3.彼らは彼女を守り
とある国に、ヘルミーネという女の子がいました。
ヘルミーネは、おじいさんとふたりで暮らしています。おじいさんは『人形師』で、たくさんのお人形がいました。身体が弱くてお外にいけないヘルミーネのお友達です。
ヘルミーネのおじいさんには、たくさんの弟子がいました。
その中に、綺麗な金色の髪と赤い瞳を持つ、とても美しいお兄さんがいました。
幼かったヘルミーネの初恋は、その人に捧げてしまったのでしょう。おじいさんの元を彼が去ってしまった時はとても悲しかったことを、ヘルミーネは今も覚えています。
大きくなって、病気になって、ヘルミーネはお兄さんを探すことにしました。
しかし、もう長い時間が経っていて、面影しか覚えていません。
見つかったとしても、いい人だったとは限らないと、ヘルミーネのお友達は心配する声を上げました。会ったら思い出が壊れてしまうかもしれないと、危惧したのです。
だけどヘルミーネは笑顔で答えます。
「あなた達がいるなら、わたしは何も怖くないのよ」
その手をとって、幸せそうに笑っていました。
■ □ ■
レオンは屋敷の中をぐるりと巡り、一通りの雑務を終えた。
といっても、することは日々少なくなっていく。ヘルミーネのために屋敷中に飾られた花は彼女の部屋に集めるようになり、掃除は以前と変わらず専用のドールに任せてある。
客人が来るわけでも、ヘルミーネが『魔女』としての仕事をするでもなく。主のために存在するのがレオンで、主たる彼女が病床から動けなくなった今は特にやることもない。
彼女が元気に動きまわっていた頃は、いろいろとすることもあった。
例えば工房の掃除。いろいろと複雑な道具が置かれているために、壊さぬよう慎重に掃除しなければならない場所で、掃除用に使っている簡素なドールには任せることはできない。
……実は一度、レオンとニコが同時にメンテナンスに入って動けなくなり、任せた結果いろいろ壊れてしまったことがある。修理費などで結構な額が飛んでいってしまった。
あの時ばかりは、静かだったがヘルミーネは怒っていた。
怒りの矛先は、二人同時にメンテナンスをした自分自身だっただろうが。
それ以来、彼女は二人を同時にメンテナンスすることはなかったし、レオンは間違っても掃除用ドールに工房の掃除を任せることもなかった。全てを、自分達だけでやり始めた。
工房は、常に彼女の思うままの状態だ。
来ることもない『いつか』を待ち、工房は今も大切に整えてある。
いつか――また、ヘルミーネがそこに立って作業をする日が来るように。
その日、彼女が不自由なく仕事を始められるように。
とはいえ本当は、屋敷をくまなく掃除させる必要もないのだ。
汚れていてもドールである彼ら特に影響もないし、もはやここには客も来ない。極論を述べるならば、もはやキッチンとヘルミーネの部屋さえ綺麗であれば何の問題もなかった。
だが、屋敷が綺麗だときっと彼女は喜ぶ。たとえ目にすることがなくても。
そう思うからこそ、レオンは隅々まで綺麗にしていた。
「ヘルミーネが喜びますからね」
今日もレオンは花を運ぶ。庭にはたくさんの草花が植わっていて、そこから毎日一抱えの花を摘んでヘルミーネの部屋に飾るのだ。ベッドから動けず、抱えられて外に出ることも稀になってしまった彼女のために、彼女が愛した庭の香りを届けたいという願いゆえのこと。
部屋に戻るとヘルミーネは眠っていた。ソファーに横たわったまま。
その傍ら、ニコが食事の片付けをしている。
「食べ終わったら、眠っちゃったんだ」
「では、ベッドに移さないと」
ニコはヘルミーネに触れようとしない。自分の力では、脆くなった彼女を壊してしまうのではないかと、恐れているのだろう。とはいえ、そこまでヘルミーネは脆くはない。
少なくともベッドに運ぶ程度では、壊れたりもしないのだが。
「ニコ、お前が運んでさしあげなさい」
「でも」
「ヘルミーネはそこまで弱くはないよ。強くもないが、乱暴に扱わなければ平気だ」
レオンの言葉にニコはしばし迷っていたが、片付けを中断し、ヘルミーネに近寄る。恐る恐るといった様子で横抱きにすると、そのままいつものベッドへと運んでいった。
それを見たレオンは少しため息をこぼす。ベッドの上掛けをめくっていないので、そのまま寝かせられないのだ。そういうところが抜けている。まぁ、普段やらないので仕方がない。
先回りして上掛けをめくってやると、あ、と小さくニコが声を漏らす。
どこかバツが悪そうに、恥ずかしそうに表情を歪めた。
「……やっぱ、レオンはすごいなぁ」
「そうでもないさ」
「ヘルミーネのこと、なんでもわかってる。世話も完璧だ」
「だが料理は作れない。面白い話を聴かせてやるセンスも……生憎と」
ゆえに二人で守るんだ、とレオンがいい。
そうだね、とニコが笑う。
ヘルミーネの身体が冷えてしまわないよう上掛けをしっかりかけ、ニコは再び食事の片付けを始めた。レオンは当然、部屋に置かれた花の入れ替えである。だがその視線が、ほとんど量を減らしていないらしい料理に向くと、わずかに眉間にしわが寄った。
「……やはり、あまり食べてはくださらないのか」
「うん」
答えたニコの声には、料理人としての残念より、彼女が日に日に食べ物を口にできなくなっていることへの悲しみがある。料理人だからこそそれがわかる。一日に三回ほど作っている料理が、だんだん材料を必要としなくなっていくのだ。調理時間は増しているのに。
それは財産管理を担当するレオンにも伝わっている。
食費がどんどん減っていく。それだけ彼女が食べなくなっている。二人のボディは食べ物の摂取を可能としているものではない。あれはとても高価だし、ここ数十年のヘルミーネに収入はない。三人分の食事という問題を考えると、今の身体のままがちょうどよかった。
だから食費はヘルミーネ一人分。
ゆえに、手に取るようにわかってしまうのだ。
それぞれの役割の中で、最愛の少女の死期が迫っていることに。
だからニコは料理を少しでも口にできるよう工夫をするし、レオンは減った食費の分を他のことに回した。少しでも良い食材を使ったり、庭を手入れしたり、服を作ったり。
少しでも彼女が笑顔でいてくれればいい。
たとえ、苦しくとも彼女が笑顔を絶やさない優しい少女であっても。
「あの笑顔に本物をたくさん」
「心からの幸福を」
どちらともなく、いつか誓ったことを口にする。
ただのドールである二人にできることは、とても少ない。
結局、一緒にいて最後まで手を握っていてあげるぐらいしか。
それだけで彼女が『幸せ』だと笑うのが嬉しく、とても悲しかった。
それだけで『幸せ』なわけが、ないのに。
そういえばさ、と食器をカートに載せたニコが言う。
「ねぇ、どんなヒトなのかな。ヘルミーネが呼んだその『おじいさんの弟子』って」
「わからないが、彼女が最後に会いたがる相手だ。悪い人ではない。それに我らが作り手が弟子とした相手なのだから、そういう意味でも大丈夫だ。あの人は善人ではなかったかもしれないが、孫娘であるヘルミーネに関しては、きっと世界の誰より大事だった」
「うん、だったらきっと安全な人だ」
それに、とニコは続け。
「問題があったら、二人で何とかすればいいだけの話、だね」
その言葉にレオンは頷く。
そう、客が無体を働くならば、全力で排除すればいいだけのこと。相手がどのような存在であろうとも、この世で最も愛する彼女を守るためならばいかなる行為もためらわない。
それが、作り手である彼女の祖父が最後に二人へと命じたことであり、そして本人らが心から望んでいること。ドールという作られた存在である二人が、自らに任じた役割。
守らなきゃ、とニコがつぶやき。
小さく、レオンが頷いた。
――迫る最後の瞬間までずっと、守ってあげなくちゃ。




