第55章 そして誰もいなくならない Day4(1)
後谷マリネは自室のベッドで眠れない夜を過ごしていた。
「・・・ああ、あの子は今、体操部の合宿で私と同じように眠れない夜を過ごしているのかもしれない・・・ちょうど今、エスペラント語コンクール全国大会が開かれているというのに・・・」
暗闇が怖く、持参した蜜蝋に火をつけてベッドの脇に置いていた。
「あの”声”は私達を罰しているのよ・・・次は私?・・・いいえ。何も起こるわけがないわ。この部屋の中にいれば安全よ。鍵もかけているんだし・・・あら?そういえばいつの間にかあの忌まわしい海藻が無くなっている・・・」
天井を見上げた彼女は、そこにもうワカメの姿がないことに少し安心した。
彼女は、元の落ち着きを取り戻すため、サイドテーブルの上に置いてあったネコ耳(青山スフレの私物)をそっと自分の頭に付けて、首を左右に振ってみた。
再び見上げると、頭上に何かがある。
よく見ると、天井にはゴム吸盤付きフックが貼り付けられていた。
「気が付かなかった・・・ワカメはあのフックにぶら下げられていたのね」
ぽん ぴゅーーーー スコーーーーン
吸盤が音を立てて外れ、落下して後谷マリネの頭に当たった。
彼女は落ち着いて自分の化粧ポーチから蜂蜜配合ハンドクリームを取り出し、吸盤に丁寧に塗りこんだ。
そして、椅子の上に立って天井にフックを取り付けた。
ハンドクリームを塗るのは、吸盤と接着面とのわずかな隙間を埋めてくれて、吸盤を落ちにくくする裏技である。
彼女は天井に張り付いたフックを眺めながら、先程の一件を思い出して身震いした。
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櫃島チャプチェはベッドの上に正座し、深く考え込んでいた。
やはりニコラス刑事は寒かったのか。
そもそも合コンに来るギャルや忘年会に参加する新人警察官たちはニコラス・ケイジ自体を知っているのか。
武藤刑事にすればよかったのか。
「残りは4人か。たぶん、あの探偵どもは”声”の処刑対象に入っていないだろう。用意されたコメディアン人形は10体だった。・・・・何故だ。一番罪深いのは探偵どものはず。・・しかし、あの赤岩タルトには、私のもう一つの罪を暴かれてしまった・・・・まさか、赤岩君が一連の事件の犯人なのか?・・・・いや、それよりも今心配すべきは、この欠勤理由の虚偽報告が上司にバレないかという事だ。もしも赤岩君から黄島にこの事が伝わったりでもしたらそれこそ・・・」
時計の針は深夜1時を指していた。
櫃島チャプチェはベッドの上から飛び降りた。
部屋の外で何か物音がしたからだった。
「こんな深夜に誰かが邸内をうろついている。あの探偵達がまたへっぽこ調査をしているのだろうか。いや、あの青山君はよく寝てよく食べる健康優良野良人間らしい。もうとっくに夢の中だろう。では、助手の猫君は?いや、猫は夜行性だと思われがちだが、薄明薄暮性動物だ。活発なのは明け方と日没直後だろう。それに猫はあんな音はたてない。赤岩君も、探偵だとしても犯人だとしても、物音を立てないように細心の注意を図るだろう」
櫃島チャプチェは外に出て調べたい衝動にかられた。
ドアを開けるのは危険だとわかっていても、なんだかんだ理由をつけて職務をサボリたがる性分だとしても、彼はれっきとした現役刑事であった。
彼は、ドアに耳を付け、全神経を聴覚に集中させた。
足音が聞こえた。
その足音は廊下から聞こえ、ゆっくりと櫃島チャプチェの部屋の前を通り過ぎた。
そしてそのかすかな音は階下へと消えていった。
その後の櫃島チャプチェの行動は素早かった。
邸を徘徊するその人物が何者であるかを確かめるため、部屋に非常用として置かれていた懐中電灯を手に取り、なるべく音をたてないようにドアを開け、足音の後を追った。
天気は良くなっているようだ。
階段に着き階下を覗くと、月明かりが窓から射し込み、玄関のある大広間がはっきりと見えた。
足音の主は玄関から外に出ようとしていた。
(・・・・あれは!)
櫃島チャプチェが、月明かりに照らされて一瞬見えた足音の主の横顔を、頭の中でその人物名と照合させていたその刹那、2階の廊下の方から2度のドアを開ける物音がして、反射的に彼はそちらの方を振り返った。
「どうしたんだ。刑事殿」
「何かありましたの?」
渡来ムサカと後谷マリネがそれぞれの部屋のドアを開けて、様子を見に来たのだった。
2人とも先程の物音を聞きつけたのだろうか。
「旨川スブラキが外に出ていった」
櫃島チャプチェが小声で2人に答えた。
「今度は旨川先生が?!」
後谷マリネも口を押えて声量を抑えている。
「探しに行かないか。一人で出歩くのは危険だ」
渡来ムサカが提案した。
刑事と元大尉が一緒ならば、と、後谷マリネも捜索に加わるようだ。
捜索の前に一応見ておこうという事になり、3人は食堂のテーブルを確かめに行った。
そこには、それが当然であるかのように3体に減ったコメディアンの壮年人形が、憎たらしいまでに滑稽な表情を浮かべて静かに並んでいた。
「まさか・・・では、旨川殿はもう・・・」
渡来ムサカが、減っているコメディアン人形の意味に思いを巡らせ、言葉を詰まらせた。
「待って。あの現代長唄を忘れたんですか?燻製のニシンですのよ。あなた達、その意味をご存じないのですか?」
「・・・・というと?」
後谷マリネはこほんと1つ咳払いをすると、小さく息を吸って、それから大きく吐くと同時に大声で歌い始めた。
「♪ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン♪」
「「!!!!!」」
そこで突然歌うのを止めると、後谷マリネは何かを催促するような視線で櫃島チャプチェと渡来ムサカを睨めつけた。
「・・・・・・・」
「「・・・・・・?」」
「♪ヤァーレン ソォーラン ソォーラン ソォーラン ソォーラン ソォーラン♪」
後谷マリネはもう一度、さらに大きな声で歌いだした。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・!!」
渡来ムサカが何かに気づいたようだった。
櫃島チャプチェにアイコンタクトをとると、彼も刑事の勘で瞬時に事情を理解した。
後谷マリネは『わかりましたね?』の視線を2人に向けて三度歌い始めた。
「♪ヤァーレン ソォーラン ソォーラン ソォーラン ソォーラン ソォーラン♪」
「「ハイハイ!!」」
後谷マリネは満足したかのように頷くと、続きを歌った。
「♪ニシン来たかぁと カモメぇに問えばぁ~ わたしゃ立つとぉ~り~ 波にぃ~聞け~♪」
「「チョイ ヤサエ エンヤンサーノ ドッコイショ ア ドッコイショ ドッコイショ!!」」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・で?」
「ソーラン節です」
「「知っとるわ!!」」
「旨川先生はニシン漁に出かけたのでは?」
「んなわけあるか」
「燻製はどうした、燻製は」
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3人は外に出て旨川スブラキを探した。
天気は回復し、海面も穏やかな水平線を描いている。
海岸にいた去取ボルシチも、オーラン宇宙服を脱ぎ捨て、蒸れて痒くなった体を掻きむしっている。
「自分は宿泊施設の裏の方を見てくる」
櫃島チャプチェはそう言って、邸の裏にあるゴミ置き場の方に向かって走っていった。
渡来ムサカと後谷マリネは2人で桟橋の方を探すことにした。
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「いませんわね、旨川先生」
「ああ。いないな」
「やっぱり船でニシン漁に・・」
「ないな」
渡来ムサカと後谷マリネが探索を終えた。
旨川スブラキの姿はどこにもなかった。
「まさか、旨川先生が一連の事件の犯人なのでしょうか」
「いや、俺様はあの刑事が怪しいとにらんでいる」
後谷マリネが小さく震えた。
「刑事さんが犯人なら、私たちに勝ち目はあるのかしら」
「大丈夫だ。俺様にはこの武器がある」
渡来ムサカが腰に装着したペイントボールマーカーをぽんぽんと叩いた。
すると突然、後谷マリネが首を伸ばし、見張りをするプレーリードッグのような仕草できょろきょろと辺りを見回した。
「どうした?後谷マリネ」
「何か叫び声がしたみたいですわ」
後谷マリネが指差した方向は、櫃島チャプチェが探索に向かった邸の裏手の方だった。




