3.見かけだけの家族
いつもより早く勤めている医院から帰宅したヴィクター・エクルストンは、義理の息子の部屋から聞こえる音に、きゃあきゃあと笑う娘の声に、満足げに笑みを零していた。
少し前に娘をけしかけたところ、二人はすっかり深い仲だ。
元々、娘と結婚させるために引き取った子。二人がそういう関係になっても、彼は痛くも痒くもないどころか、むしろそうなることを望んで娘をけしかけ、時に助言をしたのだから。
あの子は、セドリックは父親に似て真面目な子だ。義理とはいえ妹と関係を持てば、もう逃げられないだろう。万一に備え娘に渡した薬は、一昨日、彼女の手から返された。
理由を問うと、彼女は父親相手であるにも関わらず、言い切ったのだ。
――お兄様のお子が欲しいのよ、お父様。
娘は、ディアナは誰に似てしまったのか実に欲深い。
己の中にある『理想の少女』というものを追いかけるセドリックから理想を奪い、次に身体を使って自由を奪った。その次は子供を孕んで、彼のすべてを奪い去るつもりなのだろう。
セドリックはドールの作成キットを購入するなど、彼なりに抗っていたが……。
「理想か……実に、下らんな」
先日、見るも無残に打ち砕かれたそれを、セドリックはもう口にしない。実際に手に入れようとして、実力を持って破壊され、いい加減に目が醒めたのだろう。理想など価値はないと。
そう、彼の価値は一つだけ。
ディアナを娶り、義父の後継者となることだ。
あれだけの頭脳を他に使うなど、あってはならぬ損失だ。
他の分野ならばともかく、人形師などふざけている。あれはエクルストン家が代々受け継いできた技術の、何も生かせない分野の筆頭だ。生体を扱わないなど、愚の骨頂。
地元では名医と慕われる、ヴィクター・エクルストンは笑う。
「んぅ……っ」
その傍らにある診察台には、若い女が横たわっていた。確か、薬で痛覚は完全に飛ばしたはずなのだが、全身に汗をだらだらとかいて苦悶の表情を浮かべている。
しばらくヴィクターは考え、そういえばその薬がそろそろ切れることを思い出す。
面倒なので、さっさと作業を終えてしまおう。
「さぁ、エクルストン家の《叡智》のため――その礎になってくれたまえ」
代々《魔人》を多く排出している、医師の一族エクルストン家。
現当主は笑顔で、先ほどからぱっくりと開かれた女の腹部に手を伸ばす。猿轡の向こうで呻く声に耳を傾けながら、先日からこの女に行っていた実験の『結果』を探り出した。
しかし、探り出したのはいいが、思ったような成果が出ていない。
それを元の位置にぐいぐい押し込み、ふむ、とヴィクターはつぶやいた。
「こうなると、方法を変えるしかないのかもしれんな」
ため息を零しながら、彼は《魔人》から《医師》に仮面を交換する。そして遠くからも手術見学に人が押し寄せるという技術で、息も絶え絶えの女の腹を元通りに縫い合わせる。
女に更なる痛み止めを打って、彼は地下の『私室』から出て行った。
■ □ ■
廊下を進んでいると、地下に通じる隠し扉が動く音がする。
どうやら、今日も義父はそこでありとあらゆる『実験』していたらしい。
セドリックは足を止め、どこへ行こうか思案する。自室にはぐったりと意識を飛ばしたディアナがいるし、書斎は地下を出た義父が目指す可能性のある場所の筆頭だ。
できれば、今はあまり『家族』には会いたくなかった。
しばらく悩み、彼は庭を目指す。
外はもう薄暗いのだが、セドリックは気にしない。
少し回り道をしたお陰か、義父とは遭遇しないまま庭に出られた。屋敷を見ると、義父の書斎にかすかな明かりが灯っている。今頃、実験結果をまとめているのだろう。
医学を専攻する《魔人》である彼は、常に医療の進歩のための努力を怠らない。すでに五百年ほど生きているらしいが、ディアナの母との結婚がはじめてだったというのは驚きだ。
彼女は娘を産んですぐになくなったそうだが、もしも娘がいなかったら、という話を大人が時々交わす程度には、かなり精神的に落ち込んでいたらしい。まさに、愛妻だったようだ。
その愛妻が残した娘を、溺愛するのは自然な流れだろう。
同時に、愛妻を奪った『病』というものに向ける、敵意や憎しみはすさまじい。
それにセドリックが気づいたのは、ここに来て数日経った頃。
壁にしか見えない場所から地下に続く階段が現れ、その奥で響き渡る絶叫。当時は純粋に憧れていた義父を追いかけた先には、彼へのイメージを粉々に叩き壊す地獄しかなかった。
台の上に縛り付けられ、意識を持ったまま――生きたまま腹を裂かれ。その中にいろいろな器具や道具を押し込んでは縫い閉じて。それを毎日、何人も何十人も繰り返しているのだ。
あの日から、セドリックの世界は別物へと変わってしまった。
追い討ちをかけたのは、彼が抱く『理想』の否定。父娘揃って否定し、哂い。少し手を伸ばしたものも、叩き壊されてしまって。今は、狂ったような義妹の慰み者という立ち位置。
「ねぇ、お兄様は欲しくないの?」
「何がだい?」
「もぅ、決まってるじゃない。あたしとの子供」
「まだ早いと思うけどね。ボクもディアナも学生だし」
「そんなことは無いわ。あたしはいつだって、お兄様にすべてを捧げたいもの」
「……そう」
身体を預けてくる義妹に、セドリックはうわべの笑みを向ける。
子供。
年齢的にもそうだが、相手が義妹だなんてお断りだとはき捨てる。だがしかし、それを音にして喉を震わせ、口から相手の耳朶へ直接吹き込むことは、セドリックには許されていない。
抱き寄せる腕にも、優しさ以外の感情や、強さを込めてはならない。
ディアナを拒絶することを、彼は許されていないのだ。
どれほど憎悪を抱えても、はけ口がない。身の内に渦巻く感情を抑え、彼女が望む『義兄セドリック・エクルストン』でいなければ、理想に耽る自由さえも奪われてしまうから。
けれど、そんな器用な切り替えなどできなかった。抱く憎悪が強すぎて、己のすべてを二人係で否定された苦しみで、何度この細い首を掴んで締め上げて、息を絶とうと思ったか。
そんなものを、隠しきれるわけが無かった。
このまま、義妹の求めに答え続けるわけにはいかない。セドリックには、義妹のために犯罪者に落ちるつもりは無かった。半ば自棄になって、彼はある『空想』の中に身を沈める。
――消えるはずも無い『理想』を、腕の中にいる義妹に重ねてみたのだ。
するとどうだろう。頭の中で抱いているのは『理想の少女』となり、心の中に渦巻いた憎しみはあっという間に霧散した。非常に穏やかな、けれど燃えるような気持ちになれたのだ。
以来、彼は普段は義妹を義妹として扱い、それ以外では『理想』を重ねて見ている。
これは、義父への復讐でもあった。
理想を哂い、実力を持って破壊した彼への復讐だ。向こうの思惑のまま、溺れていくように見せかけながら、セドリックがさらに『理想』への思いを深めているなど思うまい。
ディアナの身体をそっと押し、彼女との間に距離をとる。
「何かが欲しいならさ、もっと大胆になって強請ってごらんよ……さぁ」
いやいや、と首を横に振る妹を、言葉で嘲り嬲る。そんなふしだらな言葉なんて、と必死に抗っている姿を、これから始まるであろう行為に恥らう『彼女』へと頭の中で変換する。
義妹の名前を口で呼びながら、頭の中で呼ぶのは『彼女』の名前。
幸いにも、色はよく似ているから重ねやすかった。どうせ、行為に耽っている時の彼女は何もわからなくなっているのだから、こちらが頭の中の世界に浸っていても問題は無い。
そう、これは少しだけリアルな妄想のようなものだ。
誰かを誰かに重ねるのは、きっと失礼なんだろうとセドリックはふと思う。だけど最初にそれをしたのはこの義妹であり、あの義父。彼らに都合のいい天才像を、求めたのは向こう。
ならば、それと同じことをやり返されても、仕方が無いのではないだろうか。
――ボクから奪ったモノを、同じように奪って、壊してあげる。
義妹に重ねた『理想』に溺れながら、セドリックは愉悦を顔に浮かべていた。




