2.容疑者Bと乗員A
容疑者A――怖気すら感じるほどの美貌を持つ少年。それ以上のデータを得るため、乗員Aはそれとなく乗客の資料に目を通した。休憩時間すら削る所存で、必ず尻尾を掴むために。
そしてわかったのは、容疑者Aがセドリック・フラーチェという名前の、十七歳の少年であることだ。十七歳にしては華奢な気がするが、そこは個人差があるから仕方がない。彼が下車するのはまだ先の駅で、ここからだと山越えを入れて数日だ。寝台車を取るのも当然か。
そんな彼と一緒にいるのは、カティ・ベルウェットという少女。黒い服を好むらしい少年とは違い、彼女はどちらかというと白いものを好んでいる。この少女がつまり容疑者Bだ。
黒髪に金の瞳を持つ、少年とは違った意味で不気味な美しさを持っている。
あれは、どう表現すればいいのか。
乗員Aには、残念だがすぐに言葉が浮かばない。
「……きれいな子ね」
そう囁いたのは、先ほどから容疑者Aを見ていた女性客だ。
それなりの年齢に達しているだろう客までも、容疑者Aに目を奪われている。彼が一人だったら声をかける客はひっきりなしだったかもしれない。だが、彼の隣には少女がいた。
容疑者B――というよりも、共犯者と呼ぶべきだろうか。
口調は常に丁寧で、特に少年に対しては敬語だ。多少刺のあるというか、たしなめるような言葉も目立つが、基本的には絶対服従的な態度をとって、それを決して崩さない。
主従関係、あるいは奴隷か。
何にせよ主犯はやはり少年の方だろう。彼女が自主的に動く、という感じはしない。今も自分の食事は二の次で、あちこちから料理を皿に乗せて持ち帰ってきていた。
時刻的に今はちょうど夕食で、食堂車は満員御礼。
彼らもそこそこの時間を待たされて、先ほどようやく席についたところだ。少年は席の確保のためなのかその場を動かず、少女が決して広くなく、人にあふれた通路を往復する。
まず彼女がテーブルに持ち帰ったのは、温かいスープ類だった。ここのスープは自慢の逸品なので、それを知る客や常連は真っ先に飛びつく人気メニューの一つだという。乗務員も同僚への差し入れに持っていくことが多く、濃厚なクリーム仕立てのスープはとても喜ばれた。
次に席を立ったのは少年だ。彼が持ち帰ったのは葉物野菜を多く使ったサラダで、底が深めの大皿にドンと盛られているところからして、おそらくほしいだけ取り分けるのだろう。
「まぁ、ゆっくり食べるかな」
「はい」
二人は人でごった返した社内を見て、そんなことを言い合う。どうやらしばらくスープとサラダで時間を潰し、人が減るまで待つつもりらしい。そんなことをしていたら、食べるものがなくなってしまうのではないかと、他人ごとであるが職業柄なのか気になってしまう。
現に二人が選んだ二つのメニューは、もう数人分しか残っていない。
とはいえ、うかつに料理を取りに行くのは危険だ。たった二人では効率も悪い。人数も多いために行列が構築されていて、ひと通り集まる頃にはスープが冷めてしまっているだろう。
たとえ冷えてもそれなりには美味しいだろうが、所詮は『それなり』だ。
ただの水をコップに注ぐだけで数分も待たされるという現状を見ると、焦らずフルコースを楽しむように食事を取ることにした彼らは、この場で一番賢いといえるのかもしれない。
「うん、やっぱりここの料理はおいしいね」
「そうですね」
二人は窓際の席で、楽しそうに食事を始めた。
それを、給餌を手伝う合間に覗い見る。だからこそ二人が、ああものんびりしているのがやけに気になった。人手が足りないほどのペースで、料理は次々消費されていく。すでに予定されている分を作り終えて、更に出されている残量もあと数人分というものも目立ってきた。
まさか、サラダとスープだけでいいのだろうか。
とてもではないが、あれではお腹は満たされないと思うが……。
「さて、そろそろいいかな」
訝しんでいると、少年がサラダもスープも平らげてしまう。そのまま右手を上げ、食堂車の専門乗務員を呼んだ。そして何かを告げられたらしい乗務員は、一礼すると厨房へと消える。
それを、乗員Aと同じように訝しむのは、容疑者B――向かい側に座る少女。
「何を仕込んだのですか」
「せっかくだからね、使えるものはふんだんに使おうと思ってさ」
そして浮かぶ意味深な笑み。
間もなく、乗員Aと容疑者Bは、少年が何をしたのかを知る。
運ばれてきたのは、事前に予約をして前払いしなければいけない、主に一等客室の客が利用する特別サービスの料理だった。レストランよろしく、二人分の高級料理がテーブルに並ぶ。
見たことしかない厚みの肉を外側だけ香ばしく焼き上げ、ワインや香辛料を使った特製ソースをかける。付け合せの野菜には細かい装飾が施され、色味も合わせて目を楽しませた。
「待ってました。さぁ、食べようか」
「セドリック、これは」
「たまにはキミに贅沢をさせたくてね。次の街についたら、いろいろ買ってあげる。お金に関しては大丈夫だよ、持ち合わせは充分さ。服でもドレスでも宝石でも、好きなだけいいよ」
「いえ、わたしはそういうものに興味は……」
「遠慮しない遠慮しない。とりあえず料理を食べてしまおうか」
す、とその両手で光る金属。
フォークとナイフが、分厚い肉をひと口ほどの大きさに切り分けていった。
周囲の、羨望の眼差しが二人に注がれる。嫉妬、あるいは憎悪、そんなものも交じる。こんなところで厭味ったらしく、という声が乗員Aには聞こえたような気がした。それは何人かの乗客の声なのだろうし、自分の中から響いた声なのだろう。彼はずっと二人を窃盗事件の容疑者と見てきたが、それがなくともこの光景に彼らへの印象を悪化させるのは間違いない。
なぜなら、あのサービスは基本部屋に運ばせるものだ。
食堂車で利用しているところなど、見たこともないし聞いた覚えもない。
二人がとっているのは二等客室なので一等に比べると狭いが、二人なら充分なほど食事ぐらいは味わえる。テーブルもあるし、好きなだけ二人っきりでディナーの時間を楽しめる。
なぜここで見せつけるが如く振る舞うのか、乗員Aにはわからない。
ただひとつ、判明したのは当初思ったよりも財力がある、ということだ。あのサービスはそれ自体もいい値段設定だが、出される料理もかなりの額と聞く。部屋代も考えれば、気軽に出せる金額ではない。乗員Aの給料が、数カ月分は飛んで行くと思っても誤差は少ないだろう。
だが、そんな額をあんな子供が作れるわけがない。
やはり窃盗など、何か後ろ暗い商売をしているのだろうか。
「……あ、あの」
ふと声をかけられ、振り返ると乗員Bがいた。
少しだけだが、その表情や瞳に元気が無いように見える。
どうした、と問いかけようとした時、乗員Aはそれを感じた。射抜くような視線。ほとんど無意識のまま目を向けた先には、冷たい水を飲んでいる容疑者Aがいる。
彼は、乗員Aを見ていた。
少年の赤い瞳が、何かを見透かすように細くなる。
急に居心地の悪さというか、動悸のようなものを感じた彼は、何事もなかったように装いながら食堂車を後にした。不安そうな表情のままの、乗員Bを残したまま。




