桜の舞い散る立版古:からくり屯珍の事件簿
立版古は、江戸時代の『おもちゃ絵』です。
台紙に建物などが描かれた背景の絵を立てて、その前に人物や置物の絵を立てます。
完成すると立体的なジオラマのようなものになります。
武 頼庵(藤谷 K介)様主催の『初恋企画』参加作品です。
江戸の夕暮れ。
大通りでは通行人に交じって、肩に担いだ天秤棒の両端に商品をぶら下げた棒手振が何人も歩いている。
あちらでは食器売りが、そちらでは魚売りがいた。
庶民でも簡単に営業許可を取れるため、江戸には数千人の棒手振がいたという。
食料の他、掃除用具や筆記具など日用品を売る者もいたという。
「しじみーー……。えー、しじみだよーー」
天秤棒に2つのザルをぶら下げた棒手振が、声を上げながら通り過ぎて行った。
大通りの両側にはたくさんの店が並んでおり、その中に一軒の人形屋があった。
地面まで届く大きな暖簾に『三角屋』と書かれていた。
その店先で、奉公の小僧達が客の相手をしていた。
なお、年少の奉公人を関西では丁稚、関東では小僧と呼んでいる。
「なぁ、このタヌキは信楽焼きかい?」
客の一人が、小さいタヌキの人形をさして店の小僧にきいた。
眼鏡をかけたその少年はにこっと笑って答えた。
「甲賀の信楽焼はあっちに置いてる大きい奴でやんす。このちっこいのは浅草の今戸焼で、商売繁盛の縁起物でやんす」
「おう、商売繁盛か。そりゃいいねぇ。1こもらっていこう」
「まいどありぃ。お客さんのご多幸をたっぷり念じておくでやんす」
その客が帰った後、店先へやってきた若者が少年に声をかけた。
「おぅ、屯珍。ちょっと相談に乗ってくんない?」
「こんにちは、五平さん。相談って何でやんすか?」
屯珍と呼ばれた少年は馴染みの野菜売りの青年に挨拶を返す。
眼鏡の少年は本当は富吉という名だが、なぜか屯珍という名前で呼ばれていた。
「ちょっとしたお芝居で使える紙人形ってあるかい? 芝居小屋でやる本格的なやつじゃなくて、子供の人形遊びに使えそうなやつがいいんだ」
この店では人形浄瑠璃や御出木偶芝居などで使う木の人形も扱ってる。
が、かなり値の張るものなので子供の玩具には使えない。
「おままごと人形ならこっちでやんす。あ、お芝居用ならこういうのもあるでやんす」
屯珍は着物の女性の立ち人形を出した。
足のところに長い棒がついており、それをもって動かせるようだ。
「可愛らしい人形だな。これ、動くのかい? 爆発とかしないだろうね」
「爆発するものを売りには出さないでやんす。人形の背中の指金をぐいと押すと顔が変わるんでやんす」
美しい娘の顔が鬼女に変わった。
目が吊り上がり、口が裂けて、ツノも生えている。
「うわぁ! ちょっと待て、屯珍。いや、俺がほしいのはこういうのじゃないんだ。知り合いの娘さんが、ご隠居さんや家族衆で花見に行くんだよ」
「あ、そういや五平さんって、両替屋の狭霧さんと仲良くなったってきいたでやんす」
屯珍がいうと、五平は少し顔を赤くして恥ずかしそうに言った。
「耳が早いな。その狭霧さんに頼まれたんだよ」
「たしか、狭霧さんは怪談話が好きでやんす。これなら『娘道成寺』の清姫のお芝居で使えるでやんす」
『娘道成寺』は、好いた僧侶に逃げられた女性が化け蛇になって追いかける怪談である。
「花見で怪談はないだろう。その席で小芝居をやりたいってんで頼まれたんだよ。怪談話じゃなくて、笑い話にするみたいだ。屯珍は『花争』って話を知ってるかい?」
「知っているでやんす。主人と太郎冠者の2人が登場するでやんす」
『花争』は、主人と召使が『花見』『桜見』のどちらが正しいかを口論する話である。
「あ、そうだ。その話なら、これが使えるでやんす」
屯珍は何枚の紙を取り出した。
それぞれの紙に建物の背景や人物画などが刷られている。
「ハサミとノリで組み立てる立版古でやんす。これを全部切り出して、台座に背景と登場人物、それに小道具なんかを貼り付けるでやんす」
「ほうほう。組み立てると、お芝居の舞台みたいなおもちゃができるのかい」
「そうでやんす。人形を台座に張り付けずに、竹串や高楊枝にくっければお芝居ができるでやんす」
「なるほどねぇ。この背景もいろいろあるのか。よし、全種類を一枚ずつ買ってくよ」
「まいどありぃ」
五平は何枚かの錦絵を買っていった。
* * * * *
ここは江戸の大通りにある人形の店・三角屋。
今朝も小僧達が店先に出ていた。
彼らはお客さんの見えやすいところに動物の人形を並べている
これらは浅草近郊の今戸というところで作られたものである。
型に合わせて作られた動物の粘土型を焼いて、色を塗って仕上げたものだ。
三角屋の人気商品の今戸焼である。
商品を並べ終わった頃、屯珍の元にコポコポというポックリの足音が近づいてきた。
「こんにちは、富吉さん」
「あ、狭霧さん。しばらくでやんす。こないだはお花見にいったんでやんすね」
「そうなのよ。あの小道具は富吉さんが選んでくれたんですってね。お芝居やったらみんながよろこんでくれたのよ。ありがとね」
「へへっ。おいらは店の品を紹介しただけでやんす。お礼は五平さんに言うでやんす」
「ふふ……。そうね。五平さん、お花見にあう笑い話を色々と教えてくれたの。お芝居も手伝ってくれたのよ」
「へー……。ってぇことは、五平さんもお花見に参加したでやんすね。両替屋の旦那さんには怒られなかったでやんすか」
「その時はお父様は酔いつぶれてたから大丈夫よ。ところで五平さんに聞いたんだけど、この店ではお化けになる人形もあるんですって? 見せてくださる?」
屯珍はいくつかの仕掛け人形を狭霧に見せた。
仕掛けを動かして見せると、狭霧は楽しそうに笑っていた。
「狭霧さん。この人形の背中の指金をぐいって押すと、首が伸びるでやんす」
すました表情の若者人形の顔が『にたぁ~』っと変わり、首が伸びた。
『ろくろくび』のようだ。
「おもしろいわね。これ、買っていこうかしら。五平さんをビックリさせようと思うんだけど、あの人って怖がりだから怒られるかなぁ……」
「大丈夫でやんす。怒られそうになったら『屯珍のさしがねでやりました』って言うでやんす」