その背を忘れぬ
ざっ、ざっ――
足音が、ぎんぎん照りつける道ば、踏みしめて近づいてきた。
逆光ん中、ひとつ影が浮かび上がっちょる。
顔は見えん。じゃっどん、わたしには分かった。
――吉之助さぁじゃ。
むかし、わたしの命ば拾うてくれた人。
あの日の、血の匂いと、陽んぬくもい。魂は覚えちょっ。
「おまんら――」
低うて、腹の底から響く声が、どんと落ちてきた。
「何ばしちょっか。昼間っから三人がかりで、女子んひとりば、地べたに這わせて。そいが薩摩隼人のすっこじゃちか?」
その背中は、陽ばまとっちょった。
堂々として、逃げ場も隙もなか。
声は静かじゃっ。じゃっどん、そのひと言ひと言が火の玉んごた熱うて――
わたしは、息ば呑んだ。
「なんじゃてめぇ……関係なかやつは引っ込んどれ!」
男んひとりが、怒鳴って前に出てきた。
じゃっどん、吉之助さぁは、びくともせん。
「関係あっか、なかかの問題じゃなか。目の前で弱か者が踏みつけられちょっ。そいば見て黙っちょるんは、人間じゃなか。――おいは、そげな情けなか男にはなりたなかっ」
その一言で、空気がぴしゃりと変わった。
男たちの目が揺れ、焦りん色が滲み出す。
「調子ん乗んなよ!」
ひとりが拳ば振り上げ、殴りかかってきた。
吉之助さぁは、ひらりとかわし、拳ば掴んで肩越しに地べたへ叩きつけた。
「おまえ!」
二人目の男が叫んで、拳ば突き出してきた。
じゃっどん、吉之助さぁは怯まん。
両腕ば交差させて拳ば受け止め、そのまんまぐいっと押し返した。
男は体勢崩して、転がるように倒れた。
そのときじゃ。最後の男が――
「このっ……!」
叫びながら、刀ば抜いた。
ぎらり、と刃が昼の光ば裂く。
わたしは思わず息ば呑んで、叫びそうになった。
吉之助さぁの声が、鋼んごた響きで落ちてきた。
「刀ば抜くち、どげな覚悟か分かっちょっか。そいは命のやりとりじゃっど!」
「うるせぇ!!」
銀ん線が奔ったかと思たら――
吉之助さぁの肩口が、ぱくりと割れて、血が噴いた。
「っ……はぁ……くそ……」
彼は、ぐらりと体ば揺らした。じゃっどん、倒れん。
わたしん前に、まだ立っちょった。
痛みも怒りも、ぜんぶ背負うたまんま――
誰かば守ろかち思う気持ちだけで、まっすぐに立っちょった。
刀ば握った男が、血に染まった刃ば見つめながら、震えち声で言うた。
「ち、違うっ……おいは……本気で斬る気はなかったとよ! 脅かすつもりじゃっただけで、そげんつもりじゃなかと……!」
「……つもりじゃなかったち、済まんど!」
吉之助さぁの声は、震えちょった。
怒りと悔しさと、それから――痛み。
武士ん喧嘩で刀ば抜いて、人さ傷つけもしたら、道理が通らんけりゃ、切腹せにゃならんとじゃ。
吉之助さぁも、刀ば抜いた男も、そいはよう分かっちょった。
「帰れ。二度とこの娘んとこにゃ近づくな。次会うたら――おいが許さん」
男たちは言葉も出らんで、そんまま逃げていった。
静けさが戻った。
わたしは地べたから、そっと身ば起こした。
吉之助さぁは、まだわたしに気づいちょらん。
けんど、その目がふっとこちらを向いたとき――
「……怪我は、なかか」
その声は、あの日と同じぬくもいやった。
わたしは、ただ頷いた。声は出らんかった。
「ありがとう」も、「助けてくれて」も、言えんかった。
言うたら、全部崩れてしまいそうで。
吉之助さぁは、わたしば見つめたまんま、ふっと息ば吐いた。
「……ようやっと……静かになったの……」
そのひと言といっしょに――
彼の膝が、がくりと落ちた。
「えっ……!」
わたしは慌てて駆け寄って、倒れかかる身体ば両腕で受け止めた。
重たかった。
「吉之助さぁ……?」
返事は、なかった。
瞼は静かに閉じちょって、額には汗。
肩の傷からは、まだ血が滲み出ちょった。
「誰か……誰かおらんか!!」
わたしは声ば震わせて、叫んだ。