5.そして――眠りにつく
花が敷き詰められた棺の中、その魔女は静かに眠っている。
不老長寿のバケモノは、死してもなおバケモノじみた美しさを放っていた。
それは、少女の傍らにいる同種の少年も、だいたい同じようなものだ。およそヒトとは思えない美しさ。彼女はそれが自分自身にも備わっている、ということは微塵も考えないが。
「彼女はいい従者に恵まれたものだ。いや従者というよりは師……家族、かな」
と、少年が口を開く。
「ヘルミーネには嫉妬する。ボクは彼女に嫉妬し怨嗟し逆恨みし、これからもその背を追いかけていくんだろうね。さすが、あの人のすべてを受け継いだ孫娘だと恐ろしくなる」
「それはいいのですが、セドリック」
傍らの少女が、声をかける。
「レオンとニコラウス……この二人は、結局どうなったのです?」
その視線は一人の魔女の傍らで、同じように目を閉じる二人に向く。三つの躯が、魔人セドリック・フラーチェと、そのドールであるカティ・ベルウェットの前に整然と並んでいた。
まるでおとぎ話のお姫様のように、この屋敷の主、魔女ヘルミーネは眠っている。
眠っているかのように、死んでいる。
傍らの二人はカティと同じ、死を知らぬドールだ。
本来なら起き上がって、主の葬儀を取り仕切っているべきだ。そしてセドリックと今後についての話し合いなどもしていて、主のいない未来の話をしているはずだったのだが。
「二人は――いや、二人も『死んでいた』よ」
セドリックの声は、どこか沈んでいるかのように低く、暗い。
「ボクが寝室に赴いた時、レオンとニコラウスは『死んでいた』よ。完膚なきまでに、この上ない鮮やかさを放ったまま、彼女の傍らで。……惚れ惚れするぐらいだよ、あれは」
「……セドリック、ですが彼らは」
「そうさ、彼らはキミと同じでドール。無機物で、予め予想できる範囲でしか思考も嗜好も持てないお人形。物理的に壊れることはあっても、通常、ヒトでいうところの死というものは存在しない……はずだった。だけど、彼らはどうもカティ、キミの更に先にいたようだね」
その言葉はとても、とてもという言葉では足りないほど珍しいものだった。何においても彼はカティが全てより上であるかのように語り、そうあることを心から願い、望んでいる。
そんな彼が誰かを、カティの上に持っていくのは大変珍しい。
レオンとニコラウスの二人には、そうさせる何かが起きていたということなのだろう。
「通常、ドールは『壊れた』と表現するものだ。せいぜい『自壊』さ。今回も普通だったら自壊と呼ぶべきなのだろうし、普通の魔人や魔女なら単純に壊れたと称するだろうね」
でも、と魔人セドリックは続け。
「彼らは死んだ。間違いなく死んでいたよ」
それはね、カティ。
セドリックはつぶやいて。
「ボクがキミに与えたいものを、彼らはヘルミーネから受け取っていた。そしてレオンやニコラウスはそれぞれのやり方で、彼女の願いを叶えた。それはね、それはきっとこう呼ぶよ」
一呼吸。
「愛情、恋情――それらを生み出すココロは、紛れも無い『魂』さ」
まるでそれを喜ぶように、セドリックは語った。
「ドールという存在が進歩する過程で、それとヒトの区別をつけるならば、自我の有無なんて役には立たない。カティには確立した自我を与えていると、ボクは自負しているからね」
「では、両者の違いは?」
「ボクはそれを魂とするよ。魂は死ぬことはあっても、壊れることはない。逆に、ドールの魂の器であるココロは、壊れても死ぬというわけじゃない。最近は有機素材の――ほっとくと人間の血肉のように土に帰ってしまうようなドールのボディがあるから、そうなるともうそこらで区別していくしかないだろう? まぁ、これはボク個人の勝手な基準だけどね」
どうせ異端さ、とセドリック。
世の調律師や人形師といた同業者が目指すのは、より使い勝手のいい道具としてのドールであって、セドリックのようにヒトと見紛うばかりのドールというのは流れに反する。
ヒトは従順にはなりきれない。
従順になれるはずがない。
だからこそ個を奪い、従順以外の道を叩き潰す。その上で、使いやすい道具として磨き上げていこうとする。彼らにとって、ドールとヒトは区別を必要とする関係性すらない。
ヒトと同じ形をしている方が見ていて良いだろう、という判断で、同じような形に整えられているだけの。それは、ほうきでありイスであり机であり筆記用具であり馬車であり。
所詮、そういう形に加工された道具でしかないのだ。
しかしセドリックはカティに、ヒトと見紛う存在になってほしいと願う。
故に区別する基準を求めた。
基準がなければ、どこに達すればカティをヒトと呼べるかわからないから。
「二人のコアはまっさらだったよ。調律を施したという痕跡すらない。作りたての、何の音色も込めていないものだった。もちろん、そんなわけがないのに、だけどまっさらだった」
だから、セドリックは二人が『死んだ』といったのだろう。
壊れずに消えるなら、それはおそらく『死』と呼んでしかるべき現象だ。けれど物言わぬ二人のボディから摘出したコアは、まるで納品された未使用のパーツとしか言いようがなく。
「夢がない俗物は、これを世迷い言と笑うだろうね。だけど、このボクは、その世迷い言に狂っているんだから仕方がないさ。狂っている? それは、褒め言葉と受け取るだけだよ」
「……それで、そのコアは?」
「あぁ、ボディに戻したよ。彼らがヒトに成ったなら、コアはいうなら心臓や脳さ。そんなものを摘出したままでいるなんてグロいこと、ボクにはする趣味なんてない」
と、二人は黙って棺に目を向けた。
真紅のドレスを纏い、誰よりも美しい魔女の左右には、安らかに、という言葉を当てるべき面持ちで目を閉じる青年がいる。少女の小さな手を握って、守るように抱きしめて。
「彼らは、このまま屋敷の庭に埋葬しようと思う」
向こうで穴をほってもらっているよ、とセドリックは言う。
屋敷の敷地の中に、どうやらそのための場所がすでに用意されていたらしい。
そういえばヘルミーネは、余命を宣告されていたという。
ならば主である一人の少女を心から愛し、幸せを願った彼らなら、きっと。
「最後の場所も、すでに決めておられたのですね」
■ □ ■
埋葬を終え、これもやはり用意されていた真っ白い墓石の前。
旅支度を済ませたセドリックとカティが、二度と来ないか、あるいは数十年単位で当分は来れないだろうからと、目を閉じ、指を組んで、カティが驚くほどとても長く祈っていた。
カティが知る、このヘルミーネ・エンゲルスという少女は、セドリックの師の孫娘という情報しかまだ持っていない。二人の間に何があったのか、余命を悟った彼女がなぜ大勢いたという祖父マスター・エンゲルスの弟子から、セドリック一人だけを呼んだのか。
到着する頃にはすでに眠っていた彼女は、何も語らないまま。
三人がすっぽり入った棺を地中に眠らせて、その上に乗せられた墓石の周囲は、やはりそのためなのだろう草花がふんだんに植えられていた。これという手入れをしなくても大丈夫な野の花が中心で、そのうち墓石すら巻き込むようにここは美しい花畑へと変貌するだろう。
誰かが参ることがなくなっても、永遠に美しいままであり続けるように。
「ねぇ、カティ」
珍しく真剣に祈りを捧げていたセドリックが、ふいにカティを見た。
ぞくりとするほど、穏やかな顔をして。
「キミはボクが死んだら……ボクのために『死んで』くれるかい?」
そうならなければいいと祈るように。
あるいは――そうなればいいのにと願うように。
泣きそうな、とてもとても不思議な表情を浮かべて、問うた。
カティはそれに答える言葉を持たない。忘却こそを死とみなして、世界の誰かが覚え続けていることで死んでいないとする、などというよくある話も気休めも口にできない。
ただ、どうしても出ない声の代わりに、静かに――。




