1.荷物を降ろす
かたん、かたん、と心地よい音がする。
大陸を横断する列車の中、金髪の少年がぼんやりと外を眺めていた。彼の向かい側には黒髪の少女がいて、他にこれという客はいない。窓の外には、山の木々だけが広がっていた。
二人はある場所から家に帰る途中。
これからある駅で一度下車し、そこのホテルで一泊する予定だ。
黒髪の少女――カティは、列車に乗ってから何も言わない主を眺める。見つめられると少しだけ落ち着かなくなる赤い瞳は、窓の向こうに向けられたまま。鮮やかな金髪も、今はくすんで見える。今の姿をもっとわかりやすく言うなら、彼女の主は見るからに疲れていた。
まぁ、それも無理はないだろう。
彼はつい数時間前、重い荷物を一つ置いてきた。
長い間、心の内側に抱えているのもつらかっただろうが、それを降ろすのもつらかったに違いない。なぜなら背負ったままでいても、見ないことにすればそう苦ではないからだ。
降ろすためには、荷物の存在を認めなければいけない。
それが、何にも勝る苦しみだ。
だけどセドリックは、荷物を直視して、降ろすために歩き出した。
■ □ ■
それは爽やかな、ごく普通の朝の出来事。
「あのさ、カティ……いきなりの話で、悪いと思うんだけど」
半熟の目玉焼きの黄身を潰し、それを焼きたてのパンにつけながら彼――セドリック・フラーチェは、向かい側に座って同じものを食べているカティに言った。
「ちょっと『義父』を尋ねようと思っているんだ」
「……は?」
それはどういうことですか、と、カティは問う。
自宅での穏やかな朝、彼が言った言葉が、理解できなかったからだ。決して異国の言葉だったわけではない。唯一つ、それを彼がいう可能性を、微塵も想定していなかった。
とはいえ――その言葉を彼が言うのは、当然のことでもあった。
セドリックが元はただの人間である以上、そして、人形師としての経験を詰める環境にあった以上。彼にはそれなりに裕福な、あるいは身分のある身内がいたであろうと。
それがおそらくは、親、という存在であること。
だけど、カティの中にある主セドリックは、なぜか天涯孤独というイメージがあった。
彼は過去をあまり語らないし、家族構成に使う単語さえ口にしない。だから、いきなりその言葉を聴かされた時に、カティは彼が何を言っているのか、しばし理解が追いつかなかった。
思えば、彼から家族をあらわす言葉を聞くのは、初めてかもしれない。
誰かの親兄弟、という意味でなら、何度か聴いた記憶がある。
でも彼自身のそれらを指す目的で告げられたのは、きっと初めてだ。ドールゆえ、記憶力だけなら他の種族より自信がある。何より、カティはそこまで粗悪なドールではないのだ。
だからこそ、混乱する。
口の中にあるものをしっかりと租借し、飲み込んで。
「……セドリック、もう一度、説明をどうぞ」
「いや、だから」
セドリックは少しだけ、困ったような笑みを浮かべる。
そして先ほど、カティを混乱に叩き落した言葉を、もう一度繰り返した。それより更なる混乱へと叩き落されるのだが、カティはある重大な点を見落としていた。
それに気づいたのは、荷物をまとめている最中。
「セドリックの、義父?」
すでに数百年の時を生きる彼が、義父と呼ぶ存在。
――明らかに、人間ではありませんよね。
単純なことに気づいたカティは、しばらく動きを止めていた。だが、だんだん考えるのが無意味だと悟って、さっさと荷物をカバンに押し込んでいく。
そして衝撃発言から数時間もしないうちに、二人は大陸を横断する列車に飛び乗った。
■ □ ■
数日後にたどり着いたのは、ある国のはずれにある牢獄。
カティたちが暮らしている国から、だいぶ離れた小さいながらも有名な国だ。
その小国を有名にしているものが、目的地となった牢獄。魔人や魔女といった、特殊な存在だけを閉じ込めるためのもの。かなり山奥にあり、森には獣が『解き放たれて』いるという。
道が整備されていて列車も走っているため、一番近い町から余裕で日帰りできる。
防犯とか逃亡対策はどうなっているんだろう、とカティはふと思うが。
「魔人も魔女も、基本的にインドアでね……」
という、少し遠い目をしたセドリックの言葉で、すべて納得した。要するに、チャンスがあったとしても、逃げるだけの体力などを持っている囚人がいない……ということのようだ。
仮にあったところで足枷と鉄球をつけたり、最悪足を切り飛ばしたりするとか。
彼らは皆、一言で表すなら終身刑を宣告された者ばかり。死ぬまで牢獄に繋がれる。逆に言うならば天寿なりを全うするまで繋がれていれば、それでよいということ。
もちろん外にも出してもらえない。そう広くはない牢獄の中にいるだけの時間。人間ならば数十年で終わるその地獄は、《叡智》の味を知った者だといっきに数百年へと跳ね上がる。
数百年、何かをすることさえ許されない。
それはドールの身から考えても、実に恐ろしいことだ。
そして、そこに繋がれているという、セドリックの『義父』とやらも。
長い道のりを得てそんな思惑で作られた牢獄にたどり着いた二人は、さらに数日待たされることになった。まぁ、罪人がいる場所だ。ほいほいと招くわけにはいかなかったのだろう。
到着後も数時間ほど待たされ、案内されたのは牢獄の一つ。
セドリックが少しだけ、浮かべた笑みの質を変える。
どうやら、彼が義父らしい。
見た目の年齢は、大体四十代といったところだろうか。
義父というだけあって、まったく似ていなかった。
一見すると、カティとの親子関係を想像されるだろう。むしろ彼の娘と結婚した少年、という関係の方がしっくりくるのではないかと、カティは親子の再会を眺めつつ思った。
男は黒髪で少し黄色が強い茶の瞳。牢獄にずっと閉じ込められている割に、その体系はがっしりとしている。セドリックも痩せの大食いなところがあるし、不老ゆえなのだろうか。
それにしてもよく似ている。見た目ではなく表情が。
――血が繋がらなくともさすが親子、という感じでしょうか。
思いながら、カティはふと思う。セドリックがはじめて口にした義父の存在。それはこんなところに繋がれる罪人だ。さすがに気になったので、それとなくいろいろ調べたのだが。
――想像を超える、とんでもない狂人でした。
実験のために奴隷から若い娘を買い、彼女らを使って実験を続けた。数が足りなくなれば少し離れた村から、直接買い付けたりもしたという。それは一人娘――セドリックの義妹が不慮の死を遂げた辺りから、だんだんと加速し、そして悪化していったそうだ。
ある日、何者かの告発で露見し、高名な医者にして科学者の名声は地に落ちた。
カティからすると、告発されるまでなぜバレなかったのか、と思うが、名の知れた医者ならば多少の噂も同業者の妬みの一種だとされ、切り捨てられていたのかもしれない。
そういうのは、意外とよくある話だ。
己がした行為を自ら称え、捕らえられたことを残念そうに笑う姿から、娘らを『殺戮』した罪の意識は感じられない。彼はきっと本気で、あれは必要な犠牲だったと思っているのだ。
必要な、そして誉れ高き犠牲だと。
カティはその笑みに、嫌悪というより恐怖を感じた。
まるで、自分のコアをぎゅっと握り締められているような、ドールとしてはあまり感じることがないはずの命――存在の危険を。もし自分が人間だったなら叫んだ、とカティは思う。
そんな彼が口にした名前。
――ディアナ・エクルストン。
後に狂人と呼ばれた名医ヴィクター・エクルストンの一人娘にして、彼の養子となったセドリック・エクルストンの義妹。社交界にデビュー直後から引く手数多だった、絶世の美少女。
彼女はカティと、同じ容姿をしていたそうだ。
黒髪に、金色の瞳。色白の肌。カティの肌は色白を通り越して白に近いが、それは気にするほどでもない些細な違いでしかないように彼女は思った。
問題は、似ているというところだけ。
そしてかつての彼が、そのディアナを盲愛していたことだ。
「セドリック」
遠くを見る主に、カティは問う。
自分が命ぜられて席をはずしていた間に、二人っきりで彼と語った内容を。ずっと避けていたに違いない義父との再会で、その心から降ろした荷物の内容を。
どうかわたしにも教えてください、と。
カティは、自分をまっすぐに見つめる赤に訴えた。




