第三十一話 小さな反逆
「おはよう。お父さん」
娘の毬がいつもより早く目を覚ましてきた。まだ寝ぼけているといった感じで目も半開きだ。オレもコーヒーを飲みながら、
「おはよう。毬」
と返事をする。続けて妹の綾も目を覚ましてリビングにやってきた。
「おはよう。綾」
ふたりともオレの可愛い娘達だ。もしこのふたりに何か危害を加える奴がいたらオレは決してそいつを許さないだろう。たとえそれが誰であったとしてもだ。今日も何事も無く家族4人で朝食をとることが出来る。その幸せをそらに感謝した。
「ふたりとも最近学校はどうだ。楽しくやっているのか」
ふたりは揃って答える。
「うん。元気にやってるよ」
毬が心配そうに聞いてくる。
「お父さんはどうなの。最近帰りがまた遅くなってきたし、お酒の席もまた増えちゃったんじゃない。なるべく早く帰ってきて欲しいなあ」
「娘にそんなことを言わせちゃオレも父親失格だな。今日からはもっと早く帰ってくるよ。四人で食事がとれるくらいの時間には帰ってこよう」
ふたりの娘は実に嬉しそうに微笑んだ。この年齢にもなって父親と仲良く話をしてくれるなんて有難いことじゃないか。今日は何があっても早く帰ろう。
朝、会社に出勤すると我が部署は暗い雰囲気が漂っていた。その理由は言わずもがなだが。
「支店長、おはようございます」
朝の挨拶は敢えてそれだけにした。余計な事を聞いても悲しい返事しか返ってこないのだから。藤井と目があった。やつは悲しそうな顔をして小さく顔を左右に振った。
「営業行ってきます。ほら、藤井行くぞ」
オレは敢えて威勢よく声を上げて席をたった。
「結局今朝、警察から支店長のところに連絡があって、まだ手がかりすらつかめて無いんですって」
駐車場に向かう途中の道で藤井は悲しそうに言った。
「こうなるともう迷子どころじゃないですよね。誘拐かなあ。心音ちゃん、心配だなあ。ああ、そもそもなんでこうなっちゃたんだろう」
そもそもか。そもそもオレが猫を喰していることを見られたことが原因か。そもそもオレは何で猫なんて喰っていたんだ。そうか、志茂田の野郎に腹が立ってそのうっ憤を晴らす為に猫を殺したのだった。こうなると大元の原因は志茂田にあるとオレは思った。当然だろう。あいつが余計なことをいわなければ悪魔は殺しなんかしなかったのだから。
思い出すと腹が立ってきた。あの、部下を人とも思わない態度、オレだけじゃないはずだ、あいつのことが気に入らない者は。この日は外回りは二件だけにした。受注は二件とも頂いた。支店長への小さな小さな手土産だ。
「支店長。今日は受注二件でした」
「そうか…」
オレは支店長の手を握った。そうすることで相手がなにを考えているか分かるからだ。
「支店長。お気を落とさずに。警察が何とかしてくれますよ」
支店長の頭の中は心音のことでいっぱいいっぱいだった。オレは少しでも彼に元気を出して欲しいという純粋な気持ちでそう言った。自分で心音を殺しておいてなんなのだが。
そこに志茂田がわって入って来た。
「狩野。お前は支店長の気持ちが分からないのか。今は支店長は大変ご傷心なんだ。売上のことなんかどうでもいいだろう。少しは相手の気持ちを考えろ」
オレはこいつの言葉に完全にカチンときた。お前こそ相手の気持ちなんか考えていないだろう。昨日も皆一生懸命心音を探しているときに、お前はだるそうにしていたのをオレは見逃していないぞ。昨日からの鬱憤をはらそうと思った。志茂田の顔を睨みつけ、
「視覚よ消えろ」
と心の中で叫んだ。志茂田は、
「ん。ちょっと待て。目が痛いぞ、痛い痛い。目が開かない」
皆が彼に注目した。女子社員の青山と町田が駆け寄る。
「志茂田さん大丈夫ですか?」
「目が開かないんだ。涙がやたらと出てくる」
「これで涙を拭いてください」
町田がハンカチを差し出した。それで志茂田が目を拭きながら叫び出した。
「あ~。痛い。痛くて目が開かない。ああ。視界が真っ暗だ。何も見えない。目が痛くて何も見えないぞ」
ああ。見えなくなるだろう。オレが魔力でそうしたのだから。悪魔は人間の五感に刺激を与えてそれを潰すことなんて簡単にできるのだよ。苦しめ、苦しみぬいてこれからの人生真っ暗闇の中で生きるがいい。
オレはそんなことは無視して、支店長に向かって、
「警察を信じましょう。オレはこれで失礼しますけど帰り道に支店長の家の周りを周ってみますから」
その後ろでは志茂田が、
「痛い痛い。目が開かない。誰か何とかしてくれ」
と叫びまくっている。人の痛みの分からぬ馬鹿者よ。ぜいぜい今度はお前が苦しむといいさ。これからの盲目人生、お気の毒だと思いますよ。
オレは周りの者どもの視線を浴びながら颯爽と事務所を後にした。




