仕事終わり
三題噺もどき―ろっぴゃくよんじゅうきゅう。
パソコンの電源を落とし、今日はもう使わないマウスを机の端の方に追いやる。
いつ買ったのか全く覚えのないマウスパッドにはなぜか蝶々のイラストが描かれている。何でこれを買ったのか全く持って記憶にない。大方これしか売ってなかったとか、探せなかったとか、面倒くさくなったとかだろうけど。
「……」
まぁ、そんなマウスパッドも今日はもう必要ないので、マウスと共に端に置く。
今日はそれなりに活躍してくれたので、お疲れさまという感じだ。私の方が疲れているけどな。今日の仕事はまぁそれなりに、面倒なものだった。
それもこれも今日は終わったことなので考えないようにしよう。そう決め込んで、かけていたブルーライトカットの眼鏡をはずし、机の上に置く。
「っく――」
どうしても猫背になってしまう背中を伸ばしていく。
交差した掌を天井に向けてぐいと伸ばしながら、無意識に足も伸びていた。
勢いのままに体重をかけた背もたれが、少し苦しそうにぎぃと鳴る。
「――っはぁ」
一気に脱力し、腕はだらりと落ちる。
腰の位置がずれたせいで、危うく床にたたきつけるところだった。机に指の先が少し掠ったので多少痛みがあったが、たいしたことではない。
「……」
時計を見ると、もう夕食の時間だった。
まぁ、全部が終わったわけではなく。今日出来るところまでは終わったと言う感じだ。納期が急ぎのものではないので続きは明日しようという算段である。
「……」
外はもうそろそろ日が昇り始める頃だろう。
アイツはあまり陽を好まないから、この時間になるとリビングのカーテンを閉め切ってしまう。たまには見たらいいのにと思うが、まぁ、夕日と朝日では太陽の力が違う。
支配を終えて衰退するのと、支配し始めようと繁栄するのでは違うだろう。
「……」
私もあまり朝日は好きではないからな……。美しさは確かにあるのだが、夕日のような儚さというか不気味さというか……そういうモノがない。ただ眩しいだけのような、刺すようなあの光は、合わない。吸血鬼だからだと思っておこう。
「……」
さて。
そろそろ動かないと。
これ以上ここに座り込んでいると、さすがの私も眠くなってくる。
その前に夕食を食べて風呂に入って歯を磨いてと、することはある。
「―ご主人」
「……」
うん。遅かったな。
猫のように気まぐれな従者であるコイツは、大抵は時間通りに来るのだけど。たまにこうして少し遅れてやってくる。いつもなら私の仕事が終わってすぐ、パソコンの電源を落として数秒後には来るのに。体の緊張を解いている時に来る。タイミングが悪い。
しかも相変わらずノックはしない。
「お夕飯です」
「あぁ……行くよ」
そういえば腰の位置がずれたままの姿勢だったことを思い出し、一旦座りなおしながら返事をする。あまりお行儀がよくなかったな。
机の上に置かれていたマグカップは、静かに入ってきた従者が手に取った。
さっさと来いと言うことだろう。
「今日の夕飯は」
「少し冷えてきたので、お鍋にしました」
確かに、また冷え込んできたからな……。
全く勘弁してほしいものだ。先週はあんなに暑かったのに、どうしてこうも冷え込むんだろうな。朝晩なんて特に冷えるのに……その時間帯に活動しているこちらの身にもなってほしいものだ。無理な相談だろうけどな。
「〆はおじやでいいですか」
「あぁ、」
今朝……と言っても時間帯的には夕方ではあるが。
その時に炊いておいたご飯が余っているのだろう。
今日の朝はあまり食欲がなくて、そこまで食べていないからな。
「……」
リビングに近づいてくと、珍しくついていたテレビから、動物園のニュースが聞こえてきた。
カピバラの子供が生まれ、お披露目されたのだと。
小さくて可愛らしい生き物だ。成長しても可愛いともてはやされる生き物だ。
「……どうかしましたか」
「いや、なんでも」
リビングへと入ると、机の上にはガスコンロの上に置かれた土鍋が堂々と居座っている。
2人分の皿と箸と、おたまが一つ。
今日は水炊きなのだろう。ポン酢が置かれていた。
「何を飲みますか」
「とりあえず麦茶にするか……」
何か酒でも飲みたいところではあるが、食事を食べ終わってからでもいいだろう。
まぁ、その前に眠くなりそうではあるが。
食事が始まってしまえばそうでもないのだろうけどな。
「「いただきます」」
今日もまた、明日の為に。
「これいつもと違うポン酢か?」
「ご主人が買ってきたやつですよ」
「……?そうなのか?覚えがない」
「適当に入れるからですよ……」
「これはこれで、柚子の風味が効いてていいな」
「そうですか」
お題:蝶々・カピバラ・猫




