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シーとピンク色のテロリスト  作者: ユッキー


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SCENE4



 底から赤銅色(しゃくどういろ)に色づく夕空を背景に、銀座の街は街灯とウインドウの照明が(とも)りはじめていた。車のベッドライトが星彩(せいさい)のように(まばゆ)い。沈みゆく落日を誰も気づかない。水彩画のように夕照(せきしょう)の空はこんなにも美しいのに……

 

 今夜は、「bills銀座」でディナーだ。

 日中は、あるブランドのZOZOの撮影があった。とても楽しい撮影だった。めちゃめちゃ可愛い洋服がたくさんあって、撮影で着させてもらった2つのワンピースがとくにおススメだった。

 

 大きな窓に開放感のある店内、大理石素材の洒落れたテーブルには、すでにミニランプが蝋燭(ろうそく)の炎のように灯っていた。先に着いていた同い年のミホコは、黒のニットワンピースのコーデでいつものように本を読んでいた。彼女は早稲田大学の学生で、ワタシと違って時間さえあれば呼吸をするように本を読む。地元の高校時代からの親友だ。


 ──おまたせ、待った?


 すぐにミホコは、丸い顔をあげて軽く首を振った。大理石素材のテーブルに置かれた文庫本は、村上春樹の『1Q84ーBooK3〈10月ー12月〉後編』だった。そういえば以前、ミホコからMOMOEのオススメの小説はなに? と訊かれたときに答えた小説だ。ワタシはマユにもこの小説を(すす)めていたけれど、この小説の女主人公青豆を、勝手にゴルゴタの丘で磔刑(たっけい)にされたナザレのイエスと重ね合わせていた。


 ──もう、お腹ペコペコよ!


 ふたりで素敵なディナーを楽しみながら、はじめはZOZOの撮影のことや、おススメの2つのワンピースの話題で盛りあがったが、結局、必然的に話題は『1Q84』に帰着していった。空に月がふたつある不思議な物語について……



 ──もうBooK3の後編なら、すぐに読了ね。


 ──うん、面白くて一気に読めた。

最初に表紙を見たとき、1Q84をIQ(アイキュー)84って読んでしまった。


 蝋燭の炎のようなミニランプの(あか)りが、ミホコが笑うたびに丸い顔の輪郭を揺らした。


 ──最初に青豆が乗った中年のタクシー運転手の言葉が、結局はこの小説を象徴していたね。

 「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」。

 

 微笑みながら頷くワタシに、さらにミホコは核心に迫るようなことをつづけていった。


 ──この小説は、10歳の小学生時代にたったいちどだけ手を握り合った青豆と天吾が、互いを忘れることなく求めて、20年後に再会し結ばれるという物語よね。

 でも、小説に登場する「リトル・ピープル」って本当にいるのかしら、そもそも「リトル・ピープル」がどんなものなのかよくわからなかったけれど。

 たしかに村上春樹は、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』を土台に、この小説を書いたらしい。その『1984年』には、スターリニズムを寓話化(ぐうわか)したオセアニアの独裁者「ビッグ・ブラザー」が登場するけれど、それに対応する形で『1Q84』には「リトル・ピープル」が現れる。

 わたしはメインストーリーの裏の物語として、この「リトル・ピープル」の物語が描かれているような気がしてならなかった。

 MOMOEはどう感じたの?


 窓の外は、すっかり陽が落ちソフィスティケートされた東京の街の(きら)びやかさが強調さていた。そこでは貧困の影は薄く、あらゆる欲望の(かたまり)が渦巻いていた。目の前のミホコは、まだそんな世の中の深淵な成り立ちを知る機会もなかっただろうが、日頃からワタシがその存在を強く意識していた「ビック・ブラザー」と「リトル・ピープル」の対比について言及してきたのだ。


 たしかにミホコのいう通り、ワタシも『1Q84』の裏のストーリーとして、この「リトル・ピープル」の物語が描かれているような気がしていた。未だに五里霧中で明確でないワタシのテロの標的こそ、この「ビック・ブラザー」と「リトル・ピープル」が、最も重要なキーワードを握っているだろうと。


 ──「ビック・ブラザー」と「リトル・ピープル」を追い求めれば、ワタシのテロ標的の相手が見つかるかもしれない!


 ワタシは、窓の外のソフィスティケートされた(きら)びやかな東京の街から、大理石素材の洒落たテーブルの上に置かれた蝋燭の炎のようなミニランプに視線を移した。ミニランプは電灯であって蝋燭ではない。


 ──見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。


 おそらく「ビック・ブラザー」も「リトル・ピープル」も見つけることは非常に困難だろう。

 しかし地球は、未来の知性を持った新しい生き物や宇宙の知的生命体のためにも、もう少し変わらなければならない。だからこそワタシは、この地球を変えるためピンク色のテロリストとして諦めてはならないのだ。


 ──そう、それにワタシにはシーちゃんがついている、シーちゃんの丸いつぶらなひとみはきっとまことのひかりを感じるだろう。


 すでに、ライトピンク色のカチューシャのブタの垂れ下がった大きな耳がビクんと跳ねあがり、テロ実行の合図は発せられているのだ……



 蝋燭の炎のようなミニランプから、ミホコに視線を向けた。ミホコは、思索に()けるワタシをじっと微笑みながら待っていてくれた。やはりミホコの丸い顔の輪郭は、笑うたびにランプの灯りに揺れた。


 ──ごめんね、ミホコ  よく考えたけれど、まだワタシにはよくわからない、でもミホコが感じたことはこれからも教えて欲しい。


 窓の外は、やはり計画的で洗練された煌びやかな東京の街が、すべてをのみ込む巨大な山脈のように存在していた。それはとても険峻(けんしゅん)(いただき)に見える。


 ──ミホコ、そういえばワタシ。

シーズーのシーちゃんと暮らすことになりました!

 今夜は、シーちゃんが待っているからこのあたりで帰りましょう。

 今日はワタシの奢り、これからは遅くまでお酒も飲めなくなりました。



 店を出ると、少しばかり冷たい空気が思い出のように頬を刺す。銀座の街はハイセンスに(まばゆ)く彩られ、銀座和光の時計塔が蒼大(そうだい)な空に歴史を刻んでいた。行き交う多くの人々からも悲壮感は感じられない。


 ミホコとふたりで、紺碧色(こんぺきいろ)蒼穹(そうきゅう)を見あげた。2022年1月、白い満月はひとつだった。まだなにもはじまってはいない。




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