SCENE7
ワタシはマユの話しを聞いて、茫然とたたずむ「おもはらの森」の樹々の上空を見あげた。都心のあまりにも過剰な照明が、曖昧でけむった夜空をつくっていた。大切なものを忘却し、大切なものを犠牲にしてできあがった夜空から、星々を見つけることも難しかった。ちっとも美しくない空だった。
ふと、ワタシがピンク色のテロリストになろうと決心したのは、この曖昧でけむった夜空を、美しい夜空にかえたかったからではないかと思えた。ワタシは、まず美しい夜空を恢復したかったんだと。
急になんだか心配になってきた。マユの他にこの『1Q84』について熱心に語り合ったミホコのことだ。彼女は大学生であるから、仕事依頼のDMのメールが届いたりするはずはないが…… それでもなにかしらのアプローチがあるかもしれない。
マユもミホコとはワタシを通じて交流がある。ようやく黒のファー付きのコートを脱いだマユは、落ち着きを取り戻すようにコーヒーを口にした。
──マユが仕事の依頼を断ったのは、とても適切な判断ね、ワタシも依頼主が信用できるか確信がもてなかったから。
でもワタシは仕事の依頼を受諾したのよ、まずは依頼主を確認するためにも、もしマユのいう通り依頼主の「株式会社小さな人たち」が「リトル・ピープル」であったり、またその関係者であったのなら、細心の注意をはらって対処するし、仮にも身に危険を感じたら、すぐに契約を破棄して帰るつもり、だからマユは心配しなくても大丈夫!
それよりもワタシには、ミホコのことが心配なの、マユと同じように『1Q84』について、いろいろと熱心に話しをしたばかりだから。
外灯とスターバックス店内から洩れる明かりに陰をつくったマユの顔は、大きなひとみを翳らせて歪んでいた。すぐにワタシは、ミホコにLINEを送ったがすぐに既読はつかなかった。携帯に電話をかけてみても出てくれなかった。もしかしたら大学の友人たちと遊んでいるため、電話に出られないだけかもしれない。また明日連絡してみよう。
──明日の朝また連絡してみるわ、単に友だちと遊んでいて忙しいだけかもしれないから。
マユは大きく頷いた。それからワタシたちはもうすっかりお腹が空いてしまい、若者で賑わう「おもはらの森」をあとにして食事に向かった。曖昧でけむった夜空には、ビルの合間に少し霞んだ白い満月がひとつだけ浮かんでいた。しかし、すでになにかがはじまっているのだ。
頬に熱いものを感じた。強引に目蓋を開けると仄かな灯りに丸い顔が眩いシーちゃんが、ワタシの顔に覆いかぶさるようにしてピンク色の舌で舐めていた。なんだかとっても真剣な表情につい笑ってしまう。すでにフラワーデザインのレースカーテンは、彩光によって煌めくように花をひらいている。早く起きろとの催促だ。了解しましたと、シーちゃんの頭をそっと撫でてから、枕もとのiPhoneを確認すると、ミホコからLINEに返事が届いていた。
──MOMOE! 返事が遅くなってごめんなさい、昨夜は家庭教師のバイトで帰りが遅くなってしまって!
そういえば、とてもびっくりしたんだけど「株式会社小さな人たち」という会社から、突然、就職説明会のDMが届いていました。
ふと思ったのは、この「小さな人たち」って英語では「リトル・ピープル」よね?
とても現実的な話しには思えないけれど、小説の『1Q84』に登場する「リトル・ピープル」と同じだとしたら? そうして実際に「リトル・ピープル」が存在するとしたら? なにかとても恐ろし気がする。かえって悪いイタズラの方がいいぐらい。
でも私の直感では、本物の「リトル・ピープル」のような気がするの。「リトル・ピープル」は実在するような気がするの。小説の『1Q84』では、その正体は曖昧だったけれど。
どう? MOMOEにもDMが届いたりしているの?
ミホコは、早稲田大学の文学部の学生だから、『1Q84』についても、より深い洞察力があるようだ。そのミホコの直感では、「リトル・ピープル」は本物らしい。ワタシはミホコに、「株式会社小さな人たち」が依頼主として、あるブランドのモデルの撮影依頼があり、仕事を引き受けたことを伝えた。するとミホコは、マユも交えて夕食をかねて対処方法などを検討しようと提案してきた。もちろんワタシは即座に了解した。
──MOMOE、あとひとつ気になることは、「リトル・ピープル」が現れたとしたのなら、その対極の「ビック・ブラザー」の存在がどうなのかということ、あるいは「ビック・ブラザー」も姿を現すのじゃないかしら!
そうなのだ。もし「リトル・ピープル」が実在するのなら、「ビック・ブラザー」も実在するのが当然だろう。ワタシはなんだか身体が震えて止まらなくなってきた。しかしながら、「ビック・ブラザー」と「リトル・ピープル」こそが、未だに五里霧中のワタシのテロリストの標的を見つけだすもっとも有効な手がかりなのだ。震えてなんていられない。
光の花ひらくレースカーテンをあけると、今朝も宇宙の摂理にしたがって昇りはじめた朝陽が、大空から路上のタバコの吸い殻にいたるすべてを赫々と染めていた。その圧倒的な美しさと力強さに魅せられながら、ワタシは、そこに「リトル・ピープル」に立ち向かうヒントを見出していた。




