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シーとピンク色のテロリスト  作者: ユッキー


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SCENE27



 赤銅色しゃくどういろに色づく海面がそのまま夕空と同調し、遠い幻のように朦朧(もうろう)とした高層ビル群に(あか)い落日が隠れようとしていた。都心の喧騒から逃れ潮の香りさえ漂う舞浜のディズニーリゾート・オフィシャルホテルの一室で、ワタシは真新しい白いシーツのベットで眠ったままの陽葵(ひまり)ちゃんと、あの激しい雨の日以来再会した。

 ライトグリーンの遮光カーテンが閉められた寝室で、フランス人形のような細面の美しい陽葵(ひまり)ちゃんは、まだ小学生だというのに労役に疲労した囚人のようだった。ふつうの子供が歩むべき常道から外れたまま、肉体的にも精神的にも追いつめられた小枝のような細い身体は、じっと何かに耐えながら生きていた。このようにも疲弊した子供が存在する現実が、にわかに受け入れ難い虚構のようにさえ感じられた。ワタシは2人掛けのソファに腰かけ、行き場のない憤怒を抑えながら彼女が目覚めるのを待つことにした。

 ワタシの脳裏には、あの日の激しい雨音と都心の汚れたアスファルトを黒く濡らしたペトリコールの匂いのなかで起きた悲劇が、フラッシュバックのように蘇った。あまりにも大きなショックを受けた陽葵(ひまり)ちゃんは、腑抜(ふぬ)けのように無気力となり、いっさい喋らなくなったらしい。目の前で自分を守るために身を(てい)した若い女性が刺され、しかも刺した男が実の兄のように慕っていた男だったという現実を、まだ幼い彼女が受け入れるには到底無理があった。


 ライトグリーンの遮光カーテンが光を(にじ)ませた静かな寝室で、ワタシはショルダーバッグから、早稲田大学の文学部に通う親友のミホコから勧められ読みはじめた文庫本を取り出した。なかなか深いかなしみから恢復できずにいたワタシが、激しい雨の日の悲劇を電話で伝えると、ミホコは彼女らしく慎重に思慮するようにしばらく沈黙したのち、次のようにいってくれたのだ。


 ──それはとてもかなしいことだったわね。やはりMOMOEや「株式会社小さな人たち」は踏みこんではいけない巨大な闇の力「ビック・ブラザー」を敵にしようとしているのだから、想像を超えるほどの大きな覚悟が必要だと思う。よかったら、同じような大きな覚悟をもって生きたふたつの世代の物語が描かれた小説があるから、一度読んでみたら? 少しは励まされると思う!


 この長編小説のタイトルは、旧約聖書の詩篇 ──神よねがはくは我をすくひたまへ 大水ながれきたりて我がたましひにまでおよべり──に()っているという。そして結末を書きながらこの作家が連想していたのは、旧約聖書ヨナ書の ──ヨナ魚の腹の中よりその神エホバに祈禱て 曰けるはわれ患難の中よりエホバを呼びしに彼われにこたへたまへり──だったという。

 ワタシは、新潮文庫の大江健三郎『わが洪水は魂に及び』上巻のページを(めく)った。目前にせまる「大洪水」に対して、人間の赤裸な意志の光が描かれた、ミホコがいう同じ想像を超えた大きな覚悟が描かれた長編小説を……


 ライトグリーンの遮光カーテンが夕陽に赤みを帯びはじめた頃、ようやく陽葵(ひまり)ちゃんが目を覚ました。しかし、彼女の世話をしている若い女性スタッフが喉が渇いていないか尋ねても、陽葵(ひまり)ちゃんは真っ白な天井を見上げたまま、本物のフランス人形のように反応がなかった。

 ワタシは、陽葵(ひまり)ちゃんの状態を聞かされてからずっと考えつづけていたある行動を実行せざる得ないと納得した。ショルダーバッグからiPhoneを取り出し、仰向けのままの陽葵(ひまり)ちゃんの目の前に画面をかざしてある動画を再生させた。はじめは目の前の映像にただ視線を向けているに過ぎなかった陽葵(ひまり)ちゃんが、次第に集中しはじめ、やがてみずからの意思で映像を視聴してくれているのに気がついた。間違いなく陽葵(ひまり)ちゃんはその動画に反応してくれたのだ。


 ──陽葵(ひまり)ちゃん! この小犬はワタシと暮らしているシーズーという犬種の、名前はシーちゃんというのよ。とてもつぶらなひとみをしていて可愛いいでしょ!




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