SCENE43
5月の落陽はすべてを平等に赫く包む。夕映えの都心の雑踏をひとりで歩きながら、すべてが赫く同化し、すべての存在理由が失われた感覚に陥る。溢れすぎた人々がどこからともなく現れては消え、現れては消えてゆく。まるで自然淘汰された生命の魂がシャボン玉のように…… 地球誕生以来、これほど繁栄した生物はいなかったはずだ。あらゆるものが熱を帯びて上昇し、あらゆるものが夜の暗闇を否定し、あらゆるものが異様な光を放っていた。これが繁栄を謳歌する人間社会というものか。
煌びやかなウインドウに映るワタシは、なんだか他人のようにすましている。ハイネックのボーダーシャツに黒のパンツ、ふつうの少しオシャレな23歳の女の子だったけれど、ときおりすれ違う男も女も、ワタシの容姿に驚いて振り向いたりする。しかしワタシはピンク色のテロリスト、この地球をもう少しだけ変えるためにこの身を捧げたのだ。
「東急プラザ表参道原宿」屋上の緑溢れる「おもはらの森」の天空のスターバックスで、コーヒーを飲みながら千尋ちゃんを待つ。 ──周りは若者で溢れていて、多くのカップルが楽しそうに談笑している── 昨日の深夜、まだ前首相の奥様との関係を続けている千尋ちゃんから会いたいとLINEが届いた。貴重な情報を得ることに成功した千尋ちゃんが、前首相の奥様となかなか関係を断つことができずにいることを、春子さんは危惧しとても心配していた。
約束の時間までもう少し。「おもはらの森」のケヤキたちは新緑の瑞々しさ溢れる黄緑色の葉叢を、残照によって微かに赫く染めていた。愛おしい思いで眺めていると、風に揺れたケヤキたちが微笑んでくれたような気がした。
グレーのパーカーのフードをすっぽりかぶった千尋ちゃんは、前首相の奥様が虜になったように、まるで美しい不良少年のようだった。ワタシを認めるなりフードを脱ぎ、ぎこちなく不器用に微笑んだ。ショートカットの前髪が風に揺れ、沈みゆく太陽にも似た微笑みは、何かしらの覚悟を決めた表情だった。即座にワタシは不安を覚えた。
──MOMOEさん! 来てくれてありがとうございます!
──こちらこそ、連絡くれてありがとう! お腹すいてない? 何か食べる?
──いいえ、大丈夫です! それよりも後でこれに目を通していただきたいのです!
ややはにかみながら千尋ちゃんは、A4サイズの白い封筒を差し出した。
──中に、わたしの今後の新たな作戦計画が記してあります!
若者で溢れる「おもはらの森」の天空のスターバックスは、平和の象徴のような彼らの笑い声や談笑する声が地響きのように充満していた。千尋ちゃんの声だけが、遥か遠方からの使者の伝言のように異質に聴こえた。となりの席のカップルの会話が、否が応でも鮮明に聞こえてくる。
──今度の休みに、沖縄に行かない?
バイト代で足りなかったら、親に友達と一緒に行くからって頼んでみるから!
──お、いいね! お前んちお金あるもんな! やっぱりお前と付き合ってよかったわ!
結局、千尋ちゃんとは、食事にも行かず「おもはらの森」の天空のスターバックスでフラペチーノを飲みながら、およそ30分ほど話しをしただけで別れた。
千尋ちゃんは十分に成果をあげたわけだから、できるだけすみやかに前首相の奥様との関係を終結させることを、露巳代表や春子さんが切望していることを伝えた。しかし千尋ちゃんは、次の作戦が終了するまではやめるわけには行かない、それがわたしの存在理由だからと頑なに首を横に振った。とにかく後で、わたしの新たな作戦計画に目を通してほしいと、沈みゆく太陽に似た微笑みを浮かべグレーのパーカーのフードを目深にかぶった。 ──やはり彼女は遥か遠方からの使者に見えた── ワタシは、すっかり陽が落ち照明にほのかに浮かぶ新緑に覆われたケヤキたちを見あげたが、風に揺れることもなくケヤキたちも黙ったままだった。
自宅マンションに戻ったワタシは、シーちゃんに晩ご飯をあげたあと ──シャビーローチェストの上に置いたBAIESのディプティックキャンドルに火を付け── ソファに座り、落ち着こうと深呼吸をしたあと、千尋ちゃんから渡された次の作戦計画が記してあるというA4サイズの白い封筒の封を切った。目を通すや否や胸が熱くなり、すぐにワタシは春子さんの携帯電話に電話をかけていた。そんな涙ぐむワタシを、お座りをしたままシーちゃんは、眠たそうにしながらもじっと見つめてくれていた……




