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過去に少し触れます
『これはいい! かなりの上玉だ!』
『ええ、ええ。旦那様の仰るとおり。このレベルの奴隷は珍しい物でして……旦那様のような常連で尚且つ地位がある方でないと、お値段的にも難しいかなと』
『よく分かっているじゃあないか!』
ハゲデブ油ギトギト。おまけに趣味の悪い宝石の指輪を、全ての指に嵌めている中年親父。
胡散臭い管理人の男は煽て続け、いかに自分を高値で売りつけようか考えている。
ろくでもない。フィアンナは心で吐き捨てた。実際に口にしたら、管理人に後で折檻されるからだ。
フィアンナの記憶は六、七歳から、この奴隷商のアジトで始まる。そこから昔は覚えていない。
歳に関しても、見た目から結論づけたらしい。
なんでも、地位の高い人間を攫えた場合、記憶を消す毒を使うことがあるという。
前後数日の記憶が消えるだけらしいが、フィアンナにはよく効いてしまったらしい。
真実がどうかなど覚えていないので、同じ場所にいる仲間とそう結論づけた。
それから二年と少し。今、フィアンナは他の見目麗しい少女数人と共に、趣味悪親父に高額で買われた。
馬車で連れていかれた屋敷の中は、これまた無駄にキラキラとした調度品と美人な使用人ばかり。
成金と色ボケも揃っているかと思う内に、奴隷が過ごす部屋に案内された。
かなりの大部屋だ。ピンクの壁紙と絨毯に、メルヘンな小物があちこちに散らばる。他の皆は喜びの声を上げていたが、逆にフィアンナは寒気を感じていた。
明らかに少女が好む物で構成された部屋が、逃がさない為の檻に見える。既に中にいる少女が虚ろ顔なのも、おぞましさに拍車をかけた。
そうして始まった生活は、やはり変だった。
部屋からは出られず、三食とおやつが部屋に届く。願えば欲しい物が部屋に増えるが、本といった知識が得られる物は駄目。
蜜に浸らせて、一体何をする気だろうか。その答えは、少ししてから分かった。
主に呼ばれた少女だけが部屋から出られて、二度と帰って来なかった。最初は笑って見送っていた皆も、何人も続く現象を恐れ始める。
呼ばれた少女の共通点は簡単だ。大人の証が来たのだ。つまり、それが合図。
それ以来、皆が自分の変化に恐れるようになった。でも、いくら拒絶しようが、体は勝手に成長する。
泣きながら減っていく少女達。広くなった部屋に、主が買ってきた幼い少女達が補充される。
その中で、フィアンナはただ祈った。
毎朝、鏡越しに震える自分に手を合わせ、小さく言葉にする。
『どうか、まだその日が来ませんように』
そう呟くと、雲みたいにふわふわとした感覚が、胸から全身に広がる。その感覚は気持ちよくて、自分のおまじないが効いていると思わせてくれた。
自分のスキルによるものだと、魔力の存在すら知らなかったフィアンナは気づかなかった。
「……揺れてる?」
徐々にはっきりしていく意識の中で、フィアンナは二つの感覚を感じ取る。
一つ、ズキっと頭部が痛む。そういえば、鞘付きの剣で殴られたのだと、事実だけ思い出した。
一つ、ガタガタと全身に伝わる振動。これは頭の痛みとは違い、ずっと揺れている。時々、ガタンと強く振動した。
少ない経験から、思い当たる物が一つある。馬車だ。
「馬車かぁ…………馬車ぁ!?」
納得したのも束の間、すぐに飛び起きた。同時に思い出す直前の記憶。礼儀知らずの馬鹿男に殴られたのだ。
その上、目に入る光景に口があんぐりと開いた。
乗車する人の事など考えていない、鉄むき出しの車内。横の窓には鉄格子。真向かいの席に括り付けられた、応急処置箱と食料。
フィアンナはそれぞれを何度も見直し、腕を組んで目を瞑る。考え事は得意ではないが、今ある材料から状況を判断するしかない。
自分ができる限り考えて、一つの結論へ辿り着いた。
「馬鹿男じゃなくて、屑野郎だわ」
拒絶したフィアンナへ暴力。
気絶したフィアンナの回復を待たず、馬車に積み込み走らせる。それも、この構造は護送車。誘拐しておいて罪人扱いとは、身勝手すぎる。
挙げ句の果てに、勝手に使えと言わんばかりの応急処置箱。
この所業、屑としか呼べない。
話し合いもできない蛮族が、フィアンナに何の用があるのか。考えようとして、直ぐに止める。蛮族としか言えない行動の主が侯爵の国だ。フィアンナの常識では、予測不可能。
「ああディル様! 力を貸して!」
目を瞑り、自分の体を抱き締める。否、気絶直前にそこにいたディルムを抱き締めた。
『私の目の前に、ディル様の面影がある』
手に魔力を込め、言いながら胸で放つ。ふわふわの感覚が全身を包み込む。吐息も香りも体温も全て記憶に真新しい。言い聞かせた自分の脳が、錯覚を起こす。限界以上に脳が動き、鮮明に空想のディルムを存在させた。
スキル『暗示』。他人や自分に魔力を流しながら話す事で、その内容が事実だと認識させる。
昔の自分は無意識に気づいていたようで、おまじないとして使っていた。おかげで、月の物は全然来なかった。
半年と少し前。すっかり大人の体になったフィアンナに痺れを切らし、趣味悪親父はフィアンナを呼び出した。
そのまま、ベッドに引きずり込んで獣欲をぶつけようとしたのだ。
抵抗したフィアンナは無意識にスキルを使ったようで、趣味悪親父は突如として止まった。分からないなりに問うと、ペラペラと喋る。
この力がスキルというものであること、買った奴隷の使い道と始末方法。
気持ち悪さを抑え、騎士団へ行き悪事を喋るように命じた。そのおかげで屋敷に騎士が入り、奴隷の保護や協力者の捕縛が行われた。
ディルムに会えたのも、スキルで悪人捕縛に協力したからだ。それだけは、このスキルで良かったと心底思っている。
自分の脳が生み出したディルムの腕の中で、うっとりとしながらフィアンナの頭は回転する。
「ディル様、ディル様は無事なの? あの屑野郎、私を平然と殴ったからそのままディル様も……いやぁ! 考えたくない! でも事実なら抹殺してやるぅ!」
口では否定するが、頭の冷静な部分では否定できない。