第三十四話 一服
「だけどね。狩野さん。何せうちと取引している今の供給先の会社とはお付き合いの年数がとても長いのですよ。うちが開業した頃からの付き合いなのです。色々無茶なお願いをしてきたこともありました。その取引先は嫌な顔ひとつせず私たちの会社の為に一生懸命努力をしてくれました。お互いが信頼関係で保たれているのです。利益やコストだけの問題じゃないのです。それを分かって頂けませんか」
まさかのどんでん返しだった。藤井は悔しそうに握った手を震わせている。オレはそっとその手に触れた。オレが何とかしてやると。オレは思い切って担当者に聞いてみた。
「我々の提案は御社の期待に応えられるものではなかったでしょうか」
「そんなことは無い。大分心は動かされましたよ。ただうちと先方の長い歴史があるんです」
その時オレは何の躊躇も無しに相手の目を見つめ頭の中でこう叫んだ。
「二割はうちから買え」
その直後に四角い男は再び口を開いた。
「だけど、小泉文具さんも必死になってやってくれているのですものね。そこには感謝しないといけないですよね。分かりました。全体の二割だけ御社の製品を取り扱いさせて頂きます。細かいことは後日支店長といらして下さい。こちらも上司を連れてきますので。正式な契約はそこで行いましょう」
先方の会社を出てからオレは大きなため息をついた。結局今日も悪魔の能力を使ってしまった。だが、今日に限っては仕方が無い。今日は支店長の代理なのだ。絶対上手くいかなければならない商談だったのだ。しかし、これでしばらくは悪魔の力を使うのは止めておこうと、受注を続けるのを差し控えようと思った。オレはしばらく自堕落に生活するのだ。煙草を吸いながら運転を始めた。隣からは興奮している藤井と電話の向こうでもっと興奮している支店長の声が聞こえてきた。
「いえ、本当なんです。2割だけうちの会社の製品を購入して頂けるって内示を頂いたんです」
電話は結局、オレのところにまで回って来た。
「支店長お疲れ様です。藤井が言ったことに間違いはありません。次回、支店長と相手方の上司で面談して売買契約を結ぶことになっています。日程は支店長が会社に出て来られてから相談します。しばらくはごゆっくりどうぞ」
最後に電話からきこえた言葉は、
「生馬。どうもありがとう」
その声はなぜか震えているように聞こえた。
「藤井。今日の仕事はこれまでにしようか」
オレはそう言って車を海に向かって走らせた。ふたりで車を降りて人のいない海を眺めた。浜風が涼しくて大変気持ちが良い。鼻を突き抜けるような潮の香りがした。向こうの見えない水平線が雄大で見ているこちらの気持をも大きくさせた。
「藤井。お疲れ」
オレは藤井に缶コーヒーを下手で投げて渡した。
「お疲れ様です」
ふたりでその場で乾杯をする格好をしてコーヒーを飲んだ。オレは煙草に火を付けて一気に煙を吸い込んだ。最後の大仕事をやり終えた充実感溢れる煙草の味だった。この日の煙草の味は未だに忘れることができない。胸につかえていた何かを取り払ってくれるような爽やかな味だった。これをもってしばらくは営業に力を入れるのは止めよう。所々、支店長のピンチが訪れた時だけに活躍するようにして、後の仕事は若いやつらに任せよう。海の上を自由に飛んでいるカモメが非常に心地よさそうだった。そう言えばオレもあんな自由な生活がしたいと思っていたはずなのだった。人間に憑依してしまってから何かペースが崩れている。ここらで方向修正が必要だ。
「藤井。お前も明日から一人立ちしろよ」
「僕もひとりで生馬さんみたいにバリバリやりたいですけど、支店長が何て言うか…」
「大丈夫だよ。オレから何とか言っといてやるから」
明日からゆっくり営業しようとしているオレには悪いが藤井は邪魔だった。




