SCENE52
AM7:00
生成色で統一されたワンルームマンションのフラワーデザインの薄手の白いレースカーテンが、彩光によって折り重なるように花がひらき、すでに朝の陽光は十分な光を供給していた。まだシーちゃんは布団にうつ伏せのままときどき寝言をいいながら熟睡している。光の花がひらいたレースカーテンを開くと、暁光が神宮の森を赫く包み、後方に連なるビル群までも霞みながらオレンジ色に染めていた。赫く目覚めはじめた都心の街並みは、森羅万象すべてが地鳴りのように動きだしていた。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴きながら、エッグトーストとマカロニサラダを食べた。こうしてクラッシック音楽を聴いていると、崇高な世界へ導かれこころが浄化されていく。それはワタシにとって大きなこころの恢復だった。
シャビーローチェストの上に置いてある、暖炉の焔のようなWoodWickのアロマキャンドルが、ときおりパチパチと癒しの音を奏でる。窓から差しこむ陽光は、布団の中で眠りつづけるシーちゃんをあたたかな眼差しで包んでいた。シーちゃんが目覚めたらゆっくりと散歩に行こう。森羅万象すべてとの交信を試みるシーちゃんの大好きな散歩へ……
──6月に入っても、前首相暗殺事件の真相は報道管制されたまま詳細がまったくわからなかった──
AM9:00
今日もZOZOで買った黒のバスケットハットをかぶり、明治神宮外苑をシーちゃんとお散歩。やわらかな日差しとふんわりとやさしく頬を撫でる風が心地よいが、思ったよりも人が多い。シーちゃんはやはりまっすぐに歩かずにあちこち匂いを嗅いでばかりいる。リズムよく歩き出したかと思えば、急にUターンし鼻先を地面につけて匂いを嗅ぐ。ワタシも久しぶりに豊潤な樹々の緑に包まれて気持ちがいい。シーちゃんと同じくアミニズムを否定しないワタシは、自然にとけこむことを望んでいる。
先を歩く陽光に照らされたシーちゃんの白とゴールドの体毛が稲穂のように滑らかに輝き、その美しさと愛らしさに思わず声をかけると、丸い顔を振りむいたシーちゃんは、そのつぶらな丸いひとみでワタシを見つめた。
──シーちゃん!
ワタシは跪き、ありったけの愛情を込めてそのふわふわの体毛の小さな身体を抱きしめた。
ワタシはシーちゃんと暮らし始めてから、人間と自然との根本的な違いを感じてきた。そして最近、その心奥で感じていたことが表現されている詩と出会うことができた。谷川俊太郎の詩集『虚空へ』のなかの「自然は語らない」という一編だ。
自然は
語らない
歌わない
生きるだけ
ヒトは
渾沌にいて
秩序を
求め
言葉を孕み
意味に
惑う
草木と
空に
背いて
AM10:30
ワンルームマンションに戻ると、銀座の街でトランペットを夜空に向けて吹いていた侏儒から手渡されたスマートフォンにSNS ──留守番電話が登録されたことを知らせる通知── が届いていた。すぐに留守番電話の録音を再生すると、千尋ちゃんの緊迫した声が聴こえてきた。
──わたしは侏儒たちと共にある場所に潜んでいますが、MOMOE様にスマートフォンを手渡した侏儒が戻って来ないのです。彼女は侏儒の中でも警戒心が強くとても行動力があったのでこの任務に選ばれたのですが……
どうしても彼女が戻らない時には、ワタシたちも行動を起こさなくてはなりません。また近況をご報告いたします!
留守番電話の録音はそれだけだった。ワタシは銀座の通りで、身体をくねらせながら夜空に向かってトランペットを吹いていた黒いキャスケットをやや斜めにかぶった侏儒の姿を思い出した。あの時の、かなしくも美しいメロディが蘇ってきた。頬に触れる空気そのものが、この世のすべてのかなしみを背負った優しさに包まれてゆくのを感じたことも……
散歩でたくさん歩いたシーちゃんは、疲れたのだろうベットの上でうつ伏せのまま熟睡している。
──シーちゃん、ちょっと出かけてきます。ゆっくり休んでいてください。なるべく早く帰りますからね!
ワタシは着替えもせず、ZOZOのバスケットハットをかぶり飛び出した。あの侏儒と出会った銀座へと……
彼女が戻らない時には、行動を起こさなければならないといった千尋ちゃんの声を脳裏に刻みこんで。




