善意の呪い。
「世の中にはもっと大変な人がたくさんいる。あんたは恵まれた環境で育ったのだから、がんばりなさい」
母にそう言われて育った。母に悪気はない。純粋に励ますつもりで言っている。母自身も同じことを言われて育ったのか、その人生の途中から「社長令嬢」として振る舞うことを余儀なくされたために自分で辿り着いた信条であったのかは良くわからない。
母の父――つまり私の祖父だ――は警察を依願退職してから一代で会社を興し、晩年には平成天皇陛下(当時)になんちゃら褒章を賜った、いわゆる「一角の人物」だった。バブルが弾ける前は相当にぶいぶい言わせていたらしい。らしいというのは、私が物心ついた時には弾けた後だったからだが。
その母方の祖父ソウジは家庭人としてはハチャメチャで、母から聞いただけでも3回結婚しており、なかなかに複雑な家庭を築いた。母はソウジの最初の妻(連れ子あり)との間に産まれた第一子であったから、ソウジのハチャメチャぶりの最大の被害者であろう。
それでも、世間にとって母は「社長令嬢」であり、まあ経済的には――と言っても会社が軌道に乗る頃には成人していたらしいが――恵まれた環境で育ってきた母の悩みは「甘え」として切り捨てられた。悩み苦しむこと自体が反感を買うから我慢するしかなかったのだろう。
母の一生は我慢の積み重ねだ。積み重ねて、積み重ねて、私が18歳の頃に心を病んだ。鬱病である。当時はまだまだ鬱病に対する理解がない世の中だったから、そう診断されたこと自体も余計に母を追い詰めたのだと今ならわかる。甘えていると責められたようなものだったろう。
鬱病になるのは本人が甘えているからだ、という批判は母を介護する父にも向けられたし、それから数年後、地元で就職して母の病気を理由に実家から通勤する私にも向けられた。会社ではマザコンと馬鹿にされたものである。
「世の中にはもっと大変な人がいる」
「みんな同じように苦労しているんだからがんばらなくちゃ」
母に限らず、周囲の温かい人々が私にかける言葉はこれだ。悪気なく純粋に励まそうとしてくれている。
でも、申し訳ないけれど、そう感じること自体に罪悪感を覚えてしまうけれど、それは私にとって呪いの言葉でもある。心の柔らかいところを善意でぐりぐり執拗に抉る刃物のような。じゃあ、どんな言葉をかけたらいいのかと問われたら答えが出ない。
――結果、母と同じような生き方をしている。
母と違うのは、SNSとかで感情を吐き出す場があることくらいかな。これも誰かのコメントを気にするようになったら逆効果の最たるものなんだろうけれど。
それはそれとして、ただ一度だけ、行きずりの赤の他人なら何を返されても大して気にならないかと思って、家庭の悩みを打ち明けたことがある。
「――お母さんのこと大事にするのは普通なんちゃう?」
あっけらかんと、そう言ってくれた――テレビもほとんど見ない変わり者の――彼女が、私の妻だ。妻と出会えたから、妻が救ってくれたから、私は人生のやり直しを願わない程度には幸せなのだ。