第三十六話 恐怖
そんな折、上空で奇妙なものを見た。黄金に輝く点がフラフラと宙を彷徨っているのだ。オレはすぐにジズだと気が付いた。しかし、それは余程高いところを飛んでいるので、龍なのか何なのかはオレには分からなかった。それにしても間抜けな奴だ。姿を現したまま飛んでやがる。ジズもベヒモスも同じだが、この世の生き物に憑依しない限りは姿を消すことができる。姿を現していても中々人間などには見えるものではないのだが、同類には丸分かりである。だからオレ達は同類にもその姿が分からないように姿を消している者が普通なのだが。
ジズに出会えるなんてこんなに珍しいこともない。オレはそいつがどんな奴で何しにこの世にやって来たのかを知りたくて車に乗ってその姿の見える方向へ走りだした。ジズはまだ同じあたりをクルクルと回っていた。憑依する人間を吟味するかのように。オレは車を飛ばして市内に戻ってきた。ジズはまだ上空を回っている。ここから二キロメートルは離れているだろうか。オレはその場でジズがもっと地上付近まで降りてくるのを待つことにした。待つこと数十分くらいか。ジズは急に何かを見つけたように、地上付近に移動した。この光景を見てオレは少し嫌な予感がしたものだ。
そのジズが移動した先にはオレの家の近所だった。まさか、悪魔とジズが同じ家の者に憑依する確率なんて極めて低いとは思うが、絶対に無いこととは言い切れない。オレは車を飛ばしてジズの向う方向に飛んで行った。途中でジズは姿を消した。見失ったわけではなく物理的に姿を消しやがったのだ。オレは力を目に集中させた。そうすることで姿を隠したジズやベヒモスを見つける力が悪魔には備わっていたのだから。しかし簡単にジズを見つけることはできなかった。何故オレがこんなにも焦っていたか。それはもちろんオレの家にジズが訪れることなど歓迎するわけがないからだ。なにも俺はジズという存在全般を嫌っていたわけでは無い。ただジズの中にも間違いなく気に入らないやつもいるのだ。
それは天の使いと呼ばれる種族で人間界では天使と呼ばれているものだ。奴らは人間に憑依して人間に歪んだ幸せというものを押しつけてくる。早く殺してやればいい人間をいつまでも長生きさせたり、人間の分を超えた大金を押しつけてきたりしやがる。オレ達悪魔だって人間にとって害をもたらしているのを自覚しているのに、ヤツらは全く悪びれる様子もなく人間を不幸に陥れる。
ジズが姿を消したと思われる場所まで車を飛ばした。その場所は我が家のすぐ近く。家族の無事を確認しなければならない。我が家に辿り着くなり玄関の扉を勢いよく開けた。勢いよく走ってリビングに飛び込む。ソファに座ってテレビを見ている美佐子が驚いた顔でオレを見つめていた。
「どうしたんですか?こんな時間に。何か慌てていらっしゃるようですけど何かあったんですか?」
オレは悪魔の力を目に集中させて美佐子の周りをくまなく観察した。特にこれといって異変はない。何かに憑依されている様子も無い。心底ホッとした。さすがにオレの杞憂だったようだ。安心のためにオレは大きなため息をついてソファに腰を下ろした。
「ああ。何でもないよ。丁度家の近くを通りかかったので寄り道しただけさ。少し疲れているのかもな。何となく体がだるくてな。風邪でもひいたのかもしれない」
誠に適当な言いわけをした。
「あら。あなたも。綾も何だか調子が悪いみたいで早退してきたのよ。あなたと一緒で体がだるくて熱っぽいんですって」
「綾も家にいるのか?」
再び緊張感がオレの心に突き刺さった。美佐子の返事を待たずにオレは階段を駆け上がり二階の綾の部屋のドアをノックもせずに開けて部屋の中に飛び込んだ。綾は布団に頭から潜りこんでいる。眠っていたのかもしれない。オレが綾に目をやったのはほんの一瞬だった。視線は綾の頭上に釘づけになる。驚きと絶望。見たこともない生き物の姿がそこにはあった。まるで人間の幼児のような体形をしていて、背中には小さな翼がついている。頭の上には光り輝く輪っかが浮いている。そうだ。君達のいう天使のイメージだ。正確にはそいつの名前は天の使いという。これまで会ったことも無いがオレが毛嫌いしていた生物が確かにそこにいるのだ。綾の頭上の使いは何やら舞でも舞っているかのようだった




