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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
空中庭園に眠る追憶
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2.茨に覆われた道

 想像通り、というべきだろうか。

 塔の中は荒れ果てて、あちこちに瓦礫が転がって少し進むだけでも苦労する。よくも倒壊していないものだと、二階部分に辿り着いたカティは足を止めて思った。

 塔の一階とこの二階部分は、細かく部屋では分けられていない。というよりも完全に吹き抜け状態だった。建造物への知識は乏しいので、そうしている意図は不明である。見たところ三階も同じように吹き抜けになっていて、階段だけがぐるぐると塔の内側を這い上がっていく。

 四階からは、おそらく部屋があるはずだ。

 天井はそう遠くない。


 ――どこかの国では『石橋を叩いて渡る』などという言葉があるそうですが。


 いざ叩いたら最後、そのまま崩れそうで恐ろしい。もちろん件の言葉は実際に叩いてみろという意味ではないのだろうし、そもそもこれは階段であって石橋ではないのだが。

 とにかく、早く片付けなければいけない。

『ねぇねぇお人形さん』

 声は、相変わらず鬱陶しいほど話しかけてきた。

 やはり姿は見えない。あの一瞬だけ浮かんだものは、気のせいだったのだろうか。流れるような美しい金髪は、声からそんなイメージをふくらませて、思考が浮かばせただけの幻で。

 だが、ドールのコアがそんなことをするなど、聞いたことがない。あれば、セドリックは喜んで仕込みかねないし、そもそもいくらイメージを浮かべたところで、実際に見るためにはボディとの調整が必要になる。カティに黙って仕込んだとしても、ここしばらくボディを弄くられてはいない。せいぜいメンテナンス程度で、眼球パーツなどを取り替えたのはだいぶ昔だ。

 では、先ほどのアレは何だったのだろう。


 ――セドリックでもいれば、何かしら知恵を借りられたのですが。


 いないことが、とても重い損失に感じられた。

 カティの知識は決して乏しいものではない。彼女の外見年齢である十六歳前後の、教育を受けられる身分の子女らと変わらないか、少し上ぐらいだろう。バカだと、知恵を知らぬと罵られ笑われるほぼ劣ってはいないが、それでもセドリックには遠く及ばない程度だ。

 彼なら、このエラーを解析できるだろうに。

 どうして先程から、自分に声をかけてくる相手が彼ではないのだろう。

 相手が神経を逆撫でるようなことばかり言うから、余計にその存在を拒絶する。どこかの国では霊魂を叩き返すのに塩を使うらしいが、今すぐ声のする方にぶちまけたかった。

 しかし、塩は貴重だ。

 カティが暮らしている国は内陸にあり、塩の値段が結構なものである。最近は列車などの移動手段があるので、以前ほどの高値ではないのだが……それでも気軽に使えるものではない。

 当たるともわからず、効果も定かではない行為に使うなど無駄の極みだ。

 そもそも、塩など持ち歩いてもいないのだが。

『急に静かね、お人形さん』

 くすくす。声は笑っている。

 助けてあげましょうか、などと言ったくせに、声はまったく助けにならない。助言の一つもしない。もっとも、それが助言か虚言かカティにはわからないが、何も言わないよりはいくばくかマシではないかと思い始めている。少なくとも、嘲笑うように声をかけられるよりは。

 いっそ、お前が役に立たない上に鬱陶しいからだとでも、言えればいいのだが。

 その結果が無意味であることは、なんとなく予測ができる。


 ――わかりきっている結果を、わざわざ求めるほど暇ではありませんし。


 カティは小さくため息をこぼすと、すぐそこに迫った扉を押し開いた。鉄でできた扉は錆び付いていて固く、不安定な足場ではなかなか動かなかった。しかし一度動き出せば、まるで思い出したかのように少し軽くなり、ぎぎぎ、という耳障りな音を奏でてその向こう側を晒す。

「これは……」

 それをみたカティは、言葉をなくした。

 扉の向こうには、ゆるく曲線を描く長い廊下。

 眼の前にあるものがそれだけならば、別におかしいものではない。おそらくこの廊下はぐるぐると等の内側を螺旋状に登っていく形に作られていて、中心部分に部屋なり何なりが設置されているのだろう、ということは予測できること。そして、おそらくそれは正しい。

 問題は、壁という壁に、床という床に、植物が覆い茂っていることだ。

 まるで最上階から流し込んだように、カティから見た『奥』の方からそれは這うように伸びてきていた。刺があることから、これはただの蔦ではなく茨なのだろうか。

 ご丁寧、といえばいいのか。地面に敷きつけられた茨に刺はない。

 だが壁や天井には、命こそは奪われないだろうがなかなかに大きく鋭い刺が、これでもかと存在を主張しながら矛先をカティに向けている。うっかり壁に寄りかかることもできない。

『あらあら、まるで茨姫ね』

 声が少し前方で笑っていた。

 カティはあまり物語の知識がないが、それが童話の一種であることは知っている。大雑把なあらましとしては、何らかの理由で眠った姫がいる城を茨が覆い尽くしている……だったか。

 だが興味が薄いことなので、はっきりとしたことは覚えていない。

 そもそも『姫が眠る』という要素だけで、結構な数の物語が該当する。

 それらを混ぜて記憶していない、という自信はなかった。

 とはいえ、問題はそこではなくて。

「……上にいる、と思われるのはセドリックですが」

 間違っても姫ではない、絶対。

 何度目かのため息をつきながら、カティはずっと抱いていた疑問の答えに気づいた。もしかするとこれが、その原因だったのではないかと。つまりこの覆い尽くす茨に恐れをなして、過去の誘拐で被害にあった誰かの家族は、救出を諦めてしまったのではないか、と。

 こういうものに比較的慣れているカティですら、さすがに驚いた。

 慣れていないどころか、想像もしていない一般市民には刺激が強すぎる。

 入り口が『コレ』なのだから、きっと上は。

 そう考えても、何の不思議もないように思った。それに下がこうだからといって、上も同じとは限らないのだ。もっと酷いかもしれないし、思ったほどではない可能性だってある。

 先に進まないと何もわかりはしない。

 カティはバランスを崩さないよう気を使いながら、不安定な道を歩き始めた。

 痛覚を遮断すれば別に痛くはない、が、セドリックに不要な心配をかけたくない。

『あら、進んじゃうのね』

 意外そうに声が言う。ここに犯人がいる、と言った声は、もしかするとこれまでにも何人かこうしてここに案内したのだろうか。だとするとカティ以外はおそらくここで一目散に逃げ出したのだろうから、ここで進むことにした彼女に驚いているのかもしれない。

 だが、逃げ出したのは所詮、被害者が『その程度の価値しかなかった』だけだ。

 一歩を踏み出す勇気もう見出せない程度でしかないから、逃げられた。

「わたしは、セドリックを助けて、家まで帰らなければいけませんので」

 人智を超えた存在であっても、問題はない。

 そもそも姿なき声がすでに近くにいるわけだし、今更過ぎた。

『こんな道なのに、進むの?』

「当然です。セドリックを拾って帰らなければ、わたしには意味が無い」

 まるでいますぐ帰れと言わんばかりの言葉にカチンときて、カティが強く床を這う茨を踏みつける。ざり、という音と共に、平たく硬い何かの感触が靴の裏から足に伝わった。

「……え?」

 思わず視線を下に向けると、そこに茨がなかった。

 床だけではない。壁や天井の、そこらにひしめいていたものが消えている。そして。

『健気なのね、ふふ……』

 目の前に、いつかよりははっきりとした声の姿が浮かんでいた。裸足で、床から数センチほどふわりと浮かんでいる。来ているのは白い、ウエディングドレスのような美しい衣服だ。

 長い、ゆるやかな曲線を抱く金色の髪が吹いてもいない風に踊り、そして姿が消える。

 同時に茨がにじむように出現し、カティはわずかにバランスを崩しかけた。

 壁に手をつかないようにどうにかこらえ、だが思考の中は大混乱に陥っていた。


 ――感覚の錯覚など、この身体にありえるのでしょうか。


 何度記憶を見ても得られる答えは同じ。僅かな間だけ茨が消え彼女の姿が浮かび上がり、そして出現と消失が逆転した。何度思考を繰り返しても、その事象は決して変わることはない。

 しかし、だとすれば今、自分が踏みしめているものは何だ。

 茨だ。固く樹の枝のように硬質化している、けれど立派に存在している茨だ。靴の裏からその感触はしっかりと伝わり、そこにある、ということを伝えてくる。

 では、やはりアレは夢だったのか。

 なくなれば楽だと、思わなかったわけではない。そんな願望が見せた何かなのか。

 出ないとわかっていながらも、カティは思考を巡らせていたが。

『ねぇ、どうかしたの?』

 不意に声がひびき、それが思ったよりも近かったから、咄嗟に距離をとる。

『……? なぁに?』

「いえ……先に進みます」

『さっきもそうだったけど、どうかしたのかしら、お人形さん』

 くすくす、と笑いを含んだ言葉に、カティは背を向けて歩き出す。床を、壁を、はうように覆い尽くすその茨が、なぜか急にとても薄っぺらいもののように感じられた。

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