4.容疑者Aと容疑者Bと犯人X
夜の列車内は、不気味だった。
一般座席部分で眠る乗客を起こさないように、慎重な足取りで進む。
途中、同僚とすれ違い、軽く手を上げて互いに挨拶をした。
『怪しい奴はいない』
『わかった』
もちろん、ただ手を上げるだけではなくサインも送り合う。
昔は戸惑ったが、今では後輩に教えるまでになって、それだけ時間の流れを感じた。
少ししか仮眠をとれていない乗員Aだが、気分は充実している。犯人が動くのはおそらく夜であろうからだ。それ以外だと、ヒトの流れがありすぎて、何もできないのは明らかだった。
同じシフトに入っているのは乗員C。乗員Bは夜勤の後半からのシフトで、だいたい夜の三時過ぎぐらいには起きてくる。その他数人の、主に男性の乗務員が夜勤を担当していた。
いつもなら、女性がもっと多い。
女性客にはやはり、女性の乗務員が当たるべきという考えからだ。
ただ今回は犯罪が起こっているということもあり、犯人を取り押さえることを考えてのシフトの割り振りのようだ。乗員Bにいいところを見せたかった彼にとっては、少し誤算である。
だが、問題はほぼないといっていい。
結局のところ、犯人を華麗に、自分が捕まえればいいのだから。
かたたん、かたたん、と音を鳴らしながら列車は進む。
例の二人の部屋は二等客室の端っこだ。
寝息すら聞こえない通路で、足を止めて様子をうかがった。これといって怪しげな物音は何もしない。一階部分は、やはり乗務員が行き交うことが多いゆえだろう、問題なかった。
例の容疑者二人の部屋は一階にあるが、さすがに踏み込むことはできない。
何事もないならば、踏み込むことは許されない。
小さく舌打ちを残して、乗員Aは渋々本来の仕事へと戻る。
彼の仕事は防犯のための巡回だ。先ほどすれ違った相手も同じ仕事で、他に警備員として車両の出入口に立つ乗務員も何人かいる。まさかこんなことが起こるとは想定せず、人員はそれほど多くはない。……まぁ、それの裏をかかれた、ということだろう。
元から少ないという声も少なくなかった、これで少しは増えるといいのだが。
細い階段を上り、二階へ。今回は二等客室はほとんどが空室で、二階はすべて施錠された部屋ばかりだった。なので別にいく必要もないのだが、念の為に見て回ろうと思ったのだが。
――誰かが、通路に立っていた。
それは金髪の少年。
つまり、容疑者Aだった。
彼の部屋は下にある。ここにいる理由はない。昼間なら見晴らしがいいため、時々二等客室に滞在している客が窓辺に立っていたが、夜では真っ暗で何も見えないし、山々の間を抜けていくために星を見るのもままならない。つまり、この時間にここにいる理由が『ない』。
どくん、どくん、と心臓が高鳴る。
用事がない場所に客がいる、というのは呼び止めるだけの理由になるはずだ。
乗務員として、丁寧に話しかければ。だが実際にこうして怪しい光景を目の辺りすると、どうしてか身体が動かない。飛び出せばいい、問いただせばいい。それだけのことだ。
乗員Aは、頭のなかに彼女を描いた。乗員B。高嶺の花とも言える、自分が想いを寄せている女性。その隣で笑い、彼女の微笑みを向けられ続けるのは、ほかならぬ――自分である。
かつん、かつん、と響く足音。
乗員Aは飛び出して、歩いてきた少年の前に立ちふさがった。
「動くな!」
「何かご用かな、乗務員さん」
「お前がこの列車に忍び込んだ窃盗犯なのはわかっている! 少しでも怪しい動きをすれば容赦しない。おとなしく最後尾の車両まで来てもらおうか! さぁ!」
「生憎、窃盗なんてめんどくさいことしなくても、充分稼げる身の上でね」
「ふざけるな! お前みたいな子供のどこが――」
「世の中には人智を超えた叡智に至るバケモノがいることを知りたまえよ、青二才。そんなだから大事なものを見逃すのさ。まぁ、彼女からするとこんな節穴を切り捨てられて幸いかな」
彼女、という言葉に乗員Aは反応する。
「あいつに何かしたら……っ」
「は? ボクがあんなものに興味を持つわけないだろう? それに、ボクの経験からしてあれは男を知った女だね。相手はしょっちゅう一緒にいた、同僚のあの男じゃないかな」
言われ、乗員Aは咄嗟に少年を殴った。怒りに任せ思いっきり殴ったせいだろう、細身の彼は吹っ飛ぶように壁にぶつかる。その胸ぐらをつかみ、もう一度、いやもっと殴ろうとして。
「動かないでください」
腕を、掴まれた。
少女のそれとは思えないほどの力で、振り上げた腕が固定される。しかし少女の表情は無と言っていいほど涼しいもので、力を込めているという感じすらしなかった。
彼女は乗員Aから視線を外し、少年の方を見る。
「セドリック、無事ですか?」
「まぁね。別にカティが出てくるまでもなかったのになぁ」
「インドアが服を着て歩くヒキコモリが、何を偉そうに言っているのですか。最初からわたしに任せてくれていればよかったのに。これでターゲットが出てこないなら、殴られ損ですね」
二人の会話は、完全に乗員Aを無視したものだった。会話の意図が理解できない。これではまるで自分がまぬけにも、設置された罠にのこのこ乗り込んできたかのようではないか。
実際にそうだよ、と笑うように少年が彼を見た。
「まぁ、とりあえずボクらの部屋に行こうか」
にやり、と少年が殴られた痛みすら感じさせない笑みを浮かべる。
その笑みはどこか、有無をいわさない威圧があった。
■ □ ■
引きずられるように連れて来られたのは、二人が使っている部屋――の、隣だ。ここは空き部屋になっていて、当然だが鍵がかけられていて乗務員しか入ることはできない状態である。
「さてと、お仕事をしないとね」
意味深な言葉とともに、少年が扉のノブに手をかけた。
がちゃり、と音を立てて――開かないはずのそれが、開く。
どうして鍵が、と思う間もなく、少年と少女は中に飛び込んでいった。やや遅れて追いかけた乗員Aが見たのは、少年に銃口を突きつけられて両手を上げた同僚の姿だった。
どこから銃が、という質問すら声にならない。
同僚の足元に素人でもそれとわかる、宝石を使ったアクセサリーさえなければ。
「お前、なんで」
それはまだ一日も経たないあの時、真っ青な顔をしていた同僚だ。そして一等客室で盗難騒動が起きたことを教えてくれた、あの同僚だった。乗員Aが知る限り、一番おとなしい奴だ。
あの日の、あの青ざめた表情は盗難騒動に怯えているだけだと思っていた。彼は一等客室での世話係という立ち位置で、まっさきに疑われる身分でもある。だから無意識に、彼や護衛係と言った近場の人間だけは違うと思った。思い込んでいただけだったのかもしれないが。
「なんで!」
「だ、だってさ……こんなにたくさん、あるんだぜ? 指輪だけで二十個も。そんなにつけないんだから、少しぐらいって。ずっとずっと、そう思って。だからやっとチャンスがきて」
「そんなのどうでもいいんだよ! なんでこんなことしたんだ!」
普通に考えて、高確率で明らかになる犯罪だ。列車という閉鎖空間で、乗務員が犯人だと疑われていないわけがない。絶対に荷物検査などをされるし、当然列車内もくまなく調べられるだろう。ここに宝石を残して手荷物検査をクリアーしたところで、何の意味は無い。
「今から出頭しよう。出来心だって言えば大丈夫だ、許されるから!」
「無駄だよ。彼はこれ、初犯じゃないから」
「……え?」
「運行会社の上層部で情報がキープされていますが、他の路線でも同じような被害が多発しています。それでわたしと彼が、調査と捕獲を頼まれましたので。えぇ、飲食も運賃も会社持ちとなっています。とはいえ食べ過ぎだと思いませんか、セドリック」
「今さらそんなこと言われてもねぇ。別に宝石とか買ったわけじゃないし」
あはは、と笑って。
「そういうわけだからさ、次がキミの終着駅だ。全てにおいての、ね」
「……」
セドリックの言葉に、乗員Aの同僚――犯人Xは答えない。呆然と腕を上げたまま、自分の同僚や少年や少女を眺めている。茫然自失、という言葉が似合う状態だった。
誰も動かない中、乗員Aは犯人Xに近づいた。
とりあえず乗務員として、彼を拘束しなければいけないからだ。まだ少年らの話を真に受けることはできないが、とにかく現状としては同僚だった彼がもっとも疑わしい容疑者。
近づき、腕をつかもうとして。
「くそっ」
その手を振り払い、犯人Xが走りだした。その方向には少女がいる。抵抗は想定外だったのだろう、彼女は逃げる間もなく捕まり、その首筋にはナイフがつきつけられた。少年が銃を向けているが、それを捨てろと言われるのは時間の問題だった。
「……とりあえず、ボクはこれを捨てればいいのかな」
言われる前にセドリックが、銃を遠くへと投げ捨てる。一斉に走れば、犯人Xがもっとも近い位置に。命ずるはずだったことを先に実行され、犯人Xの表情が不機嫌に歪んでいった。
バカなことを、と乗員Aは少年を見る。
自分の連れが人質になっているのにどうして、犯人を刺激するというのか。事件の解決を頼まれた等と言っていたが、それでこの有り様ではやはり子供と言わざるをえないだろう。
「お前らはここをでろ! そしてこのことを絶対に人に話すな! もし口に出せば、こいつの命はないぞ! オレはこのままここにいる、駅についたらオレを外に逃がせ! そしたらこいつを無事に返してやるよ。……さぁっ、さっさとでていけ!」
「ひとつたずねてもよろしいでしょうか。なぜわたしとセドリックを、ダミーの犯人として仕立てあげようとなさったのでしょう。もっとそれらしい犯人候補はいたはずですが」
「そんなの決まってるだろ、お前らがガキだからだよ! ガキのくせにいっちょまえにいいものばっかり、見せつけるみたいに食いやがってよぉ。だからどん底に落としてやるんだよ!」
「低俗だね」
「黙れっ! いいからさっさと言われた通りにしろ!」
犯人Xは、そして乗員Aをみて。
「悪いなぁ……お前にも犯人になってもらうぜ?」
今まで見せていた表情の名残もない、同じ顔の別人のような表情で、笑った。
飛び道具はもうない。犯人X曰くガキが、言われてもいないのに捨ててしまった。乗務員として次にすべきは、まずは人質の安全確保だろう。よって、ここは一度要求を飲むしかない。
彼がゆっくりと扉に向かって移動する。
だが、少年は動かなかった。
「おいお前、今はいうことを聞かないと」
「わかっているよ。でもその前に……ねぇカティ。最後に」
「……はい?」
「例のものを、出してくれないかな。それがないと困るからね」
少年に言われ、少女は少しだけ首をかしげ。
はい、と小さく答えてから、その手を服のボタンにかけた。
乗員Aと犯人Xがぎょっとするのも気にせず、彼女は服のボタンを外していく。
まさか服がほしいのか、それとも何か隠し持っているのか。
本来なら無用な動きを止めるべき犯人Xは、とっさのことで何も言えないようだった。
顕になった胸元に指先を少し這わせ――ぐっと、彼女の陰影は乏しいが一般的に谷間と呼ばれる付近に指をめり込ませた。まるで小箱を開くように、そこは左右に広がっていく。
「……は?」
誰とも知れない声が漏れる。
ぱかり、と開いたその胸元の奥には血肉などなく、無機物だけが詰まっていた。あばらのような金属の板、心臓のような楕円形の謎の機械。肺のような左右二つの袋、食道を始めとした消化器のような何か。彼女はそのうち、心臓の位置にある機械を、取り出そうとした。
「な、なな、な」
「あぁ、すまないねぇ。ボディはいくらでも換えがきくんだけど、それだけはどうにもそうはいかないものだから。キミらだって『死体』は煮ようと焼こうとどうなろうと、どうでもいいと思うだろう? だけどそこに収まった『魂』は大切だ。だからその『人形』ならいくらでもくれてやろう。またよりよいものを作ってもらえば、むしろ廃棄する手続きを取らなくて済むから正直楽なんだよね。でも『カティ』は返してもらうよ。彼女は一人しかいないからね」
「とはいえ――わたしはこの身体を、それなりには気に入っていますので」
言いながら淡々と、その手が掴んだのはナイフの刃だ。震えるほど握り、しかし赤いものは何一つこぼれてこない。みし、となるのは彼女の指なのか、それとも掴まれたナイフか。
「あとこれは割高な、それなりに室のいいボディです。なので、まぁ」
バキン、と音がして。
「無駄に壊されると面倒なので、申し訳ありません」
ナイフの刃を、根本からへし折った。
直後、少女の身体が下へと沈む。彼女がしゃがみこんだからだ。そしてがら空きになった犯人へと向けられた、少年の右手。そこには意味深な装飾が施された、もう一つの銃があった。
彼は笑みを浮かべたまま、銃口を男に向けている。
赤い目が怪しく細められて、引き金に絡みつくように白い指が曲がって。
直後――周辺の乗客や職員が一斉に駆け寄ってくるような轟音が、数回響いた。




