本物の聖女を追放したら、国が崩壊しました。猫カフェは今日も平和です。
神殿の大広間に、硬い声が響いた。
「クラリス・アルディス。貴女に、王国からの追放を命じます」
まるで、事務手続きの一環のように。
人ひとりの人生を切り捨てるには、あまりに軽く、乾いた声だった。
「……はい」
クラリスは、背筋を伸ばしたまま答えた。
その足元には、冷たい石の床。そして、どこまでも冷え切った沈黙。
俯いた民たち。
目を伏せる父。
唇を歪める継母。
――聖女の儀式で、神の光はクラリスに降りた。それは紛れもない真実だった。
だが、
「わたくしは、お姉様の身代わりだったんです……!」
震える声で、クラリーチェはそう言った。
「儀式の日、お姉様が熱を出されて……だから、わたくしが代わりに神殿へ向かったのです。そしたら、お姉様が後から無理やり入ってきて……」
「光を……わたくしから奪ったのです……!」
信仰の場にふさわしくない言葉に、神官たちの表情が揺れる。
「つまり……光は、もともとクラリーチェ様に降りるはずだったと……?」
「そうです。お姉様が、“あなたに光が降るはずがない”とおっしゃって……!」
クラリーチェの泣き顔は、非の打ち所なく美しかった。
「お姉様は、昔からなんでも奪うの……お父様の愛も、皆の注目も、王太子殿下さえも……!」
王太子セドリックの手が、彼女の肩に触れる。
「もう、いい。君を苦しめるものは、すべて僕が取り除こう」
「クラリス!君のような人間に、王妃の座はふさわしくない」
その言葉に、場がざわめいた。
“君のような人間”とは、何だろう。
私が何を、したと言うのだろう。
――いつだって、そうだった。
些細な言い争いでも、涙を浮かべたのはクラリーチェのほうで、
咎められたのは、いつもクラリスだった。
「お姉様が、お人形を壊したの……!」
そう言われれば、クラリスがどれだけ否定しても、誰も耳を貸さなかった。
(父)「クラリーチェが嘘をつくはずがないだろう」
(継母)「クラリス、また我慢ができなかったのね?」
おかしいと思ったことを指摘すれば「気が強すぎる」と言われ、
黙っていれば「冷たい子ね」と笑われた。
――いつも、そう。
みんな、クラリーチェを信じる。
わたしが“姉”という立場である限り、
理不尽に折れ、譲り、耐えることが「当然」だとされてきた。
そのたびに、心の奥の何かが、静かに軋んでいった。
クラリスは口を開こうとした。
けれど、声が出ない。喉が、凍りついている。
誰ひとり、彼女の言葉を求めていなかった。
最初から、結論は決まっていたのだ。
――誰も、クラリスに「真実」を問うことはなかった。
「連れ出せ!」
王太子の命により、クラリスは問答無用で神殿から引きずり出された。
振り向けば、誰も彼女を見ていなかった。
誰一人、神に選ばれた本物の聖女の、真実を知ろうともせずに。
「ルーミィ、痛くない……? ごめんね、こんな山奥まで」
(ルーミィ:オレは平気だ。お前こそ、よく耐えたな)
「ふふ……あなたがいたから、耐えられたわ」
肩にのせた銀色の猫が、小さく尻尾を揺らす。
それは、ただの猫ではない。
聖獣――クラリスと真に契約を交わした、唯一無二の存在。
誰にも知られることなく、彼女を守りつづけてきた、本物の神の使いだった。
(ルーミィ:あいつら、オレを見せなかったのは正解だったな)
「きっと、あなたの力を利用されたわ……わたしのように」
(ルーミィ:いや、オレ様は気まぐれだからな。付き合うのはクラリスだけだ)
クラリスは、小さく笑った。
その笑みの奥にあるものは、あまりに深い痛みと、誇り。
「信じていたのよ。ずっと、誰かが、きっとわかってくれるって……でも」
(ルーミィ:……もう、いい)
「ええ。わたし、もう“信じて傷つく”のは、やめにする」
それから季節が、ひとめぐりした。
王都では、疫病が流行し、神託が降りず、神殿は沈黙したまま。
精霊猫たちは消え、街のあちこちで不穏な気配が立ち込める。
王太子セドリックは焦っていた。
「クラリスを探せ! あの女しかいないんだ……!」
だが。
その声は、もう届かない。
クラリスは、もうそこにはいないのだから。
「クラリス、裏庭に……また猫が増えてるぞ」
「ほんとだ。どこから来たのかしら」
やせ細った子猫、傷ついた猫、怯えた目をした猫たち。
どこか、ただの動物とは思えない気配がある。
(ルーミィ:……また、精霊猫だな。さまよって、ここに流れ着いた)
クラリスは、その小さな身体をそっと抱きしめた。
「もう、大丈夫よ。ここは、追い出された子たちの居場所だから」
――こうして、猫カフェが生まれた。
◯よりみち猫カフェ ◯
「猫が好きな人間だけ、どうぞ。あと、裏切らない人間だけ」
(ルーミィ:入店審査はオレたちがやる。悪党はお断りだ)
「ふふ、お願いね。わたし、もうあんな思いは……こりごとだから」
クラリスと、精霊猫たちによる、静かで優しい日常が、今日も始まる。
だれかの心を、そっと癒すために。
その頃――
王太子セドリックは、閉ざされた村の外で、
「頼む、クラリス……もう一度、君の声を……!」と、泣き崩れていた。
けれどその声も、涙も。
本物の聖獣も、本物の聖女にも――
もう、届かない。
「わあ~、ふわっふわ……! この子、天使……!」
(サビコ:あーまた来た、猫吸い魔……! 顔近い顔近い!!)
(ちくわ:ひぃっ、またモフのターンが……お腹ナデナデだけは勘弁してぇ……)
(アーモンド:も、もうダメ……尻尾が抜けるぅ……!)
(ルーミィ:なあ、モフラれ番長を決めようぜ。交代制、交代制!)
クラリスは、そんな猫たちの“心の叫び”を聞きながら、
奥のカウンターから笑顔で見守っていた。
「ふふっ……今日も仲良くがんばってるわね、みんな」
(ルーミィ:ああ見えて全員“もふられ疲労”で瀕死だけどな)
(サビコ:ちょっと! あたしなんて今日だけで50回吸われてるからね!?)
(ちくわ:帰ったら絶対全身毛づくろいするぅ……!)
クラリスは、猫たちがくたくたになってクッションに沈む姿を見て、
くすくすと微笑む。
「ありがとう。今日もいい日だったわ」
(アーモンド:あ、これ完全に『おつかれニャん会』の流れだ)
(サビコ:おつかれニャん! カリカリは増量で!!)
(ちくわ:マッサージ希望でぇす……)
――猫たちは今日もがんばった。
そして、クラリスは心から思うのだ。
「ほんとにもう……可愛くて、たまらないわね」
よりみち猫カフェ。
今日も笑顔と、ふわふわと、幸せがいっぱい。