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魔人とドールの狂想曲  作者: 若桜モドキ
倒錯的嗜好者の純愛
22/84

3.幸福

 アルヴェールとマルグリット。二人の関係は、まだ二人が人間だった頃――ざっと五百年近く昔に遡るという。幼馴染の二人は自然と惹かれあって、そして結婚した。

 そこまではどこにでもある夫婦の姿。

 ありふれた関係。

 アルヴェールは当時から、ドールのボディ作りを生業にしていて、マルグリットはセドリックと同じくコアの作成に携わっていた。当時、それなりに名の知れた職人夫婦だったという。

 同時の作品は、今の彼が作るようなボディではなかったし、マルグリットのコアだって当時の技術からしてもそうすごいものではなかった。簡単な動きだけを繰り返す、まさにドールといったものしか作れなかった。けれど、それなりの収入を得て、慎ましく暮らしていた。

 当時、唯一あった悩みは子供ができなかったことだった。

 けれど今を思うと、いなくて良かったと思えなくもないのは皮肉だろうか。

 子供のいない、けれど仲睦まじい夫婦。

 高みを目指そうなど、少しも考えなかった。

 人並みの人生を、人並みの幸せと共に、のんびりと歩いて終わればいいと。子供に恵まれなかったとしても、隣に最愛の家族が一人いれば充分だと。そう、笑っていた日々。

「でもね、壊れてしまいましたの」

 くるくるくる、と鍋の中身をかき混ぜながら、マルグリットは笑った。

 キッチンの中にはスープのいい香りが満ち、カティは空腹感が増すのを感じる。

 昼食はスープとパン。それから焼いた鶏肉になった。現在、肉はオーブンの中でじゅうじゅうと焼けている真っ最中である。カティは、付け合せの野菜の準備をしていた。

 後は肉が焼けて、スープが適度に煮詰まれば完成という段階。

 なので、カティは質問した。

 マルグリットは、どうして今を受け止めていられるのか。

 思い出話から始まったのは、少しだけ予想外だった。けれど、これまで大雑把にしか聞かされていない彼らの過去を知れたのは、いろいろ考えるのによい作用をもたらすと思う。

 火からスープの入った鍋を下ろして、一通り準備は終わった。

 キッチン内にある、休憩用の椅子とテーブル。

 そこに移動して、話の続きが始まる。

「壊れた、というのは……魔人と不死人に分かれてしまったことですか?」

「えぇ、そうですわ」

 つぶやくマルグリットは、静かに目を伏せる。

 始まりはある日、アルヴェールが《魔人》になってしまった時。

 そして――マルグリットが《魔女》に至り損ねた時。

 最初は、気づかなかった。

 二人とも《叡智》を得られたと、信じて疑わなかった――アルヴェールは。さすがに己の身に起きた現象を、マルグリットは感じ取っていたという。そして、涙を零して告げた。


 ――わたくしは、ダメでしたわ。


 それは、ささやかな幸せが永遠に失われた瞬間。

 二人の関係は、夫婦ではなくなった。

 夫婦という関係から、主人とその奴隷へと移ろった。

 奴隷という文字で、食物と読む関係に。

 カティは、そこに疑問を抱く。別に、別にいいではないか。魔人と不死人の夫婦。セドリックではないが、世の中にはドールと結婚した人間や魔人・魔女は、腐るほど存在する。

 それがただ不死人に、置き換わっただけではないか。

 カティが知るアルヴェールは、魔女に至れなかったという理由で、妻とするほど大事に思った女性を無残に切り捨てる男ではない。むしろ、すべてを捨ててでも守ろうとする人だ。

 彼は、決してそんな選択を選んだりはしないはず。

「そうね……彼は優しい人。だからわたくしが望みましたの」

「マルグリット……?」

「だってわたくし、魔女になれませんでしたもの。その程度の女は彼にふさわしくない。彼の心を煩わせるほどの価値は、わたくしには存在しませんの。だから手を離しました」

「それは、それはつまり」

 マルグリットは自ら望んで、今の位置に立ったというのか。

 けれど、マルグリットは幸せそうだった。

 名前も呼ばれないし、時々存在自体を忘れられている感じにも見える。なのに、彼女はアルヴェールと共にいて、求められるままにすべてを捧げる。命さえ求められれば捧ぐだろう。

 穏やかな微笑みを浮かべて過去を語り、今も充分に幸せと囀る声。

 ――わからない。

 見返りを求める愛を、愛とは呼ばないのかもしれないが。

 それでも、それでもだ。

「あなたは幸せなのですか?」

 カティには、そう問いかけずにはいられない。

 一方的に搾取される。ほんのわずかな見返りさえなく。期待すらできず。夢すら見ることができないなんて、それはどこの地獄だというのか。あまりにも、哀れではないだろうか。

 もういっそ嘘でもいい。

 単純な『一言』を、どうして彼は彼女にあげないのだろう。

 元々は夫婦だったはずだ。何もマルグリットが別人になったわけではない。いくら彼女から望まれたとはいえ、どうしてアルヴェールはそんなバカげた提案を受け入れたのか。

「カティ様。けれど変わるには……あまりにも、時間が流れてしまいました」

 言って、微笑む姿はあまりにも綺麗だ。

 それは時々、セドリックが見せる苦笑に――何となく、似ているように見えた。



   ■  □  ■



 ヒトのような身体、というのは、時に薄気味悪く見える。

 どんなに近づいても、人皮むけばカティの『中身』は鉄とコードで満ちていた。生体と呼ばれる部位などどこにもない。無機物だけで構成された、まるで有機物のように見える存在。

 今、見ているのは全身に張り巡らされた、コードの接続などのチェックだ。

 人間の身体でいうと、神経に当たる部位だろうか。

 右腕の内側にあるふたを開いて、中のコードに器具を接続。同時に右腕との繋がりを遮断して動かなくし、コードに直接刺激を与えて様子を見る。これを全身で行う予定だ。

 いつもは、一度機能を停止してから行うが、今日はそれをしない。

 理由は一つだけ。

「アルヴェールは、何をしたいのですか?」

「……何のことだ」

「マルグリットのことです」

 作業をする前に、カティがそんなことを言い出したから。

 カティは、考えるほどにわからなくなっていった。マルグリットが、なにを思ってカティが知るありとあらゆる『幸せ』の、どれとも一致しない状態で、幸せそうに微笑むのか。

 彼の何が、彼女にそう思わせているのか。

「あなたはマルグリットを、何だと思っているのでしょう。都合のいい奴隷ですか? それとも永遠を約束する、生贄のようなものでしょうか。しかしなぜ彼女は、幸せだと笑うのか」

「……それは、ドールとしての興味か?」

「それもありますが、単純に、マルグリットの友人としての疑問です。わたしは、友人には幸せでいて欲しいと願います。そして、彼女が置かれた環境を、わたしは好ましいと思えない」

 けれど本人が、かなり満足そうだから困る。

 そこで、少し見る方向を変えようと、カティは考えた。

 まぁ、方向など残り一つしかないわけだが。

 カティの腕から器具をはずしつつ、アルヴェールは小さくため息を零した。

 どうやら、逃げずに話に付き合ってくれるつもりらしい。

「……お前は、愛するものをどうやって守る?」

「守る、ですか」

「俺は永遠がない。あいつの傍に、ずっといることはできない。中途半端に傍におくならいっそ何よりも突き放した方が、お互いのためだと思った。何より俺は――」

 器具をはずしながら、アルヴェールは続ける。

「愛すものを食す趣味には、目覚めたくない」

「アルヴェール、それは」

「あいつだってわかっているはずだ。魔女にはなれなかったが、そこまでバカではない。あれでセドリックと対等にやれる、コアの技師だからな。だから、わかっている」

 それ以外に方法はなかったと、彼は言う。

 不死となったマルグリット。

 彼女といつまでも共にいるためには、同じものを手に入れるしかない。すなわち、永遠を得る以外に方法はなかった。そして、そのための手段は――彼女自身。

 ゆえに、彼はマルグリットを容赦なく貪る。

 かつて彼女に向けていた愛を、暴食という形で示す。

 ――愛すものを食す。

 そのゆがみから逃れるために、彼は彼女を奴隷ということにしたというのか。マルグリットはただの奴隷で、食料で。元妻ではあるが、決して愛してなどいないという建前を用意して。

 それを互いに受け入れあって、長く時間が経ちすぎて。

 いろいろとしがらみが絡み付いてしまって、動けなくなった。


 ――ヒトとは、不便です。


 すぐにでも変わることができるというのに、なぜかそれをしないなんて。ドールは調律無しには変わることができない。そして、調律しても劇的に変化する、ということもない。

 ゆえに二人の姿が、どうしても気になるのだろうか。

 変わりたいと願いながら、過去を思いながら――そこに背を向ける姿が。

「……それでも、彼女はヒトだとわたしは思います。あなたも魔人ですがその魂などは紛れもないヒトです。ゆえに思います。あなた方は、その気になればいつだって変われるはず、と」

 一人の誰かを愛する彼女は、彼のために生きる彼女は。

 ただ、存在しているだけの自分よりずっとヒトであると、カティは思う。

 そして同時に、彼女の傍にいることを望む彼も、ヒトであるといえるはずだ。魔人になったからといって、何もかもが変わるわけではない。現に彼は、未だ一人を愛し続けている。


 ――本に書いてありました。こういうのを『純愛』と呼ぶと。


 カティにはない一途さ。何か一つを思いぬくことは、ヒトだけが行える行為。ドールの場合はそういう仕組みでしかなく、命令のようなもの。自分から望むことは、まずありえない。

 そう、カティは誰かを、二人のように愛することなどできないのだ。

 いくらセドリックがそれを願っても、それを『望まれなければ』不可能。望み、命じられたならば、カティはいくらでも彼に愛を囁くだろう。主が望む言葉を、望むままに捧ぐだろう。

 けれどセドリックはそれを嫌がる。

「これは、主譲りの中途半端なおせっかいですが」

 セドリックが時々振りまく、本当に中途半端なおせっかい。

 時に優しい気まぐれで、時に残酷な温情。

 静かに作業を続けるアルヴェールに、カティは視線を向けた。

「せめて名前ぐらい、呼んであげてもいいと思います」

「……」

「彼女は、二人っきりだとアルヴェールをアルと呼ぶのですね。知りませんでした」

 ふと、カティは朝のことを思い出す。

 彼女は確かに、彼のことを愛称で呼んでいた。その声はいつもより、どこかやわらかい響きだとカティは思った。甘い声、というのはああいう感じのことをいうのかもしれない。

 カティは考える。

 あれが、マルグリットの『本音』だ。

 それが分からないようは、愚かな魔人ではない。

 アルヴェールはすべてわかっていて、見えないフリをしているのだ。


 ――なんでしょう、この込みあがる苛立ちは。


 だんだん、カティは二人を目の前に並べて説教したくなった。見ていて、ココロがやたらとザワザワする。これは、確か怒りだろうか。セドリックの無茶に対して抱くことが多い。

 でもまさか……この二人相手に、こみ上げるとは思わなかった。

 静かに深呼吸してやり過ごす。とはいえ、ここにマルグリットが来たら、たぶん堪えることができなかっただろう。まさかこんなに自分が怒りっぽいとは、予想外だった。

「まぁ、ともかくです」

 こほん、とせきを一つ。

 意識を切り替える。

「マルグリットもあなたもドールではありません。コアを覗けば、そのココロの内側を見れるわたしとは違います。だからこそその喉は音を紡いで、音色を生むのではないですか?」

 伝えなければ、どんなに強い思いも届かない。

 たった、それだけのこと。

 きっとアルヴェールも、マルグリットを大事に思っているはずだ。だから、決しておいしくはないだろう血肉をすすって、彼女がずっと美しくいられるように技術を生み出した。

 数多の犠牲を払ったのは、それだけ愛しているから。

 そうだ、ただの食べ物の見目を整える意味はない。ただ侍らせるなら、それこそドールで充分のはずだし、何より彼ならば引く手数多で相手には事欠かないのは予想できる。

 セドリックがカティを欲するように、彼はマルグリットだけが欲しい。

 実にくだらない、単純なことだ。

 アルヴェールはしばらく手を止めて、何か考えているようだ。だがすぐに、作業する手の動きを再開する。……と、アルヴェールはカティを見て、少しだけ躊躇うように言った。

「しばらく眠れ。お前は主と同じで、おしゃべりが過ぎる。集中できない」

「はい」

 目を閉じるとほぼ同時に、彼女のすべては停止する。とはいえコアをいじくられている調律とは違って、完全に意識を手放すわけではない。ボディとコアの繋がりを切られただけだ。

 この状態になることを、カティはあまり好まない。

 なぜなら、ありとあらゆる感覚から切り離されてしまうからだ。中途半端にヒトを模した音色を持つカティにとって、この『孤独』は息苦しさに似た何かを抱え込む時間になる。

 何もない黒の世界に、ぽいっと放り出されたような感じだろうか。


 ――今回は、悪くないですね。


 真っ暗な世界で、カティは微笑むように思った。意識の中で目を閉じ、眠るように息を整えるイメージを広げていく。ココロを沈め、音色を穏やかに保ち、時間が流れるのを待った。

 そう、今回はそんなに悪い気分ではない。

 いろいろ考えたいことはあるのだが、一つの答えが得られたから満足だ。

『ありがとう』

 震える声でつぶやかれた声は、きっと相手は聞かれたと思っていない。カティだって、まさかあのタイミング――機能が止まる直前の声を聞き取れるなんて思わなかった。

 声の主は、まだ作業をしていないだろう。

 泣きながらできる作業ではない。それを己に許すような人物でもない。

 しばらくして落ち着いたら、いつものように淡々と、すばやく作業を再開する。それらが終わる時までの時間、カティはこの闇の中で静かに物思いに耽ることにした。

 あれだけマルグリットの幸せが云々、と言い切った自分。

 そんな自分の幸せとは、どこにあるのだろうかと。

 自分を有限だと言って苦笑した、セドリックの幸せも――どこにあるのだろう。

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