77 引っ越し
「――引っ越し、ですか?」
「ええ、実は――」
私の問いにマーシャさんが頷きつつ、説明してくれた。
実は最近、私たちのお店の行列が問題になりそうなほど増え始めているのだが、その事で一番迷惑をかけているであろうお隣のお店が既に販売スペースを移ったらしい。
それは非常に申し訳ないと思った。何となくまだ苦情も来ていないので放置していたが、やっぱり私たちが行列を整理する人員を雇ったりする必要があったのだろうか。
ともかくそんなこんなで空いたお隣のスペースをマーシャさんが押さえてくれているという。まさか私が竈不足で悩む事を見通していたというのか。マーシャさんが有能すぎてちょっと怖い。
驚く私をよそに、マーシャさんの説明が続く。
お隣のスペースは食事処ではなく雑貨他よろず販売店という感じだったが、販売スペースと従業員スペースはしっかり仕切られていて倉庫もある。どれも今の私たちの店より広い。
従業員用のスペースには竈も設置されていて、しかもまだ竈を増設する余裕もある。もはや「引っ越しさせていただく」一択ではないだろうか。
「ロナ」
「任せる~」
ロナは賛成らしい。ならばお願いするのみだった。
「じゃあ、マーシャさん、販売スペースの引っ越し手続きをお願いしても?」
「もちろんです」
その後、商人ギルド会館へ到着するまでの間に市場の販売スペースの料金について説明してもらい、今のスペースのために既に払い済みの分も何割か戻してくれる事になった。その分は新しく借りるスペースの賃料から差っ引き、残りを新たにお支払いする事で決まった。
まあ、あまり自慢はしたくないが――「金ならある。その程度、問題ない」私は成金っぽいカッコいいセリフを頭の中で言ってみた。口に出すには恥ずかしすぎたからだ。でもやっぱりカッコいい。その内、本当に誰かに言ってみたいものだが――。
ともかくそんな感じで引っ越しが決まり、商人ギルド会館に戻る前に商店街にお釜を買いに寄った。
店の人にお釜1つでどれくらい炊けるかと聞いたところ、店にある釜で一番デカいのは10合ほども炊けると言う。
ちなみに1人が1日3回食べて2合ほどだと聞いたので、10合なら15食分ほど。80食分用意するには同じ大きさのお釜が6つほど必要になる。という事で10合ほど炊けるお釜を6つ買いこんだ。これならお釜6つで90食分ほど炊ける事になる。
問題はやはり竈の掛け口の数だ。ヨーコによればお釜で米を炊くのに30分ほど、蒸らすのに15分ほどかかると言う。お釜一つずつ炊いていたのではとても間に合わない。
お店を開けてから営業しているのは大体2時間ほどなので、2時間で最大80食分ご飯が必要という事だ。
最低でも3つ同時に炊けないと間に合いそうにない。それプラス、カレースープの寸胴鍋を載せておく掛け口が2つ必要なので竈の掛け口は最低5口欲しい。
本当は竈も魔法で作りたいが、自分達じゃなくノエラさんが使う竈なので急に壊れたりしない、ちゃんとした物じゃないとまずい。
商人ギルドお勧めの工房によって、掛け口2つの竈をさらにあと2つ設置してくれるよう依頼した。
マーシャさんが案内してくれて工房の人に私とロナの「リヴァーディアの客分」という身分の扱いを説明してくれたので、今日の午後、すぐに設置してくれることになった。初めて権力パワーを実感した。
ともかく、これで今ある掛け口2つの竈と合わせて掛け口6つになる。
商人ギルド会館に着くと販売スペースを移動する手続きをして春までの賃料の不足分を支払い、お釜を担いで私たちの販売スペースへ向かった。
いつものことながら、「異空間収納」の魔法に入れて運びたいのだが、人目がある時はそうもいかない。こういう時は、もういっそのこと完全に魔法の事をバラしてしまいたくなるが、やはりどうしてもバラしたときのデメリットを考えると踏み切れないでいる。
6つのお釜を3つずつ、蓋を外して重ねて縛り、2人してヨタヨタのろのろと苦労して運ぶ。私もロナも身体強化のおかげで補正値込みの能力値がめちゃくちゃ上がっているので、全然重くはない。
だが身体が小さいうえにお釜がデカくて嵩張るので人波の中を持ち運ぶのに非常に苦労した。私たちの販売スペースの前まで来ると、今日も既に小さい行列が出来ていた。
私とロナはお釜を抱え上げながら契約したばかりの隣の販売スペースに入る。そこは聞いた通り既に空いていて倉庫や仕切り、竈などは残されていたが、それ以外はきれいさっぱり無くなっていた。
とりあえず今残っている竈でお米を炊いてみる事にする。
まず30分~1時間ほど水につけておく必要があるらしいが、これは開店前にまとめて出来るだろう。今回は30分だけ水につけてから炊いてみる。
水に浸けて炊いて蒸らして1時間半近くかかるので毎日だと大変だ。ノエラさんとリザさんの報酬を上げる必要があるかもしれない。と言うかその前に増員の方が先か?
ノエラさんかリザさんのどちらかが都合の悪い日は店を休めば良い、くらいに考えていたし、儲けたい訳ではないので実際それで良いと思うのだが、雇われてる2人の身になってみれば自分から休みたいとは言いづらいかもしれない。
まずは料理人と売り子1人ずつ増やして様子をみるか。
私はお釜の見張りをロナにまかせてひとっ走り商人ギルド会館へ。マーシャさんを捉まえて早速、料理人と売り子を増員したい旨を伝え、人材紹介をお願いした。
マーシャさんは待ってましたとばかりに、孤児院出身のソフィとケイトという二十歳前後の女の人を紹介してくれた。
マーシャさんによれば2人は双子の姉妹で、かなりの美人さんらしくやはりこれまで苦労して来たようだ。
これまでは探索者として何とか食いつないで来たらしい。孤児院出身者あるあるだ。だが探索者としてそこまで実力が高いわけではなく、上を目指す感じではないという。
出来れば、少なくとも殺されるような危険は少ない街中で働きたいという事で商人ギルドにも登録しているのだが、特別な技術が有るわけでもなくそう簡単には良い職が得られない、というのが現状だそうだ。
ともかく近いうちに2人に会えるようマーシャさんにお願いして私は店に戻る。
それなりの時間、水に浸した米をヨーコの指示に従って一旦ザルに上げ、お釜に戻して新しく水を張り直して竈にセットする。
よくよく聞いてみるとただ水に浸すのではなく、洗ったり研いだりするらしいが、私が「水に浸ければいいのか」と理解しちゃったせいで今日はただ水に浸しただけの米になった。――まあ何とかなるでしょう。
竈にコッソリ魔法で火をつけ、また暫し待つ。
しばらくするとお釜が湯気を吹き、蓋が暴れて吹きこぼれ始めたので少しずらす。さらに少しして吹きこぼれるのが止まったら、少し蓋を戻す。
だんだんお米の表面の泡立ちが無くなり水っぽくなくなってきたのでヨーコの指示で火を消し蓋を閉める。この後は蓋を開けないまま蒸らすらしい。ライスにこれ程手間がかかっているとは思わなかった。
15分ほど蒸らして蓋を開けると、私とロナが作った割には美味しそうなライスが炊きあがっていた。これをある程度混ぜ返し、お櫃と言う容器に入れるらしいが、まあ、今日は良い。
炊きあがったライスを言われた通り混ぜ返し、空になった綺麗なカレーライス用の皿に盛りつけ、「異空間収納」の魔法で仕舞っていく。
半分ほど仕舞った所でヨーコが(久しぶりにおにぎりが食べたいわ~)と切なそうに言った。
それは単にこの炊き立てライスを丸く握って表面に塩を付ける食べ物らしい。そんなのが美味いなら、そもそもライスが美味いということだろう。
私はそれ程、興味をそそられたわけではないが、ヨーコの感情が伝わってきたのでロナと2人、手を「洗浄」の魔法で綺麗に洗浄してその掌に塩を塗った。ヨーコによれば塩は後ではなくこうして先にライスを丸める手の方に塗っておくと良いらしい。
試しにライスをひとつかみ掬い取って――熱っあちち!――軽く握ってみる。それだけで完成だ。こんなものが本当に?
私は初めて作ったおにぎりを頬張った。――――ほふほふっ!ほふほふほふっ!熱い!超美味い!なんでこんな美味い?いや、だってライスに塩付けただけなのに……?
勘違いかもしれないのでもう一個丸めて口に放り込んだ。2個目も超美味かった。間違いない。見ればロナも目を丸くしてほっぺをふくらましてもぐもぐしている。
カレーライス用の空のお皿を出して、ロナと2人、どんどんおにぎりを握っていく。ライスはまだまだある。
握ってお皿に乗せて、満杯になったら「異空間収納」の魔法で仕舞って、を繰り返していると終盤になってノエラさんとリザさんの声がした。
「あれ?ミラさんロナさん?お隣で何してるんです?」
どうやら店の営業が終わって帰ろうとして通りかかったらしい。私は塩塗れの手で2人に「おいでおいで」をする。そして近づいて来た2人に「食べてみて」とおにぎりを勧めた。
その後、ノエラさんとリザさんはそのスリムなボディの何処に入るの?ってくらいメチャクチャおにぎりを食べたのだった。
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