3.そんな、他愛ない昔語り
この塔はどれくらいあるのだろうか。
下から見た感じだと十階程度だった気がするが、まだまだ先がある。
疲れを知らない身体とはいえ、心の疲労は積み重なっていく。
一向にゴールが見えないことに、カティはさすがに疲れ始めていた。茨が少しずつ太くなっていることだけが、ぐるぐると同じ所をめぐっていない、という証拠のように感じる。
声はすっかり静かになり、だが何となくそれらしい気配だけは感じられた。
そのことも、カティの中に疲れを生む。
彼女はドールだ。そういう第六感的なものを、感じられる存在ではない。いや、そういうものを感知する個体も、もしかしたら世界の何処かにはいるかもしれない。人形師というものはその技術の高さを求めた結果、魔人や魔女といった『叡智と賜った存在』に至るケースがとても多かった。技術を磨いた結果、必然的にそうなっていた――とも、言えるかもしれない。
神に賜るという事象から、彼らの多くが神秘的現象を基本的に信じている。
この場にいれば『声』の存在に喚起し、コミュニケーションを取ろうとするだろう。
セドリックは、しかしこの手のものは基本的に信じない。そういう、言葉や理論では説明がつかないことが起こりうる、ぐらいは信じている。自分が《魔人》となったがゆえに。
だが逆にいうなら、自身が認識しない限りは信じないのだ。
例えば各地に伝わる怪談などは、まず否定する側に立って考える。今回の事件――謎の存在が誘拐事件を起こしている、という話だって、普通に疑ってかかっていたくらいだ。
――とはいえ、あれを見ればさすがに信じたでしょうが。
為す術もなく彼がさらわれていった瞬間を思い出し、そんなことを考える。
人智を超えたものには、同じく人智を超えた存在をぶつけよう。ヒトならざる存在ならばきっと解決してくれる、さらわれて殺された娘らの無念などを晴らしてくれるだろう。
そんなことでも考えたらしい今回セドリックが受けさせられた仕事の依頼は、しかしこれからどうすればよいのだろうか。そもそも彼は乗り気ではなかったし、縁やらしがらみやらで断りきれなかったからわざわざ出向いているが、彼自身はまったくやる気はなかったと思う。
大前提として、セドリックは超がつくほどのインドア系だ。
そしてヒキコモリである。
こういう事件解決担当ではないのだ。誰から依頼を押し付けられたのか知らないが、この世界には適材適所という便利かつすべての理とも言うべき概念が、広く崇められるべきである。
「誘拐犯だかなんだか知りませんが、はた迷惑にも程があります」
何度目かの階段部分を登りきり、再びカティは平たい廊下に足を踏み出す。
くすり、と声が不意に笑ったのを、彼女はきいた。
『知りたい? 誘拐事件の犯人さん』
それに、答えた声はなかった。
だが声は楽しそうに、歌うように、勝手に語り始める。
それは、遠い遠い昔の――文字通りお伽話のような一つの物語。
■ □ ■
大昔のことになる。
この塔の近くには今はない国があった。
国王がいて、王妃がいて、一人娘である愛らしい王女がいる。そんな、今の良でも割とありふれた王族が統治する小国があった。貧しくはないが、栄えてもいない国だった。
平和だった国に暗雲が、突然として現れたのは姫の縁談が決まった夜。
いや、正しくは縁談をまとめようという話が持ち上がった日のこと。
厳重な警備が敷かれた、城の中の王族のみが暮らしているプライベートな領域の、私室から王女の姿が消えてしまったのだ。誰に姿を見られることもなく、証拠も残さないままに。
国は大騒ぎになった。
当然だ。国王夫妻の一人娘で、一人っ子。次に王となるのは彼女か、その夫だ。この国を背負って立つべき存在が、何者かに誘拐されたのだ。――家出したのではないか、という声もいくつかあったのだが、そもそも城下に出たこともない姫が、一人で脱出できるわけもない。
よってこの事件は誘拐とみなされ、王妃は心労で倒れてしまった。
国王はなんとかして、娘を助けださんと考えた。だがこの国の未来を担う王女の誘拐を世間に明かすこともできずに、いたずらに時間は流れ去っていくばかりだった。
『一方、オヒメサマの方はというとね』
声がくるりと回る、そんな感じのゆらぎを持つ。
踊って、いるのかもしれない。
『彼女はとあるバケモノに、恋をしてしまっていたの』
「……恋?」
『そうよ、お伽話みたいにバケモノに恋をして、そのバケモノと駆け落ちしたの』
それが『王女失踪事件』の真相だと、声は語った。
彼女はバケモノが住んでいた場所で幸せに、二人っきりの時間を過ごした。国のことなどまったく省みることはない。それどころか、こんなにやさしい人をバケモノと呼び蔑む人々への嫌悪すらあった。恋は盲目とよく言われるが、彼女は盲目すら超えていたかもしれない。
だけどしかたがないこと、と声は言う。
王女は俗にいう『箱入り』だった。
外を知らないまま、城という温室でぬくぬくと育った花だった。日々の職務に忙しい両親は娘との時間を持てずに、彼女は数人の侍女らと外界から隔絶された場所で過ごしてきて。
『彼女にとっては、顔も声も名前も――存在すら怪しい国民なんかより、一ヶ月に数回しか顔を合わせない両親なんかより、壁の向こう側に立って心を許さない侍女なんかより。目の前にいて彼女の名前を温かい声色で綴って、触れて、抱きしめて、愛でてくれる。そんなバケモノの方がずっと愛しくて、この世界の何よりも誰よりも守るに値する存在であると認識したの』
だから彼女は手紙を認めた。
バケモノと暮らすから、探さないでくださいと。
王女失踪から一年ちょっと。どれだけ緘口令を敷いても噂となって騒動は外に流れ、すでに国民の中にも話が伝わり騒がれ始めていた頃合いだったそうだ。
そこへ来ての、バケモノと暮らす、という宣言。
当然受け入れられるわけもなかった。
国王は、そしてお触れを出す。
『見事我が娘をバケモノより救いし者に、莫大な褒美と娘の婿となる権利をやる、と』
「……それで仮に一般市民、爵位を持たぬ平民が姫を奪還した場合は?」
『問題なんてなかった、と思ったのね。だってユウシャサマって祭り上げればいいもの。むしろ庶民であるほど都合が良かったのではないかしらね? 実際、貴族で名乗りを上げたのはほとんどが次男三男といった、よそに婿に行く存在ばっかりだったそうだし』
つまり死んでも良かったのよね、と声が笑う。
バケモノに殺されるなどして、殺されてもさほどの損害はない。だが、もしかしたらバケモノを殺して姫の婿になれるかもしれない。そんな陰謀が渦巻く救出劇が始まった。
当然、その話は王女の耳にも届いていた。けれどバケモノはすでに自分の夫、神の前で永遠を誓い合った関係。それが引き剥がされることなど、あるわけがないと思っていた。
『長いから端折るけど、結局オヒメサマは救出されてしまいました。そしてバケモノは目の前で殺されて、彼女は救出したユウシャサマ――田舎の貧乏領主の嫡男と婚約したのです』
目の前で夫を殺されて半狂乱の王女を、人々はバケモノに与えられた恐怖ゆえと認識し、あるいはそう思うように操作され、憐憫を抱くようになる。真実は誰も知らず、彼女の手紙はバケモノが彼女に認めさせた虚偽であると一刀のもとに切り捨てられ。
正気を失った娘を、両親は国を守るためという建前で嫁がせることにした。
当然、あのバケモノから王女を救った青年に。貧乏な地方の領主一家、多額どころではない持参金をつければ、玉座がなくとも文句はいわないだろうという打算がそこにある。
次の王には臣下に嫁いだ王妹の次男が、ということになり、話は片付く。
片付けられた、はずだったのだが。
『次第に狂気の中で正気を掴んだオヒメサマは、復讐を考えたの。自分の話を信じなかった両親と踊らされるだけの愚鈍な民に、夫を殺したユウシャサマに、死ぬよりも残酷で陰惨で永遠に残る傷をつけてやろうと。そうね、きっとオヒメサマはあの時に死んでいたのよ』
夫たるバケモノが死んだ時に、彼女も一緒に死んでいた。
傍目に落ち着いたようにみえる王女に安心した周囲は、彼女と青年の結婚式を大々的にとり行うことにした。バケモノに誘拐され、救出された王女と救出した青年の結婚。笑いがこみ上げるほどによくできた『大団円』は、大勢の国民が見守る中で執り行われることになった。
純白の、美しい花嫁衣裳を着せられた王女は、新郎と両親が待つ祭壇へ向かう。
その足がぴたり、と止まる。
そして彼女は叫んだ。
国の中央にある大聖堂に集まった人々に、よく聞こえるように。
「何を、叫んだのですか?」
『真実よ、お人形さん』
王女渾身の、人々の涙を誘った呪詛。
それは。
『自分にはずっと好きな人がいた。その人と結ばれることを望んでいた。それを伝えたのに父も母も勇者もその仲間も、誰もそれを認めてはくれなかった。挙句に誘拐された姫君と結婚する勇者という美談のために、彼を亡き者にしてしまった。そんな世界をわたくしは許さない』
それは、とカティは何かを言いかけ、しかし口を閉ざした。
声は続きを歌い始める。
呪詛を叫び、王女はそれを断末魔に隠し持った刃物で自らの首筋を切り裂いた。赤い鮮血が周囲に飛び散って、国で一番の職人が、苦難のあった彼女の幸福を祈り作り上げたドレスを緋色に染めた。崩れ落ちるその身体を抱きとめられる人はなく、彼女はそして死んだ。
彼女の呪詛は国中に伝わり、そして国民は国王夫妻や勇者らへの疑念と怒りを抱く。たおやかでおとなしい王女が、あのような行為に出るほど絶望に打ちひしがれたのだ。
きっと彼女の言葉は真実に違いない、そんな声があちこちから飛び出して国を飲み込む。
王女を救い出し、国を揺るがしたバケモノを討伐した青年は、罪のない市民を殺害した首謀者とみなされた。王女と想い合っていた誰かを、自分が王女と結婚するために殺したと。
それは勇者の仲間数人のうち、一人だけ旅の途中に死んだ少年だと言われた。王女の幼なじみだから、とついてきた彼こそがそうだったのだと、自然とささやかれるようになった。
王女に対してなされたという青年の所業に、彼の家族は嘆き悲しんだ。縁談が決まっていた姉や妹らはそれらをすべて断られ、恋人にも捨てられ、青年が王都で釈明などをしている間に一家で首をつった。さらに領民からも反旗の声が上がり、しばしの間、という名目で彼は先祖代々守ってきた領地すらも失う。結局それは返されず、仲間の静止も振り切って青年はいずこかへと去った。それから国は更に揺れて、内乱の末に見る影もなく消し飛んだという。
『……でね、ここにいるのは』
と、声は囁くように笑いながら。
『死んで、王女を求めるだけの亡霊に成り下がったユウシャサマ、なの』
まるで嘲笑うように、言った。




