SCENE23
PM19:00
けむった曖昧な夜空は変わらない。桜の季節を迎え装いがより明るい色調に変わった猥雑な若者で賑わう渋谷スクランブル交差点を、Whiteの大きな丸いフレームサングラスにWhiteのベースボールキャップ ──犬のDark brownの丸い鼻と大きな垂れ耳が付いた── をかぶったワタシはふたたび歩いていた。となりには「株式会社小さな人たち」のスタッフでワタシより2つ歳下の、まだ20歳のナナコちゃんが、色違いで同じデザインのベースボールキャップを少し恥ずかしそうにしながらかぶっていた。地鳴りのような喧騒が地を這うように震え野放図で低俗なという言葉がピッタリな若者が群がるハイエナのように溢れていた。もはやハイエナは陽光のように繁栄が永久につづくと信じて疑わない。
──なにも変わらない、変わりようがないのかもしれない。
そうワタシが呟くと、日頃は春子さんの助手を務めているナナコちゃんが驚いたようにワタシを見た。
──陽葵ちゃんは本当にやって来るのでしょうか?
──きっと来るはず、陽葵ちゃんがあの琢磨という若い男を本当の兄だと信じているのなら! もう1人のジョーという浅黒い顔のツイストスパイラルパーマの若い男は消されてしまったのだから。そして再会できるとしたらこの渋谷しかないと思っているはずだもの。
昼の各局のニュース番組で、東京都江東区東雲2丁目の東京湾に若い男の死体が浮いているのを通りがかりのトラック運転手が発見したという報道がなされた。背中に8箇所の刃物で刺された痕があり頭部にも2箇所殴られた痕があった。
ただちに露巳代表から話しがあり、東京ミッドタウン・タワーに隣接する超高級マンションで少女専門売春デートクラブを運営していた若い男の1人だと断定されたということだった。すると都内にある子どものこころのケアの専門病院から、入院していた陽葵ちゃんの姿が見えなくなったという連絡が入った。おそらく陽葵ちゃんはニュース報道を観て、琢磨という若い男に会うために病院をとび出したと思われた。
すぐにワタシは陽葵ちゃんをさがすため、危険を承知のうえでこのような大袈裟な変装をして渋谷にやって来た。留守の間のシーちゃんの世話を春子さんにお願いし、代わりにショートヘアがよく似合うナナコちゃんが、ワタシのボディガードをしてくれることになった。
──危険な任務よ?
──大丈夫です。 それよりも陽葵ちゃんのことがとても心配なんです!
実際、あの琢磨というツイストスパイラルパーマの若い男が、おそらく「ビック・ブラザー」と思われるGroupから逃れられるという保証はまったくなかった。迂闊にもワタシたちとの接触を許したうえ逃げられてしまった失態を、「ビック・ブラザー」と思われるGroupはけっして許さないだろう。
PM20:00
すでに1時間ほど渋谷スクランブル交差点付近を歩きまわってみたが、陽葵ちゃんの姿を見つけ出すことはできなかった。むしろWhiteの大きな丸いフレームサングラスにWhiteのベースボールキャップ ──犬のDark brownの丸い鼻と大きな垂れ耳が付いた── をかぶったワタシとナナコちゃんはかえって人目を引くこともわかったが、面が割れているためベースボールキャップを脱ぐことはできなかった。
いったんワタシとナナコちゃんは、スターバックスのSHIBUYA TSUTAYA店で温かいものを飲みながら短い休憩をとった。前回も春子さんと同じ店で休憩をしたことを思い出した。 ──あの時は春子さんが雲透きの春の光のような笑顔でワタシの緊張をほぐしながらも、パパ活をしていると思われる家出少女を見つけるとまるで別人のような物悲しい表情にかわり少女に声をかけて名刺を渡していた── そのエピソードを懐かしいように要約して話すと、ナナコちゃんは夏の太陽のような笑顔になった。
──春子さんはほんとうにやさしい方です。露巳代表をいちばん支え、露巳代表からいちばん信頼されているのも春子さんです。わたしは露巳代表や春子さんが成し遂げようとされていることに少しでもお役に立てればと願っています! わたしも家出をしてパパ活をしていたときに春子さんが声をかけてくださったのです。恩返しのためにも、なんとか陽葵ちゃんのことを救ってあげたいのです。
店内は、実にさまざまな種類の人間で溢れており、とくにカップルや友人同士、キャバクラ嬢にホストら猥雑な若者が、漂流する小舟のように無秩序に漂いながら自己主張をくり返していたが、ワタシの目の前には、夏の激しい日差しに向かう向日葵のような別次元の笑顔があった。
ふとワタシは陽葵ちゃんが、最初に琢磨というツイストスパイラルパーマの若い男から声をかけられたのが、渋谷のモヤイ像の前だったと話してくれたことを思い出した。
──ナナコちゃん、以前、陽葵ちゃんがはじめて琢磨という若い男に出会ったのがモヤイ像の前だったと話してくれたことを思い出しました。すぐに行ってみましょう!
PM20:30
けむった曖昧な夜空が、雲に覆われいちめん濃いグレーに変わっていた。雨が降りそうだった。ワタシとナナコちゃんはモヤイ像へと急いだ。ワタシはprayerを捧げずにはいられなかった。それはもちろん人間が創り出した神ではなく、もうすでに熟睡しているはずのシーちゃんの寝顔と寝息に向かってのprayerだった。いちめんの濃いグレーの夜空から雨つぶが落ちてきた。シーちゃんはワタシに急げといっているように思われた。大つぶの雨が、都心の汚れたアスファルトを黒く濡らしペトリコールの匂いが瘴気のように漂った。
さらに雨は強くなった。Whiteのベースボールキャップの犬のDark brownの大きな垂れ耳が濡れた犬のようにびっしょりとなったころ、灰色の風景のなかにモヤイ像が見えてきた。多くの人が傘を差しはじめたなか、ちょうど像の正面の真下に傘もささずにしゃがみ込んでいる濡れた捨て仔猫のような少女がいた。美しい細面の少女はたしかに陽葵ちゃんだと思われた。その少女が立ちあがった瞬間、黒い影が陽葵ちゃんの方へ向かって突進して来るのが見えた。まわりの女性が悲鳴をあげ、咄嗟にナナコちゃんがダッシュをし陽葵ちゃんの小さな身体をまだ若い母猫のような身体で覆い隠した。そのまま突進した黒い影は、躊躇なくナナコちゃんの背中になにか光るものを突き刺した。悲鳴が雨音とともに聴こえた。黒い影は一瞬、ワタシの方を振り返るとふたたび駆け出し、人波をかき分けながらそのまま勢いよく濡れた車道へとび出した。急ブレーキの鳴る音と鈍い衝撃音が雨音に逆らって響いた。すぐにワタシは崩れ落ちたナナコちゃんのもとへ駆け寄った。雨がさらにまた強くなった。




