SCENE30
一面窓から煌びやかで洗練された銀座の夜景 がひろがるリビングで、 ──散光された灯りのひとつが絨毯敷きの床に矢印のように伸びていた── L字型の薄いクリーム色のソファに腰かけた両サイドに綿あめのような膨れた癖毛を残したまま滑らかに禿げあがった中年男が、ルームサービスの料理を食べながら高級ワインを飲みはじめた。ワタシが下戸なのでと勧められたワインを、困った表情をつくり慌てたように胸の前で手を振って断ると、中年男は禿げあがった頭頂部を平手で一つ叩いて残念がった。
ワタシには時間がなかった。食事が終了する前にこの中年男の正体を探り出さなければならい。食事が終わればすぐにでもこの中年男は、ワタシとの性交渉を迫ってくるはずだ。しかしながら、このいちIT企業の社員に過ぎない男が、なぜ皇族を筆頭にかなり社会的地位の高い人間ばかりの顧客リストに名前が記載されていたのか? 当初はあくまでも架空の人物であるまいかとの予測もあったが、こうして目の前に鈴木という禿げあがった中年男は実在している。おそらくこの中年男のごく一般的な苗字は偽名だろうが……
──鈴木さんは、この会員制クラブに入会して長いのですか? このクラブのメンバー料金はとても高額で、日本のトップクラスの富裕層だけがメンバーだと聞いておりますけれども。ふだんワタクシはモデルをやっておりまして、このクラブの女性メンバーではトップレベルの料金をいただいております。
ふたたび中年男は頭頂部を平手で一つ叩くと、グラスのワインを水のように一気に飲みほしていった。
──私はこのクラブでは特別なんだよ。なんせ幼馴染みのあいつがこのクラブをはじめたんだからね。私は会費も払っていないし、君の料金も後から支払われるはずだから。もちろん通常よりもかなりアップされた金額だろうから安心してくれ。
──ありがとうございます。それならこのクラブは、鈴木さんの幼馴染みがはじめられたのですね! その話しははじめて伺いました。とても興味深いです。こんな高級なクラブをはじめられるなんて。しかも一流の方々ばかりがメンバーになっておられる。
ワタシは高級ワインを、中年男の空いたグラスに注いだ。品のよい香りがソフィスティケートされた銀座の街に似合っていたが、その度の強い赤色は美しく見えなかった。
──私とあいつは在日なんだよ。あいつはかなりヤンチャなやつで、子供の頃から欲しいものがあれば手段を選ぶことなく何でも手に入れた。今ではこの日本をも手に入れようとしているんだから。最近では、幼馴染みの私でさえ会うことができなくなってしまった。でも私の頼みなら何でも聞いてくれる。まあ、このクラブをつくった理由も、もともとはあいつの幼い頃からの性癖から来ているんだけどね。
中年男は禿げあがった頭頂部を平手で、今度は一つではなく二つ続けて叩いた。さらにワタシがグラスにワインを注ぐと、中年男は細く突き刺すような眼が消えてなくなった。彼は笑ったのであろう。そして白いワイシャツのボタンを一つはずすと ──肌の燻んだ胸にやや縮れた胸毛をのぞかせ── あいつと呼ぶ幼馴染みとの思い出をゆっくりと話しはじめた。 ──もちろんワタシがしている黒ぶちメガネには、超高性能マイクと高画像カメラが取り付けてあった──
──私とあいつは在日2世だった。下町の同じアパートに住んでいて、お互いの父親も同じ町工場で働いていた。日本は高度成長期を迎え、安保闘争など学生運動が激しくなっていた。あいつはけっして口数の多いやつではなかったが、学校の成績は常に一番で頭はとても良かった。大阪の万博が開かれた頃、あいつが小学校の6年生になったときだった。常日頃から女癖が悪かった父親が、あいつの一つ歳下の妹に手を出した。するとあいつは父親を背後からバットで殴り倒し、そのまま妹を犯したらしい。 ──父親は重症を負ったが幸い刑事事件にはならなかった── それからだろうあいつの性癖が顕著になってきたのは。あいつは私と違って見た目もよく成績も良かったから、いい寄ってきた同級生をはじめとする女の子を片っ端から手をつけはじめた。中学校に上がっても常に相手にするのは小学生の少女で、その性癖が今でも続いている証拠に、このクラブをつくったのだろう。
しかしあいつは、中学校を卒業すると高校には行かずに、ある政治団体組織に入って政治活動をするようになった。頭は抜群に良かったから、すぐに頭角をあらわし中心的な存在となっていった。
しかしながらやっぱりあいつは、あれ以来ずっと精神的に病んでいた妹に対して強い負い目を持っていたようだ。ある日とつぜん私に、妹と結婚してやってくれと涙ながら頼んできたんだ。 ──彼女は幼馴染みの私には怯えることなく会話ができた── 私はあいつとの友情を何よりも大切に思ってきたから快諾すると、あいつはこの恩は一生忘れないといって、私の手をしっかりと握ってくれた。
それからあいつは、ますます政治活動に専念するようになり、いつの間にか表舞台ではなく裏から日本社会を動かそうとしはじめたんだ。あいつはとんでもないほど巨大な力を持つようになっていた。もうあいつがどんな活動をし、どんな生活をしているのか誰もわからない。私たちの友情は続いているはずだが、あいつに会うことはもうできないかもしれない。
そこまで話しをすると、中年男は禿げあがった頭頂部を平手で続けて三度叩いた。彼の頭頂部がほんのり赤くなり、細く突き刺すような眼が消えてなくなった。笑っているのか泣いているのかわからなかったが……
ワタシは何度も頷きながら、大きな衝撃を受けていた。一面窓の外は相変わらず煌びやかな洗練された銀座の夜景が存在しているが、それはこの中年男の話しを聞く以前の景色とはまったく違ったものだった。それは超高性能マイクで中年男の話しを聞いていた露巳代表や春子さんも同じ思いであったであろう。ついにワタシたちは、「ビックブラザー」の正体の一片、「ビックブラザー」の存在を確認できる一片を手に入れることができたのだから……
都心のけむった曖昧な夜空に、何十億光年前に放たれた星の輝き見つける糸口を掴むことができたのだから……




