第六十七話 細かな小骨
そんなことになる前にさっさと家に帰って三人の記憶を消してしまわなければ。家路を辿っている最中になんだか先程まであんなに取り乱してした自分を思い出して可笑しくなってしまった。何故、オレ様程の優秀な悪魔があんなに気持ちを揺さぶられてしまったのか。
いや、なにか調子を崩してしまったのは毬とふたりで話をしていた時からだ。何故オレは毬の顔面に大きな傷が付くくらい爪を伸ばして引っ掻き回してしまったのか。極めて不思議なことだ。だがオレは別に後悔したり自分のことを情けないとも思いはしなかった。やってしまったことは仕方がない。今となっては何故そんなことをしたのか、我ながら理解には苦しむが、おそらくその時のオレはそれなりに腹を立てていたのだろう。いくらオレが優秀な悪魔だとしても腹を立てることくらいはある。これまでだってあったではないか。感情的になって人間を傷付けることくらい。急に食欲を掻き立てられて猫を喰ってしまったこともあれば、上司の目を潰してしまったこともある。今回のことも別に特別なことではないのだ。
最近やけに家族というものに興味、関心が高まりそれを大切にしようという気分になっていた。だが、よくよく考えれば家族といっても所詮は人間なのだ。大して賢くも無い、取るに足らない存在なのだ。そんな奴らとまともに接していては腹が立つのも当然のことであろう。オレが毬に対して怒りを感じたことも、その顔に大きな傷を付けたことも一瞬にして自分の中で正当化することができる。別に特異な行動ではないと飲み込めたのだ。あまりにも熱くなってしまった自分が可笑しくてなんだか笑えてしまう。オレがとった行動は実に悪魔らしい自然な行動ではないか。何をそんなに慌てていたのだ。
完全に自分を取り戻した丁度その頃、我が家に辿り着いた。これからオレがやろうとしているのはたかだか三人の人間の記憶をほんの少し削り取るだけ。悪魔ならばよくやる特別でもなんでもない普通の行為ではないか。罪悪感などというものは一切感じていない。我が家の玄関のドアノブに手を当てる。カチャカチャと回すがドアは開かない。どうやら鍵を掛けられているようだ。娘の顔を傷付けたオレを怖れているのだろうか、それとも怒りを感じているのだろうか。まあそんなことはどうでもよい。今すぐのその感情も消し去ってやるのだから。ほんの少しだけ右手に力をいれてドアノブを破壊して扉を開けた。
彼女たちはリビングのソファに身を寄せ合って座っていた。リビングに入って来るオレを見つめる目は全て恐怖に満ち溢れているといった感じであった。
誰も声をあげることもしなかった。いや、できなかったのだろう。L字型のソファのコーナーに美佐子が座って、両脇のふたりの娘の肩を強く抱きしめていた。我が家族のこんな表情は始めて見るな。だが、安心しろ。今、楽にしてやるから。オレは3人の目を同時に見つめ心の中で強く念じた。
「今から遡ってここ二時間の記憶よ、全て消え失せろ」
それを唱えた直後、今度は毬だけを見つめて念を送った。
「顔の傷。消えて元の通りに回復せよ」
三人の顔付きが一気に変化した。狐につままれたような顔というのはこういう表情のことを言うのではないか。全員が今何をしていたのか忘れてしまっていて、今まさに我に返ったような表情をしていた。身を寄せ合って座っている今の状況がまるで理解できないといった感じだ。




