届かない声
9話目です。
よろしくお願いします。
早急の課題は、旅を続けるにしても最低限の身支度を整え、きちんとした食べ物を確保することだった。
水場を見つけることはできても、木の実以外の食事にはここ二日ほどありつけていない。
見つからぬよう森を進んでいたそのとき、急に視界が開けた。
木々の合間を抜けた先に、小さな農村が現れる。
十にも満たない家が、まばらに点在する集落。
だが、昼間だというのに外に人の姿がない。
家はある。畑もある。
それなのに、人の気配だけがごっそりと抜け落ちたようだった。
──歪だ。
『魔物の気配だ』
シルのが低く唸る。
「でも……それにしては静かすぎない?」
魔物の姿は見えない。
暴れた痕跡もない。
それがかえって、不気味だった。
『違うな。これは魔物そのものじゃない。
魔物による呪いの気配だ』
「呪い……?」
その言葉が、胸の奥に冷たく落ちた。
『廃村というほどじゃない。かすかだが、人の気配も残っている』
私たちは様子を確かめるため、集落の中へ足を踏み入れた。
獣化していたシルは姿を戻し、私が先導する形で、集落で最も大きな家へ向かう。
「ごめんください。どなたか、いませんか」
返事の代わりに、重苦しい咳が聞こえた。
か細く、今にも途切れそうな音。
しばらくして、ゆっくりと扉が開く。
「ごほ……どなた、かね……」
杖を突き、背を丸めた老人が立っていた。
咳き込むたび、体が小さく揺れる。
「あの、すみません。旅の者です。もし可能でしたら、食料を少し分けていただけないかと……」
「すまない。食料は……分けてやれん。ごほっ」
申し訳なさそうにそう告げる老人は、今にも膝から崩れ落ちそうだった。
「大丈夫です。お気になさらず。それより……村に活気がないように見えるのですが、何かあったんですか?」
「ああ……三週間ほど前からじゃ。ごほ、けほっ……」
老人は自分がこの村の長だと名乗り、語り始めた。
三週間前、村の子どもの一人が高熱で倒れた。
それを皮切りに、次々と子どもたち、若者たちが次々に熱と咳に侵され、今ではこの有様だという。
「助けは……求めなかったんですか?」
「求めたとも。だがな……」
近隣の村にも、教会にも助けを願った。
だが、謎の病が蔓延していると知るや、誰も来なかった。
「このままでは、冬支度もできん。食料も、もう長くはもたんじゃろう……」
老人は苦しそうに息を吐き、言葉を紡ぐ。
胸の奥が痛んだ。
本来、守られるべき人たちだ。
それなのに、教会ですら手を差し伸べない。
私はシルに目配せをする。
シルは静かに、うなずいた。
──試してみよう。
届くか分からない。
それでも。
「祈ります」
それは神に向けた言葉だったのか、
それとも目の前のこの人に向けた願いだったのか。
「この村のみんなが……“よくなりますように”」
「ありがとう……気持ちだけでも……」
その瞬間だった。
浅い呼吸を繰り返していた老人の顔色が、わずかに明るくなる。
「……なんだか、少し体が軽いような……」
確かに、効いている。
けれど──きっと一時的だ。
魔物の呪いが残る限り、この苦しみは終わらない。
「もし聖女様がおられるなら……あなたのような方がいいと、わしは思う」
「はは……私なんて、そんな大した者じゃないですよ」
「赤の他人のためを思い、行動できる。それは立派な人徳じゃ」
少しだけ、照れくさかった。
──────
食料を分けてもらうことはできなかったが、
その夜は村長の家に泊めてもらうことになった。
床につきながら、私は村長の言葉を反芻する。
──聖女ではないと、選ばれなかった私がこんなふうに言われるなんて。
それはきっと、この世界の歪みそのものだった。




