。
その後の彼女らは、それぞれに異なる。
そのまま財団に就職してしまう場合もあれば、王都で暮らすものもいるし、故郷に帰って結婚したり、あるいはフィリアではないが在野の歌い手になる場合もある。
スポンサー向けに年に何度か催される候補のお披露目にて、招かれた貴族に息子や親類の男児の嫁、あるいは自分自身の見目のいい愛人として見初められる場合も少なくない。
そして今年、病一つ患わなかった当代のフィリア・レムスウェイナーが、若くしてこの世を去ってしまった。珍しく他国でのコンサートが予定され、その移動中の事故だった。
享年は三十半ば。
近年でも指折りの歌姫の死を、人々は嘆いた。
しかし財団には、彼女の喪失を嘆いている余裕はなかった。
歌姫は、絶えずそこにいなければならないからだ。
すぐさま候補全員をふるいにかけて、選びぬかれたのは五人の少女。彼女らは明日にも自分の未来が決定される。歌姫となるか、それ以外に成り下がるか。表と裏、天と地だ。
滞在するホテルの上層階にある、とても豪華な個室。
赤いドレスを与えられた少女は、穏やかな笑みを浮かべて鏡の前に立っていた。
先ほどまで飛行船に乗っていたせいだろうか、少し足元がふわふわする。まさか空をとぶなんて思わなかったから、ほんの少しだけ驚いてうろたえてしまった。
審査員などに見られていなけえばいいが、不安がどうしても拭い切れない。
歌姫フィリアはいつも凛とした女性、あの程度で動揺などしなかったはずだと、赤の少女は思っている。だからそうあるように、彼女は幼い頃から自分を律してきた。
最年長であり十八歳を迎えて間もない少女にとって、当代の歌姫フィリアの死はまさにギリギリのタイミングだった。言いたくはないが、まさに行幸といったところだ。
彼女はある貴族の令嬢で、すでに行き遅れかけている。庶民にとっては十八歳などまだまだ若いが、貴族の社会では十五、あるいは十六で相手が決まっているのが普通だからだ。
それは男女問わず言えて、つまり同年代の売れ残りは少ない。
残っているのは何かしら問題があるパターン。
――そんな相手と結婚するなど、絶対に納得できない。
柔らかい表情の裏で彼女は嫌悪する。
これまで彼女は、いろいろな歌姫候補の末路を見てきていた。
限界を感じ、自ら去っていったクズ。
適当な相手との縁談に逃げたクズ。クズ、クズ、どいつもこいつもクズばかり。
それに比べて自分は、なんと誉れ高き歌姫にふさわしい存在か。
それがわかっていないのだ、周囲は。
これほどにふさわしい存在がいるというのに気づかないなど。
見るがいい、これほどまでに美しいのは自分だ。歌声だって誰よりも優美。
いつもぶすっとして不機嫌そうにしている紺碧や、やたら尊大な態度が鼻につく成金貴族の一人娘である生意気な黄金、一緒にいると息が詰まるほど死にそうな様子の薄紫とも違う。
真白など十二歳、未だに祖父や両親に甘えているどうしようもないガキじゃないか。
あんな連中と、同率にいることが不愉快でならない。
まぁ、この屈辱もあと少し。
もう少しで自分が次の歌姫なのだ。名家に相応しき歌姫となり、誰からも愛され――崇められて敬われて、そうして誰よりも幸福で優美で、とても素晴らしい一生を送るのだ。
そんな彼女がほくそ笑む部屋。
扉を、誰かが叩いた。
開かれた扉の向こうには、より色味が芳しい赤をまとう一人の――。
■ □ ■
ひと通り歌を聴き終わった頃、飛行船はあるホテルの屋上に到着した。
恭しく頭を垂れる従業員らに案内され、招待客である貴族達は船を降りる。
セドリックもまたカティの手をとって船から降りた。二人を含めた招待客は明日もこの飛行船に乗るが、当然ながら飛行船に宿泊スペースなどないので、今夜はこのホテルの客室で一夜を過ごすのである。言うまでもなく用意された客室は最高級のものだ。
セドリック以外の招待客が招かれた理由は、次にフィリア・レムスウェイナーを名乗ることができる歌姫を、世界の誰よりも早く知ることができる特別なパーティに参加するためだ。
彼らはセドリックほど深くはないが、金銭面などで財団に援助をしている者達。
要するに、スポンサー特権というヤツである。
先ほどの五人の誰が選ばれるのかは、セドリックすら知らない。
特別顧問で何より重要な立場にある彼だが、完全に裏方担当であることと、そもそも常に加わっているわけでもないため、財団そのものでの立場はさほど高いというわけではない。
当然ながら、彼の存在を知る人物も上層部ぐらいだろう。
誰なのかと尋ねたら普通に教えてくれそうだが、あいにく興味はなかった。
呼ばれたので来た、セドリックからするとただそれだけなのだから。
「セドリック・フラーチェ特別顧問ですね?」
飛行船から降りた二人の前に、小柄な少女が歩み出る。
「わたくしは『フィリア・シンガードール』の、日頃のお世話を担当している者です」
ネルフェと申します、と。
白と黒の、絵に描いたような女性使用人の制服である、膝丈の少しサイズの合っていないエプロンドレスを着た少女は笑って、セドリックとカティに向かってゆっくりと頭を下げた。
さらっと揺れる肩につかない程度の、真っ直ぐな髪。
おそらく仕事しやすさ、動きやすさを重視しているのだろう。
年齢はおそらくカティとそう変わらない程度、十代半ばほどだろうか。見目は整っている少女だが、まだ幼さが強い。見る人に与える印象は、まず清潔感と可憐さだろうか。
ネルフェに案内されたのはホテルの一室。
このホテルが自慢としている、最高級のスイートルームの一つだ。
そこにはゆるりとした曲線を描く長い茶髪の、やけにスタイルのいい美女がいた。
ほっそりとしたカティなどと違った、女性的な肉が適度についた――いうなら、男ウケする身体付き。黒のドレスに身を包んだその美女は、周囲に柔らかい妖艶さを振りまいている。
しかし浮かんでいる笑みは穏やかなもので、まるで母親のよう。
だから女性からの反発も少なそうで、その美女はゆっくり立ち上がると。
「お久しぶりです、セドリック様」
恭しく、一礼した。
「やぁ、久し振りだね……フィリア」
セドリックが挨拶を返す。
カティはある程度ではあるが事前に説明を受けている。この美女がフィリア――その歌声を今もコアの中に封じ込んでいる彼女の複製品、通称『フィリア・シンガードール』。
立ち振舞や身の動き方は当然のこと、その考え方も全てオリジナル・フィリアに似せて調律してあるのだとセドリックは言っていた。生前の彼女を正確に再現してみせた、と。
つまり、在りし日の歌姫もまた、こういう人物だったのだろう。
優しい面立ちのフィリア――『歌人形』は、穏やかな微笑を浮かべて。
「いかがでしたか、あの子達は」
「すでに君が教育を施したのかい?」
「えぇ、歌姫候補ですから」
ネルフェが淹れてくれた紅茶を飲みつつ、セドリックとカティ、そしてフィリア・シンガードールは向かい合うように座る。ネルフェは一礼すると、そのまま部屋を出て行った。
部屋にはフィリア・シンガードールとセドリック、カティだけが残される。
カティから見たフィリア・シンガードールは、どこにでもいる感じのする女性だ。正しく言うならば、そう見えるように気をつけて整えられた女性形のドール、だろうか。
穏やかな雰囲気と声、そして微笑み。自分達の前にはあるのに彼女の前にお茶も菓子もがないところから察するに、そのボディは飲食可能なものではないのだろう。
ではネルフェは何を世話するのかと考えたが、おそらくは身支度を手伝うなどする付き人のようなものだろうと思う。あるいは、彼女の話し相手といったところだろうか。
ただ歌姫フィリアの歌を誰かに教えるだけの存在ではなく、このフィリア・シンガードールには明確な自我がある。ならば、それなりの退屈も感じることができるだろう。
「それにしても、いつ以来でございましょうか、セドリック様」
「さぁ、どれくらいかな」
「最後にお会いした際には、そちらの方はいらっしゃいませんでしたから……」
フィリア・シンガードールがカティを見る。
「となるとかなり前か。財団もずいぶん大きくなったようだね。おめでとう」
「……いえ、この身はただ、彼女の歌を伝えるだけですわ」
くすくすとフィリア・シンガードールは笑い、目を細める。彼女はずいぶんと可愛らしい少女のように見えた。いや、外見は成人した大人だが。その内面が無邪気そうで。
――セドリックは、わたしにこうなってほしいのでしょうか。
いい勉強にもなるよ、と言ってセドリックはカティを伴ってここにきた。それは歌姫の歌声を聞くということなのだろう、とカティは思っていたのだが、もしかすると本当はこの『人を模した歌人形』に会わせることだったのかもしれない。それほどに彼女は人間のようだ。
当然、そう思わせるのは、彼女の『コア』に施された調律の賜物。
その基礎はセドリックが作り上げたものだが、日頃の調律は当然彼ではない別の誰かが担当しているそうで、かなりの腕を持っているだろうからおそらく『魔人』か『魔女』だ。
これだけのドールを作り上げるのに、人間の寿命はあまりにも短い。
「それにしても、候補らはやっぱり『名』で呼ばないんだね」
「えぇ、だって歌姫に家柄など必要ありませんもの」
「相変わらず――」
徹底しているね、とセドリックが菓子をつまむ。
そういえば、歌姫はみんな『何々の姫』と呼ばれていたと、カティは回想する。
どうやら、積極的にここと接点があった頃からそうだったらしい。
「今回は、深紅、紺碧、黄金、薄紫、それから真白の五人ですわ。中にはそれなりの家柄に生まれた貴族のご令嬢もいるそうですけれども、歌姫の選定には関わらないことです」
すべてを決めるのは『歌』ですから、と続け。
「もっとも、昨今の愚かしい俗物はそこに目を向けて、スポンサーになるならないを決めているそうですわ。あぁ、彼らのような低俗で愚劣なイキモノに、歌姫の決定権がなくて本当に良かったと、時を追うごとに強く強くそう思いますの。人はとても愚かで浅ましいですから」
「幼いうちにスカウトしていくのも、家柄による判断をなくすためかい?」
というセドリックの問いに、フィリア・シンガードールが頷く。
「確かにそれにより婚期が遅れる、ということは珍しいことではないようですわ。けれど別に構わないことです。候補であったということは至上の誉れ、いくらでも縁談相手は見つかりましょう。……もっとも、過度な選り好みをすれば、その限りではありませんけれど」
「選り好み、ね」
「すべてのことには『身の程』というものがありますわ、セドリック様」
ご存知でしょう、と続く言葉に、セドリックは意味深に笑みを強くする。
それにしても、彼女の口ぶりには少しの恐怖が漂っていると、カティは思った。まるでそうして自分の身を滅ぼした元候補がいる、とでも言いたそうに聞こえてしまったのだ。
いや……きっといたのだろう、それも何人も。
彼女がそう思う気持ちの重さを、強くするほどに。
「それにしても、わざわざボクを呼びつけたのはどういう風の吹き回しだい? キミのメンテナンスはお抱えの調律師の仕事のはずだ。確かにベースを構築したのはこのボクではあるのだけれども、もはや、その――女性、魔女だったかな、彼女の色に染まっているコアを、今更ボクにはどうにはどうにもできないさ。調律師としても、そんな冒涜はゴメンだよ」
「えぇ、存じております。わたくしはただ、見届けてほしいと思って」
「……見届ける?」
はい、とフィリア・シンガードールは言う。
その表情は、カティには悲しそうに曇っているように見えた。
「今回の候補を、セドリック様はどう思われました?」
「……残念だけど、ボクは芸事には疎くてね」
「彼女達はフィリアを継ぐに値する子でしょうか、あの子達は、その頂に至るに値する逸材でしょうか。神に与えられた才を持ち、神と人に愛される唯一の存在になれる子でしょうか」
いいえ――と、フィリア・シンガードールは続け。
「あの子達に、人に傅かれるに値するものが、見えましたか」
見えない、と断言するかのような強い声。フィリア・シンガードールが重さを抱く声で綴るのは、現在の歌姫財団が抱えている、彼らの存在意義さえ崩れ、消えかねない問題だ。
簡潔にいうなら、一部の候補――その身内による『賄賂』の応酬である。
貴族階級出身の候補が増え、金で爵位を購入するという富豪も増え、歌姫フィリアという存在は彼らにとって都合のいい広告のような、アクセサリーの如き扱いをされることが増えた。
一族から歌姫を出せば、それだけで一族全体が褒め称えられるような。
そんな扱いをされるようになった。
それだけならよかったと、彼女は言う。
そういう事情を背負って候補に名乗りを上げる少女は昔から多かったし、そういう裏があっても実力さえ伴っているならば、彼女、フィリア・シンガードールは別け隔てなく歌を教え歌姫に育て上げてきた。これまでは、これまではそれでよかったのだ、それでよかった。
だが、ここにきて一人の幹部からこんな相談をされたという。
――どうやら、最終候補のうちの四人、その身内が賄賂を渡しているようで。
賄賂の名目は『歌姫』である。我が子こそが歌姫なのだから、と例のパーティに招待されたとされる貴族に、大なり小なり金銭を包んで持っていくということをしているというのだ。
調べてみればその通りで、フィリア・シンガードールは頭を抱えてしまった。
詳細がわかったのはほんの一月ほど前。
すでに現在いる五人の最終候補が、すべて出揃っていた状態だったのだ。それを見越してのタイミングだったのか、偶然にも最悪となるタイミングに重なったのかはわからない。
すでに招待状は送ってしまっていて、だからこそ彼らは賄賂を渡す先を見定めることができたというわけで、今更すべてを一度停止させてなどということはもうできなくなっていた。
ふぅん、とセドリックは言い。
「それでボクを呼んだのは?」
何か用事があるんだろう、と足を組み替えた。
フィリア・シンガードールは、再度頷いて見せて。
「万一の備えですわ、セドリック様。あなたが特別顧問であることは、組織の上の者なら誰もが知っておりますから。あなたにはただ、次の歌姫が決まるまでここにいていただくだけで結構です。それだけで、誰もがあなたと、歌姫という存在に尊敬と畏怖を抱くでしょう」
「……なるほど」
「これは財団の問題、こちらで何とかするのが筋ではあります。ですが、すべてを正すにはやはり時間がかかりますので、どうか、その間の抑止力になっていただきたいのです」
そして、フィリア・シンガードールは、まっすぐセドリックを見て。
「そう――最悪の場合は『フィリア・シンガードール』を破壊することを、二度と再生することが不可能になるほどにわたくしを壊すことを、わたくしはあなたに嘆願致します」
「それ、は――」
さすがの言葉に絶句するセドリック。
フィリア・シンガードールは、静かに続ける。
「愚かしい行為がなおも止まらないのならば。フィリアの遺志が、彼女の心が伝わらないのであるなら、わたくしが存在する意義などないでしょう。それすらわからないとすれば、それでもあの崇高な彼女の名を利用し、おぞましき私利私欲のため食い物にしていくとすれば」
それはとても嘆かわしいことだと、歌姫を模したドールはつぶやいた。
わずかに、殺意のような揺らぎのこもった声で。




