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瞬間、三人の表情が険しくなる。この音は、『暗示』をかけた店員に渡していた物だ。
『誰かが入ろうとしたらきちんと止めて。出来なかったらベルを鳴らして』。
つまり、強引な侵入者の登場だ。
和やかな雰囲気から一変し、階段の方を警戒する。
そして、ひょこっと赤髪を揺らして飛び出てきた。
「おねーちゃん達、見ーつけた!」
場違いな明るい声とは裏腹に、フィアンナの緊張は高まる。今の所、一番警戒するべき人物がやってきた。
宰相子息、腹黒子供だ。無邪気な笑顔で、侵入者だと気づいてない様子で近寄ってくる。
スっとレナータとベアトリスは立ち上がると、カーテシーを披露した。それを見て、慌ててフィアンナも同じ事をする。
この場において、無遠慮の腹黒子供が最高権力者だ。三人のカーテシーに、腹黒子供は笑う。
「気負わなくていいよー? ここ、公式の場じゃないんだしね! ね、ベア姉?」
「…………その様な、呼び方、初めての、はずです、けど?」
「そうだね! でも、アズレイア侯爵になったでしょ? だから、ちゃーんと呼ばないとね!」
口元に手を持っていく、首を少し傾げて見上げてくる。動作があざとい。理解してやっている分、タチが悪い。
上手くアズレイア家を継いだから、無能から使える駒に格上げ。そんな本音を、あざとい動作で上手く隠しているように見えた。
この相手をよく知らないフィアンナでさえ気づけた事だ。他の二人ははっきり感じとったようだ。
凛と背筋を伸ばし、微笑を装った。
「ご機嫌麗しゅう、ジャクソン侯爵子息殿。僭越ながら申し上げますが、この場所はワタクシ共三人が貸し切りとさせて頂いておりますわ。その意味、分からない方ではありませんでしょう?」
「そうだね〜。でも、ベア姉は離反を宣言して、レナ姉はニル兄にフラれちゃったでしょ? その二人が固まるって、ちょっと見過ごせないな〜って」
「あらあら。ご心配、有難いことですわね? けれども、既に過去の男と化した元婚約者に情などありませんわ。その上で、ワタクシとベアトリス嬢が交流を深めることで、そちらに何か不都合でもおありですか? 偉大なる五大家様が?」
「レナータ様。今は、四大家」
「そうでしたわね。うっかりしておりましたわ」
扇で隠して笑うレナータ。笑みを深めるベアトリス。煽られて、若干苛立ちを見せた腹黒子供。
雰囲気に圧倒され、下手に口出しできない。フィアンナが固唾を飲んで見ていると、腹黒子供と目が合った。
途端、ニヤリと笑った気がして、嫌な気配を感じた。
「新しいアズレイア侯爵に水魔法使い、それに未来の王妃! 仲良くしたいと思うのは普通でしょ?」
きゅるんと目を潤ませて、情に訴えてくる。わざと大きい上着で手を隠したり、ぴょんぴょん飛んだりと、可愛らしさ全開だ。
最も、ベアトリスの方が自然で可愛く安心できるので、フィアンナが惑わされることはない。
そもそも、未来の王妃と位置づけて接するには軽々しい。内心では性女以外を認めていないようだ。
腹立つが、声を荒らげるまでもない。どうせ打ち倒す相手だ。どうでもいい。
そう平常心を保っていたフィアンナの耳に、聞き捨てならない単語が届いてきた。
「これから仲良くしようよ! フィア姉もそう思うよね?」
その瞬間、嫌悪感が全身に走る。腕に鳥肌が立ち、表面的に繕う事も出来ずに顔が歪む。
「……その愛称で呼ぶのは、止めてほしいです」
「何でー?」
「愛称なら、フィーかアンナ、他でも構いません。フィアは止めてください」
レナータやベアトリスが小声で制止してくるが、止められない。湧き上がる激情が体で渦巻き、外に出ないように必死だ。
そんな努力も虚しく、むしろわざと気づかない振りをして、腹黒子供は言葉を続けた。
「フィア姉、フィア姉。とってもいい呼び方だよ? テオ兄やお姉ちゃんに勧めたいくらい!」
「フィアと呼んでいいのはディル様だけなの! だから止めてって言ってるじゃない! これだから四大家は嫌なのさっさと帰りたい!」
「フィアンナ!」
絹を裂いたような叫び。そちらを見れば、若干焦った表情のレナータがこちらを見ていた。
途中で止められたが、まだ言いたいことはある。話を続けようと腹黒子供へ視線を戻した。
「あはは。そうかそうか。邪魔してごめんね? また今度!」
だが、腹黒子供はとっとと話を切りあげ、引き返していく。止める間もなかった。
完全に見えなくなってから、レナータが椅子に腰を下ろした。脱力したように深く座り、テーブルに肘をついて項垂れている。
疑問に思うフィアンナに、ベアトリスが急に抱きついてきた。真剣な顔だ。何故だろう。
「アンナちゃん……やっちゃった、ね……」
「え、何が?」
「分かっていないようですわね……蜂蘭様にお伝えしなくては……」
「ですから、何が?」
フィアンナだけが分かっていない。ベアトリスによって椅子に座らされ、二人に丁寧に説明された。
それを聞いて、やっと自分がやった事の大きさに気づいた。
フィアンナにとっては当たり前。
他の人にとっては大きな欠点。




