仕事にも本気で向き合います
母とぶつかり合って、分かり合えた光は、仕事にも真剣に向き合おうと再スタートした。気持ちが強くなった光は、仕事をしない先輩に毒づいたり、怖い先輩に一生懸命についていってます。
9 仕事にも真剣に向き合います
「新村ぁ。救急車が2台来るぞ。誘導手伝え。」
岩村さんが、光に怒鳴って、救急診療入口に向かって走っていく。
「ハイッツ」
と返事をして、慌ててレインコートを着てや誘導灯を取りに行くと、銀縁メガネに天パのおっさん、じゃなかった、野間さんが、相変わらずPC画面に集中している。初日と同じ光景だ。この人は、休憩時間はずっとこの調子で、余程でないと動くことはない。でも今は、救急車が2台同時に来るし、おまけに酷い雨で視界が悪い。人手は多いほうがいいのに、この非常時にこいつは何をしているんだと思って野間さんを見ると、PC画面がチラッと見えた。またガンダムだ。画面の中では、金髪の男がバーでグラスを傾けている。・・・知っているシーンだ。敵軍の幹部家系の若者が死んで、味方の士気高揚に利用されてしまうんだ。当時は、そんなことは、分からなかったけれど、シャアが好きだったから、この後のセリフは覚えている。
「坊やだからよ」
そう吐き捨てた途端に、顔を上げた野間さんと目が合ってしまった。
しまった。光は、心の中で、「アンタは、子供すぎるのよ。」と野間さんに悪態をついていたもんだから、無意識に声に出てしまった。光は、何も言わずに視線をそらして、救急診療入口に急いで走っていった。
・・・私も子供すぎるのよ
先日の母との言い合いを思い出す。お互いに本気で言い合ったことで、やっと母との苦しさから解放された。母は、自分が間違っていたと言ってくれたが、自分もそうだ。毒親だと決めつけて、逃げるばかりで、真剣に母と向き合おうとしなかった。いつまでも拗ねた子供みたいに、戦うことを避けていたんだ。あの日、仕事で失敗して、自分でもやけくそみたいな気持ちだったから、あそこまで言えた。母には、失敗したことも全部話して、聞いてもらえた。何で、翔と別れることになったのか、退職することになったのか、今の仕事をしているか?母は、「分かった」と言ってくれた。それだけで、光るには十分だった。後悔しても自分一人で悩んでも何も変わらない。今は、目の前のことを一生懸命にやろうと、母のおかげで決心がついた。
救急診療入口に着くと、もう救急車が2台共到着している。
岩田さんが私を見つけて声を張り上げる。
「鳥越町救急車の方が重症患者さんらしい。まず、そっちを先に誘導するぞ」
そう言われて私も雨音に負けないように
「ハイ」
と大きく返事をした。
救急車が同時に到着するのは珍しいことではないのだが、今夜はどしゃ降りの雨だ。いつものようにそれぞれが駐車した場所からストレッチャーを降ろしたら患者さんがずぶ濡れになってしまう。診療入り口前の屋根のある駐車スペースから患者さんを降ろさないといけない。どの救急車が先なのか医師の指示通り、私達は救急車を誘導しないといけない。一刻を争う状況なのだ。無駄な動きをしないようにしないと・・・初めての状況に緊張する。岩村さんは赤く光った誘導灯を振って鳥越町の救急車に合図を送っている。
「新村ぁ。仁王町の救急車をストップさせとけよ!」
「ハイ」
岩田さんに聞こえるように大声で返事をして仁王町の救急車の前に立つ。誘導灯を赤く点滅させて両手で水平に持ち大きく頭上に掲げた。運転している救急隊員は事態を分かってくれたようで頷いてハンドルから手を離して後部の救急隊員に何か言っている。
鳥越町の救急車を屋根の下に誘導し駐車させた途端に、救急隊員が救急車の後部ハッチを開けて患者さんを乗せたストレッチャーを降ろす。
「バイタルは?」
「サチエーションは?」
という怒号と共に待ち構えていた医師や看護師がストレッチャーを取り囲んで診療室の中に入っていく。患者さんを無事に誘導できた。ほっと安心する間もなく岩田さんの声が飛ぶ。
「まだだ。あと1台残っているぞ」
「ハイ」
次の救急車から患者さんを降ろすためにまず鳥越町の救急車を屋根の下から移動させる。駐車スペースができた途端に待ち構えていた仁王町の救急車がサッと駐車して落ち着いた様子で患者さんを乗せたストレッチャーを降ろす。
「病院に着きましたよ」
救急隊員が声を掛けた患者さんは高齢の方のようだ。診療室から出てきた医師や看護師達も名前を呼んでいる。かかりつけの患者さんかな?名前を呼ばれた患者さんはわずかに反応している。安堵したようにも見える。救急車が到着する場面は緊迫した場面が多いが。時にはこんな温かい場面もあるんだ。そう思っていたら、また岩田さんの怒号が飛んできた。
「バカヤロー。ボーっとするんじゃない。」
ビクッとして肩をすくめた途端にその肩をポンと叩かれた。
「ボーっとするな風邪ひくぞ。」
そう言って岩田さんは光の肩をポンポンと軽く叩いて
「・・・なかなかよく頑張ったじゃないか」
といった。初めて聞いた岩田さんの優しい言葉に驚いて光が振り向くと。そこにはぎこちない笑顔の岩田さんの顔があった。