第七十八話 なぜか腹立たしい
美佐子はぐっと体を前に倒して、オレの目を強く見つめて言った。その態度からオレの言うことに対して一歩も引かないという気持ちが強く伝ってくる。
「あら。わたしが谷田部君のことを何も知らないでこんな話をしていると思っているのかしら。あなたにしては随分物事を甘く考えているんじゃない。お会いしたわよ。谷田部君と。昨日の夕方にこの部屋でね。
あなたの口から出てくる谷田部君のイメージとは全く異なる態度の子だったわよ。事前に毬から一度彼と会って欲しいと言われてね。とても礼儀正しい子だったわ。どんな用件でわたしを訪ねてくるのかは事前には聞いていなかった。わたしと向き合った時にはソファにも腰掛けず、絨毯の上に膝をついて頭を下げてきたわ。この度は大変娘さんとご両親にはご迷惑、ご心配をお掛けしてすみませんでしたってね。わたしが気を遣わずソファに腰掛けて下さいなと言っても、ここで結構ですといって背筋をぴんと伸ばしたままそこに正座し続けたわ。
色んなことを話してくれたわ。とてもしっかりとした言葉使いと堂々とした態度で。だけど、決して妙に大人ぶることも、体裁をつくろうことなく、自然体で自分の思ったことや感じたことを正直に話していた。毬を抱き締めた時のことも正直に話してくれたわ。毬のことがあまりに愛おしくて思わず抱き締めてしまったこと。子供ができる可能性など実は全く頭に無かったこと。無我夢中で毬を愛する行為に溺れてしまったこと。そして、それが自然な行為だと思っていたけれど今回の様な結果を起こしてしまったことを大変反省していること。
自分でできること、やらねばならないことは全て行って責任をとる覚悟でいること。今の自分でできることは限られているが、将来の全てをかけて毬と産まれてくる子に尽くすと誓ったわ。毬が出産して子育てをすることは大変な思いをさせるものだと理解もしているようだった。本当に立派な態度だったと思うわ。あれは誰か、例えばお父様などに言わされているような態度ではないわ。しっかり自分で考え、毬のことを想い、反省しているという顔をしていた。そして最後に言ったわ。いつか毬とわたし達家族が許してくれる日が来るのであれば毬と一緒になりたいと言っていたわ。もちろんこの言葉も毬に言わされたものなんかじゃなくて心底彼が望んでいることだとわたしには伝わったわ。
二時間くらい色んなお話をしたかしら。だけど、初めての面会は物凄く短いものに感じられたわ。毬が憧れる、いいえ、愛してしまう程の男の人だと思ったわ。毬は殆ど口を挟みはしなかったわ。あくまでわたしと彼が理解し合う為の時間にしてくれた。毬の心遣いも十分感じたわ。いい。わたしは毬の話だけを鵜呑みにして谷田部君という人間を判断している訳ではないの。この目でじっくり見て、よくよく話をしてその人間性が立派な男性であると判断したうえで、毬が彼と結婚するということを真剣に考えているのよ。」
妻はこれ以上はないくらいの自信に満ち溢れた顔でオレの顔をじっと見つめてきた。内心腹立たしさでいっぱいだった。オレだって胸の中は毬の幸せを強く願っているのだ。美佐子はそれを否定するかのごとく厳しい口調でオレを攻めたててくる。そんなことをされて頭に来ない父親などいるだろうか。オレは烈火の如く頭に血を昇らせた。こんなにも毬の将来のことを考えているオレの気持ちを何故美佐子は理解しないのだろうか。何故毬と同じような子供の視線でしか物事を捉えることができないのだろうか。もういい。この女の言葉など全く聞きたくもなくなった。もう耳を塞いでしまいたい。もしくは美佐子の口を塞いでしまいたい。多少の葛藤はあったがオレの気持ちは後者を選んだ。オレは美佐子の目を見つめて彼女の脳に指示を送った。




