1.亡霊は人形と踊る
望まない限り誰も来ないような場所に、その塔はあった。
元は住居としても使われていたのだろう。いくつかの階層があり、外側をぐるぐると回るように作られた階段を登れば、一定の距離ごとに金属で作られているらしい扉が並んでいる。
だが扉は見るからに錆びて朽ち果て、中に入ることは難しいだろう。
ヘタにこじ開けようものなら、塔そのものが崩れかねない。
そんな場所の、わりと上の方――その少年はいた。
黒い、サイズの合わない衣服を身につける、金髪の彼は。
「バカバカしい」
縛られるでもなく押し込められた、おそらく数少ない使用可能な部屋の中、だいぶボロけて朽ち果てそうな椅子に腰掛けてそんな言葉を発した。その矛先にいるのは、黒い靄、影、そんな言葉で表現されそうな――およそヒトでもイキモノでもないとしか思えない何かだった。
先程から、消えそうになりつつも語られるあらましに、心の底からあきれ果てる。
「あまりにもバカバカしく、そろそろておなかがいたいよ。だからこのボクを女と見間違えたことと、ボクの隣にいたカティという最高の存在を見逃したことは許してあげる」
どこまでも上から目線で相手を許し、セドリックは窓――ということにしたい、ぽっかりと抜け落ちるように四角く開いた穴の、曇天が広がっているその向こうを眺め。
「……それで、ボクがあの町にいた理由なんだけどね」
浮かべていた冷笑を引っ込めて、口を開いた。
■ □ ■
なぜ、こんな近隣の町や村から決して遠くない場所にある塔に、誰も助けにこないのかとカティは思った。危険な森があるわけでもなく、険しい道ということもない。元々、塔は住居として使われていたのだろう。整備されなくなって久しいとは言え、道は立派に道だった。
これよりひどいものを、カティはいくつも目にしている。
たったこれだけの距離を、彼らはなぜ自分の配偶者や姉や妹を探しにこないのか。
死んだと『決めつけられていた』彼らの遺体は、どこにあるのか。
しかしこの、目に見えざる《亡霊》は何も語らない。
騙ることもしない。
彼女はただ道案内をする。声だけで、カティをこの塔まで招いた。驚くほど単調な、セドリックならむしろ困難を求めるぐらいに簡単な、塩が足りないスープのような味気なさだ。
そもそも、聞いた話とだいぶ違うではないか、とカティは訝しむ。
元々は、知り合いに報酬を積まれ、それに目が眩んでやってきた二人。つまりはこの血で起こっている誘拐殺人事件を解決してほしい、という頼みだった。そういう仕事はしていないとセドリックは最初断ったのだが、積み上がった報酬は、大金を必要とする研究をしている彼の抗いをあざ笑う。その頃は、まさか人智を超えた何かが絡んでいるなど聞いておらず、むしろ意図して言わなかったのだろうその現象のせいで、当初はすぐに片付ける予定がこのざまだ。
セドリックは非力だが、しかし『無力』ではない。
命を落とすことがあったとしても、そうやすやすとはやられはしない。
――はずです、が。さすがに少し心配ですね。
等を見上げ、カティはぎゅっと手を握る。
無に近い表情には、かすかな焦りがぷかりと浮かんだ。
『心配性なのね、お人形さん』
それを笑うのは女の声。
やはり姿は見えないのだが、近くにいるらしい。
『大丈夫だと思うけど、だって彼は彼なのでしょう?』
「セドリックが男であるから大丈夫、とあなたは言うのですか?」
『それとも、男だからこそ殺されちゃうかかしらね。フフフッ』
声が笑っている。
――いっそセドリックが殺されていればいい、とでも言いたそうな人ですね。
カティは声がする方を睨むように一瞥し、再び塔を見上げた。
一応、塔には入り口らしき場所がまだ残されていた。だが明らかに朽ち果てようとしている場所に足を踏み入れるのは、さすがに恐怖を感じざるを得なかった。この先にセドリックがいるとしても、足がすくむ。思わず手を当てたのは、音色を奏でる自身の左胸だ。
ドールのボディは、人間の肉体よりは丈夫な素材で作られる。
それは、その中に収めるもの――コアが、人間の心臓などよりもずっと脆いせいだ。
ボディは殻。中身を守るための。人間の部位で近いとするなら頭蓋骨だろうか。だけどきっと人間の脳よりも、ドールが抱くすべてであるコアはもろく、簡単に破壊されてしまう。
カティのそれは丈夫な仕上がりだと、セドリックは言っていた。
何よりも強く、高らかに音色を奏で続けるために、彼が手作りした特別なもの。
腕や足ぐらいならば、またアルヴェールに治してもらえばいい。一流の人形師であり、特にボディ作成に長けたかの魔人ならば、いとも簡単に修正して見せるだろう。
だけどコアは。
そこに刻まれたカティという人格は。個は。
壊れてしまえば、そこで終わってしまうのだ。
人間は霊魂となっても『出てくる』と言われているのに、ドールは違う。
――命ではありませんから、仕方のないことですが。
だからこそ惜しむ。
『早く行かないと、大変なことになるかもしれないわよ?』
声はカティをあざ笑うように急かす。
どうしても早く行ってほしいらしいようなのだが。
「だったら、お一人でどうぞ。わたしはもう少し準備をしたいぐらいなのですが」
『そんなものないくせに』
図星なので、何も言えない。
思わずセドリックのように舌打ちが漏れそうになり、軽く舌を噛んで堪える。直接殴れる存在だったら、今ので思わず手が出ていただろうか。いやきっと出ていた、セドリックの手が。
「結局あなたは――」
何がしたいのか、と。
問いかけたカティが声を失う。
『なぁに?』
「……いえ、なんでもありません」
声を振り払うように歩き出す。だがきっとついてくるのだろう。あの、一瞬見えた長い髪を揺らしながら、いかにもな感じにふわふわと浮かんだ状態で。なぜ一瞬とはいえ見えたのかわからないし、ドールが持つ作り物の眼球と視神経で『それ』を捉えられた意図は不明だ。
セドリックに訊かなければ、カティではわからない。
――あぁ、それにしても。
至高の中で舌打ちしてしまうほど、その長い髪の色彩は忌々しい金色だった。
彼と同じ色なのに、引きちぎってやりたいと思うほど。




