思ってなかった病院の警備の仕事って?
人間不信になって、警備会社のオペレーターに転職した光だったが、配属されたのは、病院の警備員だった。どうして、こんなことになったのか?と思いつつも、光は、勤務先の小坂市立総合医療センターへ向かう。
3、病院の警備って?
地下鉄から私鉄に乗り換えて準急行で4駅。小坂市立総合医療センターは駅から3分の立地だった。駅を出て病院に向かいながら、光は、中田の言葉を思い出していた。
「向こうの責任者は黒田といいまして、新村さんのことは伝えてありますから。細かいことは現場で聞いて頂いたほうがいいと思います。期待しているので頑張ってくださいね」
という無責任な言葉と、屈託のない笑顔と共に。
光は頭をプルプルさせるとピシッと頬を叩いた。
・・・いけないいけない。目の前のことに集中しないと。と光は、病院に向かいながら観察を怠らない。
病院の前は、公園のようなグリーンの芝生スペースとなっている。病院の左側は、車道になっており、裏の立体駐車場に進むようになっている。駐輪場も裏手にあるようだ。正面玄関から入るのは、駅からやって来る人間が主であるらしい。
正面玄関前に白髪頭の警備員が一人立っていて、病院を訪れる人を見守っている。光はその前を通りすぎてさらに先へ向かう。来る途中に電車の中で見ておいたのだが、正面入口の先に病院の職員入口があり、警備員もそこに常駐しているようである。
光は白いすりガラスに赤字で夜間休日出入口と書かれた自動ドアを見つけるとその前に立った。自動ドアが開くと広い廊下が正面にのびている。右側に時間外受付窓口・・・当然、今は閉まっている。左側は防災センターとあり、ガラスで囲われた部屋があってその奥に出入口のドアが見える。ガラスの一部分が小窓のようになっており、そこからブルーの警備服の警備員が、
「こんにちは、どちらに行かれます?」
と声をかけてきた。
光は、先ほど本社で中田から渡された社員証を取り出して
「今日からお世話になります。新村 光ですよろしくお願いいたします。」
と、言って頭を下げた。するとブルーの警備員は、
「ああ、聞いてるよ。あんたが新しく来る女の子か?ワシは岩村だ。」
へええ。といった物珍しげな感じで光を見て
「そこのドアから中に入りなよ。おおい、黒さん。来たよ、新人さん」
と、光に奥の出入口ドアを示し、体を反転させて警備室の奥にいる人に声をかけた。黒田さんは、ここの責任者だと、さっき中田さんに聞いていた。役職的には係長くらいなんだと思う。光が、
「失礼します」
と言って室内に入ると、
「どうも、こんにちは。黒田です。」
と言って、室内の一番奥の席から立ち上がって、こちらへやって来る男性がいる。身長は160cmくらいで私と変わらないくらいだろう。背が低いだけでなく、ずんぐりとした、全体をギュッと圧縮したような印象のひとだ。色黒で四角い顔に、にこやかな笑みを浮かべている。年は50歳半ばといったところだろうか
「いや、どうも。どうぞ、こちらへおかけください」
と焦りながら言って、近くの椅子をすすめてくれる。警備室は、12畳くらいの広さで、中央右よりに事務机が6つ、向かい合わせに並んでいる。今、黒田さんが座っていたのは、いわゆる班長席にあたる7つめの席だ。その背後の左側の壁一面に、配電盤のような機械のパネルが続いている。
よく分からない機器類に圧倒されながら、光は黒田が勧めた事務椅子の傍に立った。
「初めまして、今日からお世話になります。新井 光です。」
もう一度、挨拶をして頭を下げた。
その途端に、機器類の一つが、灯りビーっという音を立てて赤く光った。先程、岩村と名乗った60過ぎのブルーの警備員が、
「おうい、救急車が来たぞ。今、別の救急車が来てるから、もう駐車スペースが一杯だろう。応援がいるんじゃないか?」
と、部屋の中に向かって、声をかける。すると、黒田が遠慮がちに
「野間くん。応援行けるかい?」
と、光の立っている方とは、反対側の列の真ん中のデスクに座っている、銀縁眼鏡をかけた天パのおっさんに声をかける。おっさんと言っても30代後半のオタクっぽい風貌のおっさんだ。パソコンの画面を一心に見つめながら
「いや、今、ちょっと無理ですね」
とギリギリ聞こえるくらいの声でボソッと言った。黒田さんも岩村さんも、「やっぱり」という感じのリアクションをした。岩村さんは
「ワシが行ってきますわ。野間くん、窓口よろしくな。」
と言って応援に行ってしまった。その後ろ姿に黒田は、
「すいません。岩村さん頼みます。」
と声をかけた。
「初めまして、ここの責任者の黒田です。どうぞ、おかけください。」
と改めて黒田は、光が、椅子に座るのを待って話し出した。
「いやね、驚いたんですよ。こちらも。若い女性の方が警備の仕事なんて!と、でも、柔道をされているんですね。それで僕も納得できました。」
と、黒田はニコニコ顔で光を見る。反対に光は顔が引きつった。しまった!そういう事か!警備の会社だから履歴書の資格欄に書いておけばいいかもと、小さい頃からやっている柔道2段の資格を履歴書に記入していたのだった。だが、そんな本気で柔道をやっている訳ではない、かろうじて取れていた柔道2段の資格。まさかそのせいで、希望していたオペレーターではなく、警備員の現場に配属されることになるなんて!・・・そんなことを思いながら、意識が朦朧としている光をよそに黒田は続けた。
「だからと言って、柔道の技を使うような危険なことがある。という訳ではないので、ご安心ください。柔道をされていたということで、体力的なことや精神的な面でも大丈夫なのかな?と思ったんです。何しろ男性ばかりの職場ですのでね。」
「え?男性ばかり?」
それまで、頭がグルグルしていた光は、黒田のふとした言葉に引っかかった。前の職場を辞めるきっかけになったのは、女性社員の嫌がらせが始まりだった。男性ばかりならその心配はないのかもしれない。
光に指摘されて、黒田はドキッとした様子で焦り出し、ややしどろもどろになった。
「はい。私をはじめ職員が6人残りはアルバイトが18人。全員が男性です。」
「人数が多いんですね」
光を入れて合計25人。その多さに驚いた。
「はい。また詳しくご説明いたしますが、警備員が常駐する場所が何箇所かありまして、それが24時間ですからね。毎日、交代しながらの勤務となりますから、そのぐらいの人数となるわけです。新井さんは、主に9時から18時までの勤務と今18時から22時のバイトが少ないので13時から22時の勤務の2パターンになりますね」
黒田がそう言った時に窓口で
「すいませ~ん」
という声がした。
「野間くん頼むよ」
と黒田は、さっきパソコン画面に見入って、動かなかった野間に声を掛けた。今度は、野間は、のっそりと立ち上がって、窓口に向かった。その様子を見て、黒田は軽くうなづいてから、再び、光の方を向いて、勤務パターン・シフト・休憩時間・事務所で行う仕事について簡単に説明した。途中、窓口にいる野間が「あっ。」と声を上げたので、何だろうと見ると、胸ポケットを探る様子を見せた。
・・・「ボールペンがないんだな」
と、気づいた光は、立ち上がって野間のデスクからボールペンを取ってあげようと、野間デスクに行った。その時、何気なく野間のパソコンの画面が、目に入って光は驚いた。そこに映っていたのはアニメのガンダムだったからだ。
・・・え?さっきはコレを見ていたから無理って言ったの?
驚きの感情を隠せないままの光から野間は平然とボールペンを受け取ると窓口に戻った。一瞬、呆然と立っていた光に黒田が
「それじゃあ、一旦、お昼休みを取りましょう。」
と声をかけたので、光も特に何も言えず、野間に対して、モヤっとした気持ちを持つにとどまった。昼食後は休憩場所・更衣室を案内され、常駐場所と病院の内外の案内、それぞれの箇所での警備業務の説明を受けた。その間、それぞれの場で勤務員に出会ってお互いに挨拶をしたが、なんせ人数が多すぎて覚えられない。黒田は、仕事をしながら覚えていけばいいと、言ってくれて安心した。光が仕事とメンバーを覚えやすいように、しばらくの間は、同じ警備箇所を1週間担当して、合間に事務を覚えていくことになった。他の細かいことを決めたり、説明を受けたりして、とりあえず初日は終わった