5.庭園には誰もいない
すべてが上手くいったその日に、彼女は目の前で死んだ。
呪詛を吐き、死んでいった。
気がつけば彼女を傷つけたのは自分ということになって、仲間が必死にそれは違うと説明しようとしてくれたけど、それを拒否して逃げ出した。あのまま彼らに口を開かせると、彼らすら闇に引きずり落としてしまうから。あの闇は、あまりにも冷たく、凍えてしまうから。
失った彼女は。
それを照らしてくれた光だった。
彼女が、太陽よりもまばゆくて温かい光だった。
何も言わずに独断で行動して、その結果がこの喪失。全部自分のせいだ。両親や縁談が決まっていた姉妹が死んで、一人になって、そうして今度こそ正真正銘のバケモノに成り下がり。
かつて彼女と暮らした場所で、無為な時間を送って死んだ。
よく、叡智に見捨てられなかったものだと、思うほどに無意味な時間だった。
身体が朽ち果てた後のことは、あまり深く記憶されていなかった。彼を間違えて連れてきてしまうまでは、ほとんど無意識の中で行っていた。どうして、という問いの答えはない。
ただ、遠因は彼女だ。
失った彼女をずっと探していた。
長い長い時間をかけて、たくさんの何かを無意識に壊し続けて。その先でやっと見つけた大事な人が、しゃがみこんで手で顔を覆い隠して、肩も全身も震わせて目の前で泣いている。
もういいんだよ、と影が笑う。
泣かなくていいよ、と。
全部、この臆病さがいけなかっただけのこと。悲しませたことも、絶望に叩き込んだことも背負わなければいけない罪だ。その後の孤独はそれに相対する罰なのだから。
だから、これから消えていくことも、罰だろう。
悪いことをしたの、と彼女が泣いている。
酷いことをずっとしてきたの。昔からずっと繰り返していたの。
泣いている。その細い方に手をおいた。ぴくり、と彼女が震えるのが伝わる。手はまだ顔を覆ったままだったけれど、それでも構わないと思った。声は届くから、構わないのだ。
そう、悪いことをしたと思うなら、償えばいい。罪には罰が連れ合う。償いではどうにもならないことだってあるけれど、罰を背負うことにはきっと意味があるはずだから。
――だから一緒に、償いに行こう。
かすれ消えそうな声を影が抱きしめて。
一瞬、優しそうな青年と、泣きじゃくる少女の姿がはっきりと見えて。
光が溢れ、嵐のように周囲をなで周り――。
■ □ ■
「……ふぅ、これで仕事は終わりだ」
セドリックがつぶやき、いつになく疲れた息を吐き出す。
その表情は、少し疲れの色が濃いように見えた。
「セドリック……結局、あれは何だったのですか」
「さぁね。亡霊と呼ぶもいいし、この場所が引き継ぐように見ていた夢でもいい。ただひとつ言えることは、全部夢だったということだけさ。そして、夢はやっと終わったということ」
服についた汚れをぱんぱんと叩き落としながら、その赤い瞳が周囲を見回し。
「まぁ、アレでよかったんじゃないかな。どうせ何百も何千も昔の話。魔人だった彼ですらすでに死んでいるほど、遠い昔の話。もはや歴史と言っていいそれはすでに書き換え不可能さ」
彼と、彼の隣に立つカティしかいない朽ち果てた空中庭園を、その残骸を眺めた。
あれほど美しかったそれは、すでにここには存在しない。
光と、それからあの二人と一緒に消えていた。
庭園だったことを思わせるのは、添えらしい区切りのレンガと内側にある土。それから朽ち果てる寸前となり、軽く触れるだけで土や塵となるだろう木々の残骸のみ。
無理もない、少なくとも数百年はほったらかしだ。どれだけ力強い植物でも、それほどの長い時間を投げ捨てられたままだと、さすがに朽ち果て消えるしかない。仮に生き残っていたところで、土台がもう長くないだろうから……どちらにせよ、この空中庭園は消える運命だ。
きっと、美しかったのだろうと思う。
彼が得た力を使って、美しく整えたこの庭園は。
最愛の、彼女のための庭園は。
今はもう、その面影を想像することしかできないが。
「……きっと、美しい場所だったのでしょうね」
遠い遠い昔に、一人の幸福を願った夢が作り上げた場所は。
彼が彼女のためだけに作り出していた庭園は、きっと。
そうきっと、この世のものとは思えないほど美しかったに違いないのだ。
カティの思考には一瞬だけ見えた二人の姿が焼き付いている。照れるように、あるいははにかむように笑っている彼と、満面の泣き笑いで彼の腕の中にいる少女。
すでに死した二人が、これから行く場所は知らない。
罪を犯した彼らの末路もわからない。
カティには縁のない場所だ。天国でもあの世でも、地獄にしても。だけど二人は行き着いた先が地獄であっても、その手を繋いで生きていくのだろう。それすら償いであると嘯いて。
できれば、二人が別離の罰を受けなければいいと思う。
これまでずっと離れていたのだ、もう、それを使った贖いは終わってもいいはずだ。
きっと二人は、別離もまた罰であると受け入れると思うけれど。やっと再会した、やっと心を繋ぎあわせた二人を離すようなことは、どうかしないでほしいと祈る。誰に祈ればいいのかわからないけれど、どうか、どうかそれだけは、と。目を閉じて、黙祷を捧げるように。
その隣で、セドリックが空をみあげて、言った。
「ボクは生まれ変わりとかは、ぜんぜん信じてはいないんだけど」
というかそういうのは見たことがないしね、と続けて。
「だけど彼らは、またいつか巡りあって、今度こそ国一つをぶっ潰してしまうようなくだらないお芝居なんて必要のない、誰からも祝福されて誰もが幸せだと笑い合える、そんな大団円を得られればいいと、思わないでもないよ。ま、神は気まぐれだからアテにならないけどさ」
だけど、そうなればいいと。
セドリックの声は、珍しく祈るように音を紡いでいた。




