5.甘美な檻の中で
つまらない話だろう、とセドリックは言う。
話したことで、さらに荷物を降ろせたのだろうか。彼の表情は、少しだけ明るい。
列車はもうじき次の駅に到着する。そこで一度下車して、適当なホテルで一泊してから帰る予定だった。もしかしたら、しばらくこの町に滞在、ということもあるかもしれないが。
それにしても、と、カティは話してもらった内容について思案する。
さすが、あの狂人の娘。やることが半端なかった。
それに付き合ってあげたセドリックも、やはり当時から今の片鱗が見える。
――いえ、今の方がマシでしょうか。
カティは一応『少女』だ。ボディも女性型だし、意識的にも女であるという認識でずっと存在してきた。もし性別を問われれば、迷わずに女だと答えるだろう。
ゆえに思う。
セドリックの行為は――最低以外の何物でもないと。
確かに、話を聞く限り件の父娘は、不幸に見舞われるだけのことをした。
だが、その腕の中に義妹を抱きながら、別の誰かを重ねるのは……。
「向こうだって、同じようなものだけどね」
「そうでしょうか」
「ボクは、どこまで行ってもセドリック・フラーチェだ。セドリック・エクルストンに染まりきることはできないし、彼らが望むボクなんてどこにも存在しない虚像なんだから」
それは理想にも劣るよ、と彼は言う。
「義父が欲しかったのは天才だ。ボクじゃない。ディアナが欲しかったのは、父が抱かれろと命じる義兄だ。そこにボクという個人の意思などないのだから、同じことをしただけだよ」
どうせ、すぐには出会えない『理想』だった。
それがわかっているのに、すぐに追いかけられないのは、想像を超える悲しみや苦痛となって彼を襲った。己が非力ゆえに追えなければ、どれだけ楽だっただろう。
くだらない連中の『ままごと』に、足を引っ張られた。
それはこの上ない屈辱だった。
ならば、適当なモノを身代わりにして、とりあえず溜飲を下げることにした。幸いにも見た目の色だけは似ている、都合のいい女が傍にいた。あとは頭の中で、理想を重ねればいい。
向こうだって、何だかんだいいながら理想を重ねてくる。
義父を心から尊敬して、その後継者となることを望む息子。彼の娘を愛し、娶り、彼らの家族となることを望む。そんなくだらない『理想』を、最初に押し付けてきたのは向こうだ。
同じことをやり返すだけ。
だけど、それでもなお足を引こうとするから――目の前から、消しただけ。
「カティは嫌がるかもしれないけど、ボクはこの決断を後悔しない」
「セドリック」
「こうしなければ、理想の少女に、キミに出会えないなら。だって、ボクはあの日、他愛のないドールを作った瞬間から、ずっとカティに囚われて、キミだけを愛しているんだよ」
そう言って、セドリックは笑った。
■ □ ■
ボクにとって、ディアナはどうでもいい存在だったよ。見た目はボクの『理想』に酷似していたけれど、それ以外はまるで違った。だから見た目以外は、正直どうでもよかったよ。
見た目というのも語弊があるかもしれない。
髪の色と目の色。
それ以外はどうでもいい、に改めるべきだろうか。
性格はいうまでもない。あんな女、死んだってゴメンだ。だけどね、彼女の父親が所有する書物や彼が語る知識は参考になるから、多少なら、とボクは我慢して傍にいた。
結婚とか冗談じゃない。あんな女と結婚するなら、男が相手の方がマシだ。あの女に唯一美点を容姿以外にあげるならば、それはヴィクター・エクルストンという父親だけだろう。
彼の財力と知識は、いずれボクを助けるに違いないと思っていた。
実際にそれらは助けてくれたし、彼が牢獄につながれて事実上死亡扱いされると、義理とはいえ息子となっているボクに、それらすべてが転がり込んだからね。
おそらく、彼はボクに自分の研究を受け継いで欲しかった。だから才能に恵まれなかった娘を添わせることで、天才という名前の都合のいい『後継者』を手に入れようとした。
実際、ボクは周囲が驚くほどの若さで《魔人》に至ったし、義父にはそれなりにヒトを見る目があったんだと思う。でも、それでもボクの心の内側、演技は見抜けなかったようだけど。
明らかに危ない場所に、明らかに危うい姿で置き去りにした義妹。
あの日、ディアナは数年ぶりに、ボクの『理想』を侮辱した。未だかつてないほどに、口汚く罵ってきた。さすがのボクも頭に来たから、そういう店の、そのためのドールにさえすることを躊躇うかもしれない行為を、散々彼女にしてあげた。ディアナは、凄く悦んでいたよ。
そうして意識を深い闇に沈めたディアナに、そっと新しい衣服を着せてあげた。胸元を大きく強調させた、そういう店の制服とも言うべき、実に艶やかなドレスをね。
ハデ好きの彼女のための衣装だ。そして彼女にふさわしい舞台へ、ボクは眠るディアナを運んでそっと寝かせておいた。町外れにある廃屋。けれど頻繁に使われている場所にね。
「……ディアナは、そして死んだのですか」
「さぁ。ボクは知らないし、興味もなかったよ。とりあえず、まだ見ぬキミを重ねて、盛大に泣きじゃくってあげた。主演男優賞を狙えそうなほど、我ながら実に見事な演技だったね」
その後、ボクは義父から離れ、こっそりと集めた証拠を警察に届けた。彼から《叡智》を取り上げて牢獄に繋いで。こうしてボクは、やっとセドリック・フラーチェに戻れた。
セドリック・エクルストンという、偽りの仮面を踏み割って。
少々姑息な手だったと思うけど、そこら辺は『若気の至り』で流しておこう。
けれど、ね。
父娘を踏み台にしてのし上がったボクを、彼女は軽蔑するだろう。
「セドリック、あなたは」
「最低です?」
知ってるよ、それくらい。
だけどね、カティ、どうかわかってほしい。
ボクにとってそれだけ、キミが大事だということを。ボクにとって最愛の『理想』を、そのまま引っ張り出した姿をしたキミ。その少々キツい物言いも、時々ふっと浮かべる微笑みも。
キミは、そのすべてがボクの『理想』で、最愛の人なんだよ。
だからこそボクは望んだ。
ヒトと見紛う音色を、キミがいつか手にすることを。
「わたしのセリフをとらないでください。それから、最低だなんて思っていません。あなたが目的のための犠牲を躊躇わないのは、もう充分なほどに思い知っていますから」
カティが控えめに、ボクの腕の中で言う。
少しだけ潤んだように見える瞳が、ボクをじっと見つめてくる。
実にたまらないね。
「それより……何をするつもりですか」
「ちょっとだけ、ちょっとだけ抱きしめたい」
途中下車してすぐに、予約を取った少しお高いホテル。
ボクはカティを抱きしめて、やわらかいベッドに押し倒していた。
あぁ、ちなみに彼女のボディは、まだ生憎『できない』仕様なんだよね。
あの部分のパーツは、庶民には少し高くてさ。
それにボクが一人満足すればいいわけじゃないから、大変だ。いろいろとボディの感覚の回路を繋ぎ合わせないといけないし、それの調整には最悪年単位を覚悟しないといけないね。
もちろん、その間にボクはカティに、楽しめるだけの音色を調律しないと。せっかく抱き合うのだからちゃんと幸福をね、全身でたっぷり感じてもらわないといけないじゃないか。
そういうわけで、実際に致すのはまだまだ先の夢。
まぁ、お楽しみは後に残す主義だから、据え膳でも問題ないけどね。
「じゃあ、なぜ押し倒すんだですか。脱がすんですか。まさぐるんですか」
「意識させたいかなって。ボクを意識させて、ボクに染まらせて、ボク以外はどうでもよくなるぐらいにして。そんな音色をココロに浮かべてほしい。ボクが綺麗に、調律してあげる」
「……変態ですね」
「知ってるよ? だってボクは、己の中にある『理想』に狂った男だから」
そこから現れたキミだけを、ボクは愛しているんだよ。
「……では、あなたが調律したわたしも、変態なんでしょうね」
「カティ?」
「わたしは……セドリック以外は、基本どうでもいいと思っています」
割と本気で、と。
少しだけ恥らうような指先が、ボクの背中を撫でるカティ。
――あぁ、この檻に繋がれてよかった。
ボクは心からそう思い、彼女の額に唇を寄せた。




